かすがい(個人的感想記事)
子は鎹と言うが
本当に鎹だったのだろうか。
少なくともこの記事の少年と
両親は違うように思う。
コメントでは恐らく幸せな親子関係の下で
生きている人々の感想で溢れ返っている。
(勿論、それだけではないが。)
親殺しをしたくなるほどの親子関係って
本当に一般論でいう親子関係なのだろうか。
親子関係というだけで一括りにするのは
あまりにも乱暴だと個人的には思う。
この世にいる人の数だけ人生は違うし
生き方だって違う。
人生の形成に深く関わるであろう親子関係だけが
ひとつの形に収まるなんてことあるだろうか?
そんなのは有り得ない話だ。
経済環境、育ってきた親の環境、
親や子の先天的要素、親の接し方、
その他諸々と色んな影響によって
それは容易に変わる。
人の数だけ人生が違うのであれば
親子関係だって例に漏れずそうなのだ。
コメントでは他に自分の子どもが殺すだの
死ねだのと言ってくると
もちろん自分の子どもは
文字通りにそうするとは思えないが分からない。
といった内容も見受けられた。
でもそれも概ね杞憂だと思う。
殺すだの死ねだのと
心の弾みで言える親子関係なら
殺しは起きないだろう。
殺しが起きるのはきっと
その殺すや死ねが言えない環境だから。
言おうものならどうなるか分からない
なんなら自分の命が危ぶまれる環境なのだろう
と思う。
私はそこまで凄惨な親子関係ではないが
いい意味でも悪い意味でも親には敵わないと
感じているからこそ、どこか共感してしまう。
まぁ、罪であることには変わりないが。
簡単に一般論で扱えるような
親子関係ではないのは明白だからこそ
出口のない迷路に入ったような気分だ。
例に収まる人生だったら
どんなに良かっただろう。
きっとこの少年もそんなことを
いくつも過ぎらせたのかもしれない。