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あたりまえの毎日をだらだらと

キャンプから戻り、日常が戻ってきた。

朝起きる。
ベランダの多肉植物の様子を見て、日よけの位置を調整したり、水をやったりする。
冷蔵庫にあるものを適当につまみ、パソコンに向かい、どうしても書きたいと思っている話を書く。

こう書いたほうがおもしろい?
いや、やっぱりこっちが先?

試行錯誤しているうちに、あら、もう夕方。
夕飯を食べ、防水バッグに水着とゴーグルとタオル2枚を突っ込む。
「いってきます!」
と玄関を出てプールに向かう。

少し前まで、
「プールに行かなくちゃ」
と思うと気が重かった。

行ってしまえば、楽しい。
水の中は好きだし、毎日通っていればそれなりに上達もする。
上達すれば、泳いでいること自体が楽しくなる。

ただ、家が好きで動きたくない私は、椅子から立ち上がって外に出る、そのことが面倒で仕方ない。
なぜ、私が行かなくてはいけないのか。
プールがうちに来てくれたらいいのに。

ぶつぶつ心の中でぼやきながら、とりあえず靴を履いてバイクにまたがる。
昼間もエアコンがいらないほど涼しくなってきたが、夜はもう寒い。
ここのところ毎回、上着を持っていこうと思って忘れている。

プールに向かう時は、JR松山駅前を通る。
つい先日、新駅舎が開業を始めたので、木造の旧駅舎の照明が消えて暗い。
昨年の夏、移住先の選定に夫とやってきて、初めて降り立ったあのホームに列車がやってくることは、もうない。
一瞬感傷に浸りそうになって、首を振る。

大きな変化はニュースになって、だれもが知るところとなるが、小さな変化は、見ようとしない限り気づかない。
うちの近所にラーメン屋が開店したのも、ケンタッキーフライドチキンの店の工事が行われていたことも、全然気づかなかった。
前にそこに何があったのかも思い出せない。
その程度の記憶力しかない人間が、旧松山駅の閉鎖を寂しく思ったりするのはどう考えてもおかしいだろう。
メディアにあおられているから、寂しいような気がするだけなのだ。

感傷を排せ。
あらゆるものは変化する。
あたりまえのことだ。

19時45分、券売機で250円のチケットを買い、受付のお姉さんに渡してプールに入場。
2分で着替えて、初心者練習用コースが空いていればそこに、使っている人がいれば誰もいないレーンを選んで飛び込む。
誰とも競争せずに、ゆっくりゆっくり、とにかく長く泳ぎ続けることを目標にターンを繰りかえす。
そうして、800mほど泳いだところで、閉館の鐘を合図にプールから出るのだ。

変わり映えがしない毎日。
でも、昨年とは全然違う毎日。

三年間、ほぼ毎日のように海に通った敦賀の夏を恋しく思うように、いつかプールに通った松山の夏の夜を、恋しいと思う時が来るんだろうなあ。
きっとその時は死ぬ時なので、ちゃんと思い出せるように覚えておこうと思う。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。