忘れる
滅多にないことではあるけれど、noteに「サポート」という名前のお金が「見ず知らずの人」から振り込まれることがある。
こういう時に昔は「何か裏があるんじゃないか?」と疑ってしまって、素直に受け取るのにためらいがあった。今は「だれのどんなお金でも、お金はお金❤️」とありがたくいただける。
この変化は歓迎すべきもので、実際、楽に生きられるようになって、とても喜ばしい。しかし、私にとって、何十年も付き合ってきた性格の変化は本人も驚きであり、なぜ変わったのかを知りたい。こうなった過程を記録しておけばよかったと思う。何かきっかけがあって変わったはずなのだ。
ところが今、振り返って書こうにも、自分の中から猜疑心がなくなっていった過程をまるで覚えてない。あまりにナチュラルに忘れているので、生まれた時からこうだったかのようにも感じる。そんなわけないのに。
ただ一つ言えるのは、この「覚えていられない」というのが、すごく良い方に作用している気がするということだ。
今の私は、いいことも悪いことも、片端から忘れる。読んだ本の内容なんて、付箋をつけメモを書いても忘れる。もう、こんなに忘れるなら、本を読まなくてもいいんじゃないかとすら思う。
つい先日、夫と喧嘩した時にも、けっこう強固な記憶が消えていて驚いたことがある。
どこの夫婦でもそうだと思うが、子育ては一大事業であり、だからこそお互いの価値観がぶつかり合う。そして、それを話し合う時間すら取れないほど慌ただしく毎日が過ぎるので、いつまでも解消されずに残るのだ。うちの夫婦にも、かつて大揉めに揉めた「娘一歳半の夏事件」というのがある。これまでも散々ほじくり返して夫の非を責めまくってきたその事件を、ケンカの成り行きでまた持ち出したくなったのだが、なんと、その一歳半に何があったのか、全部忘れていた。
きっとすごく辛いことがあったんだろうとは思うのだけれど、暑かったことしか覚えてない。具体的に何があって、なんで夫をそんなに責めていたのか、もう何もわからない。夫に聞くのもなんか違うし、まあいいか、これが「気が済んだ」ってことなんだろうと、忘れることにOKを出した。
長生きした人が、みんな仏様みたいになっていくのは、こういうことなのかもしれない。嫌なこと全部忘れちゃえば、とりあえずはハッピーだ。
しかし、問題はうちの夫が、新たな「嫌な記憶」を生み出し続ける達人である、ということだろうか。まあ、これも、ちゃんと喧嘩していれば、そのうち消えていくのだろう。
私も死ぬ時は、仏様のようになっている予定だ。
**連続投稿127日目**