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勝手に解説おめめどう(3)人は何によって生きているのか

タイトルで大風呂敷を広げてしまった。でも、これくらい言ってもいいと思う。
久しぶりに、株式会社おめめどうのハルさん(奥平綾子社長)の講座を聞いたので、思ったことを書く。

おめめどうというのは、兵庫県丹波篠山市にある自閉症の支援グッズを製造販売している会社です。うちには自閉症の子どもがいるわけでもないし、身内がそれで困っているわけでもありません。むしろ先天的な障害のある人との付き合いがないまま半世紀以上生きてきました。けれど、そんな私がおめめどうに出会い、その支援思想やノウハウを面白いと思ったのは子育てに必要な知恵をふんだんに含んでいると思ったからです。発達途中の「成熟しきっていない脳」を持っている幼い子供たちが時に見せる不思議な行動が、自閉症を理解することでわかることが多いように思ったのです。
何しろ私は自閉症の子どもや大人を支援する実践の場を持たないので理解が浅いところはあると思いますが、その分わたしなりに理論立てて自閉症を理解できているのではないかと考えています。そこで、私の理解と言葉で勝手におめめどうを解説してみようと思ったのがこのノートの主旨です。

「人はパンのみにて生きるにあらず」
有名な聖書の一節だ。
「物質的な満足だけではなく、精神的な満足を得てこそ生きてるってことじゃん」
と救世主はおっしゃったらしい。異論のある人はいないと思う。
けれど、障害のある人たちにについては、長らく「生きてるだけでも、ありがたいと思え。精神的な満足なんて贅沢だ」的な無意識の圧があった。

それは「障害の有無にかかわらず、人生を楽しむ権利がある」ことすら思い至れない、健常者側の傲慢さだと思うのだが、その空気が当たり前になっていると、自分がしていることが人権を侵害していることに気づけない。

例えば、体は大人なのに、身辺自立もままならず、いつも半開きの口からよだれをたらして、ぶつぶつ言っている人を見たら、たいていの人は「自分と同じ人間だ」とは思えない。自分と同じように考えたり感じたり思ったりする「意志や感情を持つ生き物」だとは思えない。もっとありていに言えば「何をしたって、この人にはわからないだろう」と見下している。

「わかってないなら、これくらいはいいかな」と、どんどん人権侵害が進む。「この子には決められなんだから、私たちが決めてあげなきゃ」と、勝手に衣食住があてがわれる。いい年して、ドラえもんのトレーナーを「この子はこれが好きだから」と着せられる。知的な発達が低年齢で止まっているからといって、趣味嗜好まで子どものままではないのに。
知的にも重い自閉症の人たちをステレオタイプに書いてしまっていたら申し訳ない。でも、周りで支援する人には、思い当たるふしがあるのではないだろうか。

***

「だって、何が好きなのか言わないんだもん。わかんないわよ。いつも同じ服を着てるのだって、取り上げたら怒るからだし。こだわりが強いのよ。いくら私が母親で、一緒にいる時間が長くても、察するのは限界がある。言ってくれなきゃわかんない」

そうでしょう、そうでしょう。自閉症って、言えない、選べない、考えてることがわかりづらい障害なんですから。

「じゃあ、私は悪くないじゃない。そんなに責めなくても」

責めてません。現状はこうだよね、っていう説明をしただけです。

「あのね、あなたみたいにね、ダメなところ、できてないところだけ指摘されたって、どうすればいいのかを教えてもらえないと、できるわけないじゃない。こっちは何も知らないのよ。ただでさえ、むつかしい子育てなんだから」

まさに、それが答えなんですよ。自閉症の人たちにとって、毎日は「普通にできないことを指摘されるだけ」の日々なんです。「こだわりがつよい」「すぐ癇癪をおこす」などなど、困り顔でため息交じりに言われるだけ。それって、「あなたのここが悪い。ここが困るんだ」と言ってるだけで、じゃあどうすればいいのかを伝えてないのと同じですよね。

「だって、言ったってわからないじゃない」

そうですよ。言ってもわかりません。そういう特性です。でも見せればわかるんです。だから、視覚支援なんです。だから、おめめどうなんですよ。

***

最初の話に戻る。
人は何によって生きているのか、という話だ。

私の周りの友人たちに聞いても、だいたい同じことを言うので、たぶんこれが正解だと思うのだが、乳児期の子育てで「精神面で」一番心を病ませるのは「決めたことが段取り通りに進まないところ」ではないだろうか。(睡眠や休息などの肉体的なメンテナンスはもちろん必須)
一人なら難なくできる、買い物、食事づくり、片付け、掃除が、まったくできない。細切れの時間を使って、今のうちに、と思っても頭の中で考えたとおりに進まない。できない自分を毎日突きつけられる。自己有用感がどんどん下がる。

私たちは毎日、小さなことを決め、それを実行して、小さな達成感とともに生きている。それは意識に上ることの方が少ないが、失くしてみるとよくわかる。決めること、実行すること、達成することを取り上げられると、途端に気持ちがどんより濁ってしまうのだ。
例えば、部活を引退したばかりの高校生、例えば、仕事をリタイアした壮年男性。例えば、仕事がない自営業者。することがないままだと、どんどん気持ちが下降する。
健康な心に必要なのは、自己決定→実行→達成のルーチンに乗ることなのである。

人は、自分で決めたことを自分で経験してみて、結果を受け取り、満足したり次につなげたりすることで生きている。
自閉症の人たちも同じだ。
ただ、彼らは「複数の選択肢から何かを選ぶ」ことができない。自分ですることを決めることができない。選ぶことを学んでないから。定型発達の子たちが当たり前に覚える「どっちがいい?」「こっちがいい」ができない。学び方が独特で、時間もかかるから。
そんな彼らに、やりたいことを選ぶ方法を教え、実践のためのスケジューリングを教え、毎日の小さな自己実現の手段を教えるのが、おめめどうの支援なのである。

できない彼らをうまいことコントロールするために、視覚支援があるのではない。自分でできることを増やし、幸せに生きるためにあるのである。

「最近、おめめどうをはじめたみたんだけど、うまくいかない」と思う人は、自分が何をもって「うまくいく」と思っているのか、見直してみるといいかもしれない。誰のために支援をするのか。そこを間違うと、どんなに良いノウハウやグッズがあっても誰も幸せになれないのだと思う。

**連続投稿21日目**


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はんだあゆみ
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