『好き』を大事にしたくて、「推しマン」をやってみることにした
敦賀の駅前公設書店ちえなみきで、「推しマン」というイベントやってみることにした。
「推しマン~あなたのイチオシマンガ教えてください~」が正式な名称になるはず。(「はず」というのは、サブタイトルに、いいのを思いついたら、そちらに乗り換える可能性があるから)
対象は小学生から高校生までだ。
内容は、自分の大好きな漫画について、10分程度のプレゼンをする会。
できれば、普段あまり漫画を読まない大人に聞いてもらって
「それ、読んでみたい」
と思わせることができたらいいな、と思っている。
もともと、敦賀でも何か子どもに関わることをしてみたい気持ちはあったのだが、なにしろこちらは保育園が充実していて、あまり小さな子を見かけないし、真冬のアウトドアはしんどそうだしで、諦めていたのである。(私の前職は、野外保育士)
だが、もうじき、敦賀を去るというタイミングの今になって、思った。
「がっつり関われなくても、どこかで子どもと接する機会が欲しい」と。
まあ、子どもの方からしたら迷惑なことだろうけれども。
しかも、今回は、私がこれまで関わってきた未就園児ではなく、思春期の人たちが相手だ。
何だったら、一緒に楽しめるだろうかとしばらく考えていた。
そして、今の自分が子どもと対等に、ああでもない、こうでもないと話せるものって漫画かなぁ、と思ってイベントを思いついたのだった。
実は、それより何より、先日、盟友・五十嵐いつえ嬢の「東洋医学講座」を受けた際に、ものすごく衝撃を受けたのも大きい。
こんな野蛮な言い方ではなかったけれど、彼女は、そう教えてくれた。
それまで、何でもクソ真面目に受け取り、『逃げちゃだめだ』とシンジくんのように思い込んでいた私は、後頭部をガンと殴られた気がした。
そうか、しんどい時は、好きなことに逃げてもいいし、だらだら楽しんでもいいんだ。
言われてみれば、私は、地獄の底にいた時、無意識にそれをしていたと思う。
鬱に罹患し、映画も漫画も見たいと思えないほど、世の中が灰色に見えていた時、私は、Twitterの「美しい風景写真」をアップしているアカウントをフォローし、延々と気に入った写真を保存する、ということを続けていた。
ストーリーを追いかける気力は無くても、きれいなものをただ見るだけならできたので。
あの頃の私は、山から染み出た水が一滴ずつ岩のくぼみに溜まっていくように、少しずつきれいなものに癒されていたのだと思う。
溜まった写真が1000枚を超えた頃、外に出られるようになったのだった。
歳をとって知る、人生の真理。
好きって、そんなにも大事なことだったのか。
しかし、子ども時代とは、好きなものを理不尽に取り上げられる時期でもある。
「マンガばっかり読んでないで」
「アニメばっかり見てないで」
「YouTubeばっかり見てないで」
「ギターばっかり弾いてないで」
「部活ばっかりやってないで」
「じゃあ、何ならしていいんですかねえ」
好きなら、手放さなくたっていいのに。
こうして、たくさん手放してきた結果、自分の『好き』がわからない大人になってしまうのだ。
というわけで、開催日だけ一応決まっているので、興味がある人は続報を待ってほしい。
**連続投稿371日目**
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