書評の練習「市川春子短編集 虫と歌」

 市川春子が本作で描いて見せたのは、人間とそれ以外のモノとの間に生まれる情愛だ。その証拠に、どの作品も読み終わった後に残るのは、じんわりした温かさである。優れたSF作品を読んだときの、アイデアへの驚きが残ることはない。

 荒唐無稽に見える設定の中で、登場人物たちは「熱を持たないように見えるシンプルな線」で描かれた体で、感情をあまり表さずに淡々と物語を進行させていく。そこではSFという舞台装置は、あくまでおまけであり、人とそれ以外の生き物が、まるでその境界など存在しないかのように、互いの親愛の情を深めていく。

 流れ星のかけらは、閉じ込められていた自分を救ってくれたユキに恩返しをしたいと願い、すり減った肩の軟骨の代わりに自分の体を差し出して、ユキを治す。「言葉をなくしてしまう私のこと忘れても、永遠に、お兄ちゃんのこと好きよ」とメッセージを残して。

 サツキとツツジは、体の一部から無限に増殖できる自分たちを作り出した叔父さんを恨むこともなく、ある種の諦念とともに家族として共に暮らしていく。

 虫をモデルに作られたことを知らずに17歳まで生きてきたウタは、同時期に作られたシロウの死により、自分の出自と死が迫っていることを知る。
それでも「生まれてよかった」「兄貴が愛してくれたから」と言って死ぬのだ。

 この穏やかな愛はどうだ?市川春子が描いていたのは、形を変えた、現代の異類交流譚であり、人でも異端の生命でも、受け取った愛情にはきちんと応えるという希望だ。逆に言うなら、それが市川にとっての「人格」の定義なのだろう。

 人格を持つものは、人格を持つものと交流できる。たとえ種が違っても、生命体としての成り立ちが違っても。その思想は、やがて「宝石の国」に受け継がれ、ずいぶんと形の変わってしまった主人公フォスフォフィライトは、地球の終わりが近づく中、石たちと交流して幸せを感じている。

 愛は幻だと言われる。だが、どうせ幻なら、触れなくても見えるのだから、きっとあるんだろう、と思えるほうがいい。

**連続投稿649日目**


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