
離島が好きなのは「自分とは違う世界に生きる人たち」に会えるから
たびたび沖縄に行くので「沖縄が好きな人」だと思われているけれど、違う。
私が好きなのは、大都会・那覇のある沖縄本島ではなく離島だ。
異文化圏を旅する感じが好きなのだ。
例えばこれ。

あちこちのご家庭で、普通にヤギが飼われている。
飼ってどうするんだろう?
島に一軒しかないスーパーでは、牛乳1パック(946ml)が302円だった。
内地の感覚では、超高い。
牛乳の代わりに、ヤギの乳を飲むのかな?
それとも、何かのお祝いの時につぶして丸焼きにして食べるのかな?
想像が膨らむ。
さらに、これ。

一見、すりおろした山芋にしか見えないが、ジーマミー豆腐。
これが好きで好きで、島に来ると必ず1日一回は食べている。
豆腐と呼ばれているが、豆は使われていない。
ピーナッツをすりつぶした汁をデンプンで固めたもので、本土で売ってるもので例えるなら、ゴマ豆腐みたいなものだ。
初めて食べて以来の大ファンであり、こんな美味しいものを、どうして近所のスーパーでは売ってくれないのか、絶対みんな飛びつくのに、と思っている。
座間味で通い詰めているお店では、出来立てのホカホカを出してくれるので、さらに美味しい。
それに、これ。

島に一つだけある信号機。
そもそも車やバイクの通りはそんなにないので、交通整理の必要がない。
だから、信号がなくても誰も困らない。
なのにここにそれがあるのは、島から出た子どもたちが、よそで初めて見た時に困らないように設置してあるのだとか。
教育的配慮で立てられた信号機なのである。
離島っぽい。
そして、これ。
島中の人が総出で悼むお弔いのありよう。
こういう「その地での当たり前」に、「おっ?」と立ち止まる経験が好きなのだ。
知らない文化に出会う時、私たちは、ちっぽけな自分の常識を、外から見ることになる。
これまで持っていた自分の「当たり前」が、ガラガラ崩れる。
「多様性が大事」と口では言いながら、その「多様性」とは、自分が知っている範囲の多様性でしかないことに気づく。
つくづく狭い。
つくづく小さい。
自分が測れる常識の範囲の中で、善悪を決めたり人道を説いたりしているのだから、そりゃ戦争だって起きるはずだ。
理解の外にあるものを理解しようとするからこそ、「多様性」という概念に命が吹き込まれるはず。
自分の中の1番右と1番左がどれだけかけ離れていたところで、それは、自分の常識の範囲内でしかない。
それが狭いとか広いとかよりも大事なのは、自分が長年かけて築いてきた「当たり前」の枠を、柔軟に拡げようとすることじゃないのかなぁ。
そういう人に私は惹かれるし、そうありたいと思う。
大袈裟に語ってしまったけれど、私にとっては、歳をとって凝り固まりがちな脳を、時々「えいやっ!」と揉みほぐしてくれるのが、離島の旅なのである。
**連続投稿78日目**
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