「俺たちが一番面白い」と本気で思っているか? #M-1 2024
今日(というか、すでに昨日)はM-1の日であった。
テレビに繋いだハードディスクに、最高画質でM-1を録画できるようセットして、TVerで本編を視聴し、そのまま「M-1反省会」「M-1打ち上げ」と続けて見たのちに、再度、本編を見ていたら朝の5時になってしまった。
私は、日本人の平均値より少しだけお笑い好きで(偏差値でいうと57くらい)、日本人の平均より突出してオードリー若林さんが好きだ。
だから、今年のM-1はとても楽しみにしていた。
若林さんの審査員評が聞けるだけでも最高だと思っていた。
ところが蓋を開けてみると、20周年記念となる今大会は、チャンピオン令和ロマンの二連覇という偉業で幕を閉じ、最高オブ最高な大会として記憶に残ることになってしまったのだった。
私は、M-1を2008年からリアルタイムで見るようになった。
遡って過去のM-1も全て見ているが、さすがにスタートから24年も経つと、いろいろなことがある。
M-1の最初に流れる「俺たちが、一番、面白い」というあおりVTRを見ていたら、解散して今はいない和牛や、体を壊して活動無期休止中の東京ダイナマイトのはちみつ二郎さんが映っていたりして、時の流れを否が応でも感じさせられた。
私が知らないだけで、この24年の間に芸人を諦めた人たちもたくさんいるのだろう。
個人的な事件だけではない。
東日本大震災やコロナといった、大禍を乗り越えて大会が続いていることが奇跡だと言える。
ほぼ、四半世紀、本当にいろんなことがあったのだから。
さて、お笑い好きの偏差値57の私が、なぜ毎年こうも欠かさずにM-1を見続けているのかというと、出場者から漏れ出てくる自尊感情のようなものを見たいからだと思う。
大会が大きくなればなるほど、テクニックだけでは勝てなくなり、本気で「自分たちが一番面白い」と思えているかどうかが、勝敗を決めているように見える。
実際、スタートから10年間の初期のM-1には、あまりに長い下積み生活で拗らせた「俺みたいなもんが」という意識が透けて見える人たちが、そこそこ決勝の舞台に勝ち上がってきていた。
宝くじ的確率を期待しているような、と言えば伝わるだろうか。
「当たるはずないけど、買わなきゃそもそも当たらないし」
といった、棚ぼた狙いな感じ。
そういう人たちの中にあって勝つのは、タフなハートで自分を信じきれていた人か、努力で弱気を捩じ伏せてきた人たちのいずれかだった。
そういう目でチャンピオンの一覧を見直してみると、M-1ブレイク後の売れ方にもやはりメンタルが大きく作用しているように見える。
年々、拗らせた人たちは少なくなり、決勝の場に「俺なんて」が透けて見えるタイプの人がいなくなって、M-1は劇的に面白くなったと思っている。
コンプレックスを打開する一発逆転ストーリーは見ていて爽快感があるが、長くそればかり見せられると、それこそ感動ポルノを押し付けられているようで食傷気味になる。
それに飽きた人たちが、強メンタルなプロの芸を見たいと思い、それに呼応するように令和ロマンのような化け物チャンプが登場する。
揺れる人々の気持ちが何を求めるのか、M-1はとてもわかりやすく教えてくれる。
パリコレみたいなものだと思っている。