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嬉しいタイムワープ

30年も前のこと、私は青年誌をこよなく愛しており、木曜発売の週刊モーニングと、月曜発売の週刊スピリッツは赤ん坊をおんぶしたまま、コンビニで立ち読みするほど熱心な読者だった。
特に、モーニングは当時から個性的で、独自な路線を貫く面白さがあり、読んでいる自分に「特別感」があった。

太宰治作品は、総じて「この気持ちを理解できるのは私だけだ」と勘違いするファンがつきやすいと、何かで読んだ記憶があるのだが、モーニングに連載される作品も多数の読者から圧倒的支持を得ながら、「でも、本当にわかるのは私だけだもんね」と思える何かがあった。
おそらく、人間の感情などというものには、そんなに「特別」なものなど無く、だいたい全人類共通の似たり寄ったりなものなのだろう。
けれど、なぜそんな感情を抱くに至ったのかを、設定、背景、登場人物それぞれの行動や性格を、これでもかと丁寧に描くことで、共感は生まれやすくなる。
自分の中にある似たような記憶に、小さなエピソードがカギとなり、アクセスしやすくなるのだろうと思う。

モーニングに連載される個性的な作家さんたちは、総じてそれがうまかった。
私は、特に新井英樹と入江喜和が好きで、初期の連載から「この人たちはタダものではない」と思って読んでいた。
コマ割りもセリフも、説明調なところが一切なく、映画のように先を見ないと話がわからない。
今では割とポピュラーだと思うが、ト書きのない漫画を描く人が、珍しかった時代である。
とんでもなく新鮮だった。
なんでこんなに何でも分かったような、激シブなセンスの物語を描けるのかと、その活躍をワクワクしながら読んでいたものだ。

そこから1,2年後、子どもも大きくなり、おんぶでの立ち読みがむつかしくなった頃、単行本派に鞍替えして、しばらく2人を追いかけていたのだが、日々のあわただしさに、すっかり新作を読むことから遠ざかっていた。

それが、この夏、スマホに入れた漫画アプリで、「ゆりあ先生の赤い糸」(入江喜和作)を見つけてしまい、モーニングとはまったく無縁な世界で生きていた30年を飛び越えて、過去のあの衝撃に出会ってしまった。
相変わらず入江喜和の描く主人公は、自立的で、とんでもなく度量が深く、気風がいい。
自分の美学を持っていて、そこから外れそうになると、力づくで自分を引き戻す力がある。
けれど、主人公の「ゆりあ先生」は、齢50にして、自分の中の柔らかく脆い部分で、20歳も年下の男の子に恋をしてしまうのだ。
これが、面白くないわけがない。

さっそく大人買いして、そこからさらに「たそがれたかこ」に手を出し、私の世界は、今、入江色である。

他にどんな作品があるんだろうかと、検索してみたところ、なんと、Wikipediaに「夫は同じく漫画家の新井英樹。」という一文を見つけてしまい、さらにテンションが上がってしまった。
当時の私の2大スターが結婚していたのだ。
これが、驚かずにいられようか。
でも、事実を知ってみれば、2人はよく似ていると思う。
主人公の「アウトサイダーっぷり」と「絶対曲げられないものがある」感じがそっくり。

そうだったのか、私が知らないでいた間に、お二人はご結婚を……!
30年の時を越えて、めちゃくちゃ嬉しくなってしまった。
こういうタイムワープ的なことが、時々起きる。
テレビも雑誌も見ない、流行りの音楽も聞かないという時期が長く続いたため、ちょっとした浦島太郎なのだ、私は。

煙を浴びて、一気に老け込むのは嫌だけれど、こういうタイムワープは悪くないなと思う。

**連続投稿209日目**


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はんだあゆみ
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