高校生をやり直したい

というタイトルから「青春を味わい直したい」と想像される方もいるかもしれないけれど、全くそんな話ではなく。
高校で身につけられるはずだった基礎的教養を、もう一回、ゆっくり丁寧に学び直したい、という意味だ。

私は、典型的な「田舎の神童が街に行ってただの人だと気づいた」サンプルで、チヤホヤされてその気になっていたら、勉強というなけなしの長所が「無」になる事態を経験した人間だ。
人生初めての挫折だったと言ってもいい。

これは、狭い世界で調子に乗って身の丈に合わない進学校を選んだ自分も悪い。
が、本来の「勉強の楽しさ」を、大学受験を目標に置くことで、教えなかった学校も悪いと思うのだ。

私の出身校は、管理教育王国におけるそこそこメジャーな進学校で、テレビで見ていた「学園ドラマ」の世界とはまるで違うものだった。

何しろ時間的余裕がない。

三年分の授業内容を二年までに詰め込み、三年生の1年間は、苦手潰しと反復練習に充てられる。
授業の進度は恐ろしく早く、テスト範囲が膨大すぎて、全範囲の復習なんて不可能だ。
授業を聞いて理解したつもりでも、忘れるスピードのほうが早いため、苦手という「穴」がどんどん増える。
夏休みの数学の宿題は、生まれて初めて「こんなの、終わるわけないやろ」と答えを丸写しした。
中学まで余裕でわかった数学が、まるで歯が立たない悲しさ、惨めさ。

本来なら、自分の人生を考える機会になるはずの「倫理」「世界史」の時間は、単なる記憶を競うだけのものになり、系統だった知識は何も残っていない。
また、共通一次試験で受験しない科目は取らなくていい、というか、取れる時間的余裕がなかったため、日本史と経済と現代社会については、基礎的知識がまるで入っていない。

これが「教養がない」ってことなんじゃないのか?
私が今直面している「教養のなさ」は原因が高校まで遡れるのではないか?

そりゃもちろん、漫画ばっかり読んで、自発的学習をしてこなかった大人の自分も悪いに決まってる。
でも、私は柔軟な脳みそを持っていた高校生の頃に、面白さの種、興味の種を撒いて欲しかった。

今からもう一回、高校を受験できないだろうか?
体育とか家庭科の調理実習とか音楽なんかは、パスしていいので、授業だけ受けさせてもらえないだろうか。

もう一回、基礎から物理を教えてほしい。
特に生活上の必要はないのだけれど、わかったら楽しいだろうな、という意味で。
日常を面白がるための種として、教養が欲しい。

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はんだあゆみ
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