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もしかして、これが始まりなのか?

段ボールに詰め込まれた本が、台地になっていた和室を、夫がようやく片付けた。(山ではないのは、私の分だけ先に片づけ終わっていたから)
これで、和室の押し入れが使える状態になるので、その辺に散らかっているものの収納ができる。
ありがたや、ありがたや、と仕事をしていると、和室から
「ない!」
と叫ぶ夫の声がした。
(まーた、なにか失くしたのか)
と思いながら、様子をうかがっていると
「俺の本がない。引っ越し屋が、持って行ってしまったんだ!」
とパニックになりながら、夫が私の部屋に入ってきた。

今時、本など売ったって大したお金にならないのに、引っ越し屋さんが、あえて本だけ抜き取るなんてことを、するわけがない。
しかも、会社の信用問題に発展するとわかっていながら、そんな小銭のために危険な橋を渡るだろうか?
今、ビッグモーターがあれだけ叩かれているというのに?
引っ越し屋さんは、その引き締まった筋肉を武器に、がつがつ働く方が、コソ泥などするより絶対稼げるのだ。
だから、絶対、そんなはずはない。

とっさにそれだけ考えたが、ここで頭から否定すると、まためんどくさいことになる。
「何の本が無いの?」
と穏やかに訊くと『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)が無いのだという。
「一冊だけ?」
「ほかにも無いものがあるかもしれないけど、今わかるのはそれだけだ」
「ふーん、もう手に入らない大事な本なの?」
「いや、最悪、まだ古本屋で買えると思うから、そんなに貴重なわけでもない。だが、引っ越し業者にすぐ電話して、荷物が消えたと言ってくれ」
「いいけど、その前に、私も探していい?」
「おお。ダブルチェックは大事だからな」

夫は、几帳面にジャンルごとに棚に収容したようで、小説、ノンフィクション、現代史、思想、哲学など、一目でわかるようになっていた。
ということは、だいたいこの辺だろうと、戦後史のあたりを探してみる。
夫は後ろで
「その辺は、さっき入れたばっかりだし、俺もさんざん探して見つからなかったところだから、あるとしたら、違うところだと思うぞ」
と腕組みして、別の棚を見ている。
ふーん、と思いながら、上の段から順に見ていくと、一番下の段にグラシン紙をまいた分厚い『鎮魂戦艦大和』という本があった。

タイトルだけ見ると、何となく似てる。
著者も『吉田満』だ。
「これじゃないよねえ?」
と差し出すと
「これだ!どこにあった?」
と躍り上がって喜んでいる。
「いや。あなたが、さっき自分で入れたばっかりだ、って言ってた棚だけど?」
「あれ、おかしいなあ」

あれ、おかしいなあ、ではない。
急いで引っ越し屋さんに電話をしなくて、本当によかった。
とんだクレーマーになるところだった。

つい先日、こちらのノートにも書いたが、私たちは、もう、自分の記憶にそんなに強固な自信を持っていい歳ではないのだ。
思い込みは失敗しか生まない。

何かが間違っているとしたら、たいていの場合、自分の記憶に問題がある。
自信満々で、自分の記憶だけを信じているから、目の前にあるものも見つからないのだ。

夫は若いころから、間違ったことを堂々と主張する人だったが、最近、それに磨きがかかっている気がする。
先日、「歯周病と糖尿病は、認知症への特急券」という言葉を教えてもらい、うちの夫は大丈夫だろうかと思っていたのだが、実はもう、かなりヤバいのかもしれない。
仕事を辞めると、急にボケるというし。

しばらくの間、気を付けて観察した方がいいのかもしれない。

**連続投稿645日目**

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はんだあゆみ
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