奥平綾子ロングインタビュー
2020年5月22日、COVID19による非常事態宣言がまもなく解除されようとしていたこの日、おめめどう社長奥平綾子さん(通称ハルさん)にお話を聞かせていただくことができました。
夜七時。早寝早起きのハルさんは、すでにお風呂上がりでほろ酔い状態。
ご機嫌でいろいろ話してくださいましたが、ほぼほぼ固有名詞を出せないオフレコなお話のオンパレード。
どこまで再現できるかわかりませんが、ハルさんの語る、おめめどうストーリーをお伝えできればと思います。
でははじまりはじまり。
(ハルさんこと、奥平綾子さん)
***
ハルさんの生まれ故郷は、皆さんご存じおめめどうの社屋が建つ兵庫県の丹波篠山です。
丹波篠山は神戸から六甲山を越えたさらに北の山あいの盆地にある城下町。
戦火を免れた古い商家が並ぶ風情のある町で、古くは京都への交通の要所として栄えてきました。
呉服屋、焼き物屋などが篠山城を囲む商店街に点在し、その外側の住宅街の周りには整備された田園風景が広がります。伝統文化を愛する人たちが郷里を盛り立て、祭りや街並みに京風の文化が色濃く残っている日本遺産都市がハルさんの生まれた町なのです。
ハルさんは日本が高度経済成長に沸く頃、篠山城下の骨董屋さんの第三子として生まれました。両親、祖父、祖母、六歳上の姉、四歳上の兄がいて、お店には番頭さんや住み込みの従業員さんがいるという大家族の中で育ちました。
さすがに三人目の育児ともなると、ご両親もあれこれ目くじら立てることもなく「好きにやったらいいがな」というのが子育ての基本方針になるようで、ハルさんは、小さなころからやりたいことを止められたこともなければ、やりたくないことを押し付けられたこともないそうです。
特に、お父さんには溺愛されて育ったとのことで、重度のファザコンを自認しており、ハルさんの人生には要所要所にお父さんの哲学が活きています。
さて、商家のおひい(姫)さんとして生まれたハルさんですが、当時のハルさんのご実家はいろんな人が出入りするところでした。
朝起きると知らない人が泊まりに来ていて、朝食を食べていたり、学校から帰るとこれまた芸術家さんたちが「おかえり」と言いながらお茶を飲んでいるようなお家だったのだそうです。
生まれた時からそれが当たり前なので、「家というのはオープンなところ。隠し事なんてしようがないところ」と思い育ちます。私見ですが、この環境に育ったことは、ものすごく幸運なことだったのではないかと思います。
私事で恐縮ですが、私の父も夫もアルコールの問題を抱えています。二人とも社会的には大きな破綻なくやってきましたが、家族は時折その問題に振り回され疲弊しました。
かつてアルコール依存を専門にカウンセリングをしている団体に相談に行ったことがあるのですが
「依存症患者を抱える家族が病むのは、それを恥ずかしいことだと隠すからだ。家族の中だけで秘密を持つことで家庭の空気が澱み腐り病がほかの人にも蔓延していくのだ」
と教わりました。だから家族だけで何とかしようとしてはいけない。恥ずかしいことだからと隠そうとしてはいけない。早めに外にヘルプを出すことが大事だ、と。
なるほどと深く納得し、同時にこれは依存症だけでなく障害を持つ人を抱えた家族の課題でもあるのではないかと思っていました。私より10歳年かさの友人はダウン症の弟がいることを外では言うなと言われて育ったそうです。「そんなこと言ったら、あんたが結婚できなくなるよ」と親に言われ、弟はいないことにされていたそうです。人権って何だろうと考え込んでしまいます。
ハルさんは、隠し事のない風通しの良い家庭を当たり前のものとして育ったおかげで変な先入観を持たずに済み、障害の受容が早かったのではないだろうかとまず思いました。
でも、ハルさんが思う、この家族でよかったところはまた別のポイントなのだそうです。
「いろんな人がいるっていうことを早くから体感できたことやね。誰もが違う、同じやない」
---どういうことですか?
「ほんとに変な人って、いくらでもいるのよ。うちにきてたお客さんの中にもぎょっとするような変な人はいくらでもいたわ。
似たような環境に育った人とだけ付き合ってると、それが当たり前だと思うかもしれへんけど、世の中、びしっと線が引いてあって、こっちが変な人、こっちが普通の人ってなってるわけとちゃうやん。
ちょっと変な人からすっごく変な人まで色々いて、つながってんねん。それがわかったら、障害というのは、その中のどっかにいるだけのもんやわ、って思えるようになる。」
---なるほどです。ものすごく変な人ってなかなかお目にかかれないですが、子どもの時から「こういう人もいるのが当たり前」という環境で育てば、怖がったり嗤ったりしない人になれますよね。
「せやねん。せやから、学校も幼稚園も『特別支援何たら』いうて、分けんといたらええと思うのよ。分けるから、障害のある子を知らんで大きくなるやん? で、いきなり社会に出たら『共生しましょう』って言われても、相手がどんな人なのかも知らんのに仲良くできるかいなと思うわ」
--- そりゃそうですよね。私だってハルさんのメルマガやFacebookの投稿を読んだから、電車の中でぶつぶつ言ってるおじさんが「ディレイドエコラリア」という状態にあるんだなー、それが出てるってことはあんまり調子よくないのかなーって思えるようになったけど、知らなかったら怖いままだったと思います。
「うん。障害を持つ子を育ててるお母さんたちにアンケートしてみたことがあるんやけどな、子どもが生まれる前に知っておきたかったことは何?てな。そしたらみんな『障害のある人がどんなふうに暮らしてるのかを知りたかった』って書いてきはるのよ。
知らんまま産んで育てることになって、ようわからんから困るわけ。でも小さいころから一緒に育ってたら、どんな時にどんなふうに感じて困るのかって、わかるやん。
それを、分けておらんことにしてるから、わからんで困るねん。分けるって罪作りやと思うわ」
「私が子供の頃は、障害の子が通う養護学校が同じ学校の敷地内にあったから、時々一緒に活動することもあってな。フォークダンスの授業の時かなあ、手をつないで踊るやろ?
あとから、養護学校の先生が『〇〇くんが、ダンスの後、ずーっと中西さん中西さん(ハルさんの旧姓)って言ってるわ』って言わはるねん。
障害のある子って、なんとなく敬遠するやん。で、みんな手をつなぐ時もそーっとつないだり、指先をチョンとつないだりしてたんちゃうかな。
私はそういうの、昔からなかったから。そんで、ああ、なんか違うってわかったんちゃうかな。」
---偏見がない子どもだったんですね。 ところで、ハルさん。商売人のお家に生まれるって、お金に対する偏見無しに育つことができると思うんですけど、その辺どうですか?一般のご家庭だと、子どもがお金の話をすると守銭奴みたいでみっともないとか、そんなの子どもは知らなくていいとか、お金の教育から遠ざけようとするところがあると思うんですが。
「うーん。うちの父はね、いわゆる目利きだったのよ。骨董品を掘り出してきて、数寄者に売って商売が成り立つわけ。せやから、夕飯の席とかでもわりと『今日、お父さんが仕入れてきたこれ、いくらくらいの価値があると思う?』みたいな話を普通にしてたわ。
でな、お父さんが仕入れに行ってええと思ったもんは、家じゅうのお金をかき集めてでも買ってくるから、お金がない時はほんとに無くてね。若い時のおかあさんが、「肉屋で牛肉をじーーーっと見て、『今日は牛肉を買って食べたつもり』みたいなことは、よくあった」言うてたわ。
でも別にそれで、子ども三人がひもじい思いをしたとかってわけじゃないのよ。何不自由なく暮らさせてもらったと思うけど、商売人の家はそういう風にある種「ばくち的なこと」をやってるみたいなところがあってね。景気がよい時はものすごくお金があるんだけど、そうでもない月は収入ゼロとかね。
サラリーマンのおうちみたいに、毎月決まった収入があるわけじゃないから不安定なんだけど『うまく働いたらたくさん稼げる』っていうのが、日常やったから、そんなもんやと思って育ちました。」
--- なるほど。「うまく働く」って面白い表現ですね。うまく働いたから、社屋が建つくらい稼げたんでしょうか。
「そうやねえ。必死に働きましたよ。飯田さんは、おめめどうって何で儲かってる会社だと思ってる?」
---セミナーや講演会じゃないですか?だから、今のコロナショックで大打撃を受けてるのかと思ってました。
「起業してしばらくは、そうやったなあ。でも、ここ2、3年は、違うんよ。大体の割合やけど、巻カレとコミュメモと書籍の売り上げが六割近く。メルマガやハルネットが三割ちょっと。セミナーや講演会は一割ちょっと。あとは委託商品の売り上げ。
セミナーできひんのは痛いのは、その場で売れへんからやね。ネットではカレンダーやメモ帳が安定して売れてるからそんなに心配はしてへんねん。ものが売れる言うのは、それが役に立つ言うことやろ。めちゃめちゃ嬉しいね」
--- ええっ?じゃあ、ひとつ数百円のメモやカレンダーが主力商品なんですか? 薄利多売もいいとこですよね。
「そうやね。でもメモ帳もカレンダーも、ないと困るものやってわかってたら買うやん。お醤油使うのと同じで、それが当たり前になってたら買うやん。セミナーや講演会は入り口。やってみようかと思う人が入ってくる入り口。
で、やってみよかって、メモやらカレンダーやら買うやろ。使い続けると、生活が安定してくる。そこで、やっと信じてもらえる。せやけど、時々は困ることがあるから、お守りとしてメルマガやハルネットに入りはるねん。
だから、ハルネットなんてメンバーが100人超えてても、そんなに質問来ないよ。静かなもんやで。なんかあった時の備えにしてはんねん。それから、人の相談が読めるいうのは、大きい。それで、自分の振りが直せるから」
---なるほど、すごい仕組みですね。おめめどうといえば巻カレですけど、商品開発ってどうやってるんですか?モニターを募ったりしてるんですか?
「たいていのアイデアはね、ドライブ中に降りてくる。降臨するの。篠山はどこに行くにも車なのよ。日に何時間も車に乗ってると、フッと降りてくるのよ。アイデアが。
そんでな、あの子とあの子とあの子が使えるかも〜〜って、3人の顔が浮かぶと、「これいけそうやわ!」みたいなもんを作ったら、スタッフの子とかに使ってもらうのよ。
で、『これいいわ』って使えるようなら商品になるね。3人使ってる人イメージができたら、100人にも使える。」
---3人!特性に合っているかどうかってことがわかればいいんですもんね。そうか、検証は3人でいいんだ。 ところでハルさん。相談支援って、怖くなかったですか?自分の子どもしか知らないときに、よその子の困りごとに答えるって、すっごい難しい気がするんですが。
「そりゃ怖かったよー。
だからね、おめめどうを始める前に知り合いに頼んで、困ってることを質問してもらって、無料で答えることをしてたわ。
当時から、自閉症の特性については勉強してたからね、巷の専門職の人たちが答える程度のことは言えたと思う。でもそれは、まだまだ子どもを何とかするっていう発想だったから偽物だったと思うわ。
子どもを何とかするって考えるのは、悪いのは子どもって思ってるってことやろ?そうじゃなくて、うまくいかへんのなら周りの環境の方がこの子に合わないところがあるっていう風に考えられないと、ずーっと子どもを悪者にしてしまうやん。」
---子どもを悪者にしてしまう?
「そう。たとえば、先日『ご飯を手づかみで食べてしまいます』っていう相談が来たんよね。そういう時、スプーンやら箸やらがじょうずに使えへんから手づかみしてるんやろな、って思うやん? で、「発達性協調運動障害」です、って名前つけられたりする。
それで、障害なんやったらしゃあないなって思うか、または訓練で上達させる方法を考えるやろ?たとえば、豆を箸でつかんで皿から別の皿に移動させるとかな。豆だとおいしくないから子どもの好きなポップコーンでしましょか、みたいなこと提案するやん?。」
「でも、おめめどう的に解釈すると、その子、まず左利きかどうかを確かめる。親が右利きやと思って右に箸持たせてるけど、使いにくいから途中で嫌になって手づかみ食べしてるのよ。
自閉症って脳の障害やろ?普通の人と回路が違うところたくさんあんねん。だから左利きの人多いのよ。でも自分から『私は左利きです』なんて言わはらへんやろ?
で、それがわからんから右に持たせて、うまくいかないと発達性協調運動障害です、って言われはることがある。それ、おかしいやろ。」
「そういう時は、両方に箸の自助具置いといたらええねん。右にも左にも箸やらフォークやらがおいてあったら使いやすい方使って食べはるやろ。
下手にこぼして食べるんやったら、片付け方を教えたらいい。
そんだけのことやのに、わからんと、変な訓練させたり、変な名前つけたりしてはる。そういうのは、おかしいなと思うわ」
「それから、小さい頃から手立てをされず、叱られてばっかり育ってきたお子さん。
もう周囲に不信感がいっぱいで。手に負えなくなると「反抗性挑戦性障害」とか名前ついちゃう。
そういう次の障害名つける前に、やっぱり手立てしてほしいんです。」
---なるほど!!ハルさんは、それをどうやって知ったんですか?
「そりゃ、数するとわかるのよ。syunさんいうお師匠さんもいたし。
横で話を聞いて、万の数の相談を乗っていくうちに、わかっていく。
うちの父が晩年、能面にはまってね。小面ってわかる? 能の小面って、素人には良し悪しなんか全然わからんのよ。並べて見せられて、どっちがいい品かわかるか?って聞かれても全然わからんの。
でも、父が言うのね。『能面は、小面がすべて』(そこから派生すると)と分かったんやて。『最初はわからん。でも数をするとわかる』って。
たくさん見ると違いが分かるようになる。たくさん聞くと、見えてくるものがあるのよ。おめめどうを始めて、何千何万っていう数の質問に答えてると、わかるようになんねんな。今やったら、質問が来たとか、購入されるグッズだけで、どんな親御さんがどんな子育てしてるのか、だいたいわかるわ。」
---すごい!!
「せやろ。でもな、最初の頃は頭が毒されてるからわからへんねん。」
--- 毒されてたんですか?
「洗脳されてたっちゅうのかしらねえ。
レイルマンのあとがきに『彼は私を自閉症の文化に導き、忘れてはいけない大切なものを教えてくれるために生まれてきた』みたいなことを書いたら、syunさんにとんでもないって怒られてん。
『ダダ君は別にあんたに教えるために生きてるんちゃうで。自分の人生を生きるために生きてるんやで』ってめっちゃ怒られたのよ。
でも、当時は『息子が私のところに生まれてきたのは、私に何かを教えるために生まれてきたんだ。自閉症の親たるもの、こういう風に考えるもんだ』みたいな思い込みがあってね。要するに、障害と言うネガティブなものを背負ったからには、美談作りに必死みたいな。せやから、最初は、何を怒られてるのかよくわからんかったわ。」
--- うわー、syunさんにマジで怒られたらすっごい怖そうですよね。
「怖いよ、それは。でもな、別に人格を否定しているわけじゃないやんか。
あんたのこういうところは人権的にあかんで、って教えてくれてるだけやからねえ。でも、的確な指摘ほど、痛いんよう。つまり身に覚えがあるわけ。
なので、いろんな親御さん、最初は、syunさんsyunさんって寄ってきても、しばらくすると離れていってですわ。指摘が痛いから(爆)」
---ハルさんと、子供を悪者にする人たちは何が違ったんでしょう?
「まあ、言うたら育ち方やろね。出会いやら環境やら。
小さいころから、なんかあるとお前が悪いっていう育てられ方をしてきてる人は、人にちょっと言われただけでもすぐに『自分が悪いんだ』って攻撃されたように感じるんやろうと思うわ。そんで、そういう人たちは、自分がされたように子どもにも『お前が悪い』っていうもんだと思ってるから、どうしても障害を持った子どもが悪いっていう頭があんねん。
環境のことや自閉症の特性を無視して、悪いのはこの子だから、この子を変えなきゃって思ってはる。なかなか支援がうまくいかん時は、たいていそういう頭があるからやね」
---人の育ちって根が深いですねえ。そういう風に育ってきた人たちはどうやっても障害受容なんてできないものでしょうか。
「そんなことはないと思うよ。自分を変えるのは、『出会いと学び』と私は言うてます。
私も学んだり、怒られたりしてわかってきたことの方が多いもん。私はおめめどうで親の方は向いてないのよ。
世の中の支援者っていう人たちは、よく『親を楽にすれば子どもも楽になる』って言うてるけど、あれは違うと思う。親が楽になったって、子どもの困りごとが取り除かれない限り、お互いずっと楽にはならんと思う。まずは子どもを楽にせんことには。」
「子どもが楽になったら、生活が安定して回りだすから親も楽になると思うのよ。だから、手立てを信じて続けてくれたら今よりずっと楽になって、その結果、子供の受容も進むと思うんだけどね。」
---ハルさんが思う、障害受容のために必要なことって何ですか?
「四つあると思ってるんやけどね。
最初は『自分の子だから自分でやるしかない』って覚悟を決めることかな。偉い人に頼ればなんとかなるとか、療育で伸ばしてもらおうとかそういうことを考えてたら、自分と子どもの関係ができないままになっちゃうからね。困ったときに誰かに頼るのは大事だけど、この子を育てるのは私だって思ってない人には受容は難しいと思うわ。」
「二つ目は特性の理解。自閉症のことをちゃんと勉強することやね。大体のトラブルは自閉症の特性から来てると思っていいと思う。特性に合わせた対応をしたら解決することの方が多い。それを知らん人たちが『これはお子さんの個性ですから』って個別性を持ち出すねん。
自閉症っていうカテゴリーがあるってことは、その中に共通のものがあるってことでしょうに。それを知らないで自閉症の支援はできるわけないやん。私は個別性を強調する人は信じへんことにしてる。個別性の前に、普遍性があるんよ。そっちをまずわかる」
「三つめは、選択活動を必ずすること。うちは兄弟が二人いたからわかりやすかったんやけど、お兄ちゃんとダダ君にお菓子をあげるとするやんか。お兄ちゃんはそれが好きやないときは『こんなん嫌や』ってちゃんと言うねん。でもダダ君は言えへん。あてがわれたものが嫌でも嫌だって言えないのが自閉症。
拒否できること、好きな方を選んでいいことを早めに教えないといけない。ただでさえ同一性保持が起きやすいから、嫌なもんでも「そういうもの」になってしまう。ここはほんとに、人権意識が問われるところやと思うわ。自分のことは自分で決める。人と一緒やなくていい。障害があってもなくても」
「四つ目は年齢の尊重。同じ年頃の子が、どういうものを好きでどういうことをしてるのか、ちゃんと知ってないと、障害があるだけで、いつまでも思春期の男子にドラえもんの服着せてまうねん。幼いままいてくれたら、いつまでも親の役割をできてうれしいっちゅうのもあるんやろうけど、年齢不相応の対応は人権侵害だとわかってないとダメ。
障害のある子は、親を育てる力が弱い。だから、親の方から子離れせんと、精神的な分離はできひんのよ。せやから、してはる人には辛口やろうけど、いつまでも親の会をやってたり、子どものために作業所やデイを作ったりせんと、親も自分の好きなことを見つけて、自分の人生を生きてねと言うてます」
---子離れって、むつかしいです。お母さんの方が特に、ずっと一緒にいる分、離れがたいと思います。
「そうやね、子離れはしんどいかもしれへんね。
でもお父さんという人種は子どもとフラットな関係を作るのにあまり向いていないのよ。男の人はどうしても外で働いて稼ぐ役割を持ってるから子どもに社会を見せるというか、社会に適応させることを目標にしてるところがあると思う。せやから、この子が自分と同じように、社会に出ていけないと思ったら、途端にかわいがるだけの存在になっちゃう場合があるんよ。かわいがるのはいいんだけど、かわいがってるだけじゃ、その子なりの人生の主人公にはなれへんやん。
その点お母さんは子どもと対等な関係を作りやすい。すっきり子離れさえできれば、ずっといい関係でいられると思うなあ。」
---最後に訊いてみたかったことがあるんですが。 私が住んでいるのは相模原なので、どうしてもやまゆり園のことが今も引っかかってます。 やまゆりで亡くなった人達も、おめめどうにつながっていたら意思の疎通もできたんじゃないか、って。 ハルさん、おめめどうのグッズって大人になってからでも使えるようになるものでしょうか?
「たとえば、足が不自由な人が30年間自力でどこにも行けなくて座りっぱなしだったとして、30年目に誰かに車いすをもってきてもらったら、乗りはるようになると思わへん?同じことやと思うねん。ずーっと困ってたことが解決できる手段が目の前に出てきたら、おじさんでもおばさんでもやっぱり、使おうと思わはるんちゃうかな。遅いってことはないと思うわ。
ただね。それを教える親は歳いってると、やっぱり若いころほどの情熱も気力もないから、本人が使いこなせるまで付き合えるか、その手立ての意味を理解できるかっていうところはネックになってくると思う。今までやってきてないことを負い目に感じるとなると、無意識に拒否もしはる。
支援者次第やないかなあ。「ご家庭ではされてないので」と施設でもしないいうのは、どっち向いて支援しているのか、ようわからん」
---そうか。たしかに。今からもう一回子育てしろって言われても、私も無理だしなあ。
「せやろ。だから、無理せんでもいいと思うねん。できない人にやれ、やれ言うても嫌われるだけやし。やりたい言うて来る人にだけ、伝えたらええと思ってます。
昔は、みんなに知ってほしかったけど、今は、そこまでは思わない。棲み分けたらいいと思ってます。まあるくなりました。」
丸くなったというハルさんから、支援に絡む利権や談合や天下りの話も熱く語っていただいたのですが、これ以上はちょっと書けそうにないことばかりなので、今回はここまでにしておきます。笑
インタビューさせていただいての印象なのですが。
私は以前からハルさんがご自身のことを「自分はAD/HDだ」というのがよくわかりませんでした。どの辺がそうなんだろう?とずっと思っていました。
が、今回、ZOOMの画面越しに話すハルさんを見ていて、ああ、この人本当にAD/HDなんだなとようやく理解できたように思います。 なぜなら、晩酌タイムでくつろいでいるはずのハルさんなのに、話している間中ゴソゴソ動いたり髪を触ったり左右に揺れていたり一瞬たりともじっとしていなかったから。
質問に対しても、おそらく、ハルさんの中ではつじつまが合ってるのでしょうが、ロジックが二段階くらい飛んでいることも多かった。
なるほど、ここか!と思うと同時に、おめめどうはやっぱりハルさんだからできた会社なんだなと思いました。
閃いたことをやってみずにはいられない、失敗してもそれがストッパーにならない。 AD/HDの女社長さんが、思いついたら即実行、トライアンドエラーを繰り返して大きくなってきたのがおめめどうなのだろうと思います。
私にとって同時代に生まれてよかったと思っている人の一人がハルさんなのですが、今回ハルさんの育ちのお話が聞けてとても面白かったです。 ハルさん、どうもありがとうございました。
(在りし日のシェリーさんと。シェリーさんはハルさんの愛犬でおめめどうのマスコットキャラクターとして書籍の裏面に印刷されています。)