ホームグラウンド①
もう5年越しで、あそこに戻りたいと思っていた場所がいくつかある。
そのうちの2つに今日、行ってきた。
友人が連れて行ってくれたのだ。
ハードなパンが美味しい南大沢のチクテベーカリーと、ちびっこ連れでも、一人でも歩き回っていた野津田の自然が残るならばい谷戸。
けっこうショックだったのは、2箇所とも頭の中に場所のイメージは完璧にあるのに、そこに至る道を忘れていたこと。
あれだけ頻繁に通った道なのに、記憶というのは筋肉と同じで、使わないと判断されたものはどんどん削ぎ落とされていくらしい。
体の自由がきかなくなって、海で遊べなくなったら、神奈川に帰ってきてまたこの辺りに住みたい、その時のために好きな場所の土地勘は無くしたくないと思っていた。
けれども、通りすがりに見た不動産の案内掲示板の家賃がとんでもないことになっており、これは無理かもなぁ、と思う。
同じ間取りと広さなら、ざっくり松山の3倍はする感じだ。
私がもらえる予定の年金で住めるところは、最寄駅の近くにはひとつも無かった。
一生ここには帰れない覚悟を決めて、松山に住むしかないのかもしれない。
チクテベーカリーでは、夢に見るほど食べたかった「あんバタ」と「クリームチーズとプルーンがごっそり入ったパン」を買って、友人と谷戸で食べた。
幸せ。
ならばい谷戸は、NPO団体が管理していたと記憶していたが、今日はその管理をされていらっしゃる方々にも初めて会った。
一帯のナラ枯れがひどく、倒木の危険があるため、傷んだ木を切り倒す作業をされてるのだという。
「枝が落ちてくるかもしれないから、頭の上に注意して歩いて」
と声をかけてくださった。
「こんな作業を70〜80歳の人間がやってるんだ」
とおっしゃっていたのは、後継者がいないという意味の嘆きだったのだろうか。
言われてみれば、メンテナンスの及ばないエリアが増えたようにも思う。
視界を遮る草木が繁り、私の知っている景色とは少しばかり変化していた。
子どもの遊びやすい優しい自然が残る場所は、誰かが管理してくれているからそういうふうに保たれている。
私たちは意識せず、その恩恵に預かっていたのだ。
仮に私が谷戸や里山の管理作業を引き継ぎたいと思っても、知識も技術もない人間にできることはない。
これから教わっても、幼い頃から農作業と里山管理を生業としてきた人たちには、遠く及ばないだろう。
全て教わる前に寿命が尽きる気もする。
(という言い訳をして動かない時点で、そもそもやる気がないのは明白だ)
ということは、おそらくあと10年もすれば、この景色は見られなくなるのだろう。
私がホームグラウンドの景色に浸れるのは、もしかすると、これが最後なのかもしれない。
生々流転とか、行く川の流れは絶えずして、とか、子どもの頃にはさっぱりわからなかった感覚が、どんどんわかるようになってきて、嬉しいやら悲しいやら。