「もってて」といわれ続けていた外遊びの日々
私は敦賀に来る前、「のびる」という名の野外保育を主宰していた。
よく「伸びる」と勘違いされるが、そうではなく「野蒜」が由来だ。
保育のフィールドにしていた谷戸にたくさん生えていて、春先に掘り返して食べていた野草の名前である。
就園前の、お母さんから片時も離れたことのない2歳児を、主な対象としてお預かりしていた。
のびるの後に洗濯機を回すと、いろんなものが出てくる。
今の時期なら、潰れたカラスウリ、しなしなにしおれたキバナコスモス、柑橘類の皮、小石などなど。
どれも子どもたちに「もってて」と言われてポケットにつっこみ、お互い忘れてしまったものだ。
忘れているくらいだから、たぶん途中でそっと捨てても、誰も何も言わないと思うのだけれど、その時の子どもの気持ちが面白いので、ついそのまま持ち帰ってしまう。
そして、洗濯されてふにゃけたそれらを、取り出して眺めては、ニヤニヤしてしまうのだ。
例えばカラスウリ。
あの年は大豊作で、どれだけとっても、もなくならないくらいあった。
子どもたちは、カラスウリはポケットに入れておくと潰れると学習しているので、両手が塞がると、それ以上取れない。
でも「あんなにたくさんあるのに!もっと取りたい!」と思っている。
そこで、手近な大人に
「これ、持ってて」
と頼み、好きなだけ収穫して満足して忘れてしまう、というわけ。
キバナコスモスは、綺麗だからお母さんのお土産にしよう、でも、いま棒を持ってるから手が塞がってるしなあ。
「これ、もってて」。
柑橘類の皮は、ご飯も終わってひとあそびして、ちょっと小腹が空いた時に見つけたゆず。
皮を剥いて食べてみたけど、ものすごく酸っぱかった。
でもすごくいい匂い。
この匂いは好きだな。
「これ、もってて」。
小石は、川に投げようと思って拾ったけど、向こうにもっといい石がありそうだ。
「これ、もってて」。
その時の気持ちが、可愛くて愛おしい。
今を生きてる感じが、本当に素晴らしい。
子どもに癒されてるのは、わたしだなあといつも思う。
友人で保育士の先輩あいちゃんから、
「子どものために私がいるのではなくて、私のために子どもがいるのだ」
という柴田愛子さんの名言を教わった。
本当にその通りだ。
私が子どもたちをケアしているようで、実は、自分が一番ケアされ癒されていた。
私が子どもたちを必要としていたのだ。
最近、赤ちゃんにがっつり接する機会があったので、神奈川の子どもたちのことをよく思い出す。
みんな、元気でそのまま大きくなってくれているとうれしい。
離れていても、君たちの幸せを願い続けているよ。
**連続投稿281日目**