【ネタバレだらけ】映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想。プロットに全然納得できない!
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を初日に観てきた。全体としては悪くなかったし映画を観る経験としては楽しかったけど、プロットにはたくさん不満がある!とはいえ、観るならネタバレを見ないで観たほうが絶対に面白い(し、観る価値はあると思う!)から、以下は、映画を既に観た人か、絶対に観ない自信がある人だけが読んでください。
なお、観てから何日か経ってるし、一回しか観てないし、スパイダーマンやMCUについてそんなに知識ないので、間違ってたり思い違いだったりするとこもあるかもしれません。
<<<以下ネタバレだらけ>>>
ピーター = ピーター3
トビー = ピーター1/スパイダーマン1
アンドリュー = ピーター2/スパイダーマン2
まずは、良かった点。
1. 演技が上手い。
特にノーマン・オズボーン役のウィレム・デフォーとかめちゃくちゃ上手かった。さすが。
2. アクションがすごい。
私、アクションシーンそんなに好きじゃないから、これは個人的にはそこまで重要なポイントじゃないけど、これの前に観た『シャン・チー』と比べたらやっぱり圧倒的にお金かかってるって感じ(『シャン・チー』ちょっと安かったもん、そこも含めて好きだったけど)。アクション好きな人だったら当然すごく良いんだと思う。なんか殴り合うシーンが多くてそれはあんま好きじゃなかったけどな。ただただ暴力的って感じがして、規模も小さいし。でも、そういうこと言ったらそれが醍醐味なのにって怒られるのかも、その辺は分からん。
3. とにかくファンサービスの映画。
まあ、とにかく、トビー、アンドリュー、トム(、そして原作も?)のスパイダーマンのファンにサービスする映画って感じだった。私はトビー版見たことなくてアメスパも1つ目しか観てなくて(それならこの映画語る資格ないとか極端な人は言いそうだけど)、だから誰がどれとかなにとかは全部は把握できてなかったけど、それでもみんな集まってわいわいした感じは楽しいし、ファンにとってめちゃくちゃ盛り上がるってことは十分に伝わった。というか、知識がなくても十分盛り上がった。アンドリュー(←俳優)のこと元から好きだし。
(4. アンドリュー(←ピーター)が物語を一つの形でやっと閉じることができてよかった。あのシーンはすごくよかった。)
で、キャストはめっちゃよかったけど。
本当にキャスト(とアクション)を楽しむだけの映画って感じで、MCUやスパイダーマンの熱烈ファンではなく、トム版スパイダーマンを1、2と観てきて今回も割と単体の映画として観てた私の視点からしたら、今回の映画のプロットにはまっっっっっったく納得できなかった。
全体を通して不満があった点はまとめると2つ。① 登場人物が成長しない、② 伏線が回収されない/伏線が良くない。
不満①登場人物が成長しない
登場人物の成長を楽しむっていうのは物語の楽しみ方として王道だと思う。しかもこのトム版スパイダーマンは1作目からスーパーヒーロー映画と青春映画の両立を明言しているようなとこがあって、ピーターやその他の登場人物になんとなく思い入れがあるし、成長してほしいじゃん。で、しないじゃん全然!
まず、悪役たちね。悪役たちが成長することなんて期待されてないよって言われるかもしれないけど、私は期待した。だって、彼らを「なおす」って言うんだもん!ピーターがメイに「この人(オズボーン博士)はヘルプが必要だ」みたいなこと諭されるでしょ。こういう人達を助けることこそがスパイダーマンの役目なんじゃないのみたいなメッセージをメイから受け取るでしょ。で、ピーターは、悪役たちがすぐに死ぬって分かっててボタンを押すことはできないって言って Dr. ストレンジとバトってまで止めるでしょ。その時、私は、ああ、スパイダーマンがこの悪役たちをこれから「治そう」とするんだな、って思ったの。そしたら、ピーターが、「今の技術があれば、」とか言い出して、え?ってなった。「治す」じゃなくて「直す」って話だったのこれ????少なくともメイがシェルターでオズボーン博士に温かいお茶(?)だしてあげて話ちょっと聞いた後にピーターに言ってたのはきっとそういう話じゃなかったよね?私は、序盤でオズボーン博士がマスクを壊すとことか脳内で声が聞こえてるとことか含め、要するにこの悪役たちは全員心が少し弱いところがあって、あるいは心の病気があって、それ故に悪者になっちゃった、だから、解決策として、彼らを殺す(例えばボタンで一発で元の世界に戻すことによって。)んじゃなくて、彼らを治すという道もあるんだ、今回のピーターはそっちの道を選ぶんだみたいなことなのかなって思ったの、最初は。オクタビアスに「なんでボタンを押して死なせないんだ」って聞かれてMJが代わりに「それが彼だから」って答えるのは、今回のスパイダーマンはちょっと違う道を選ぶんだぜってことなのかと思った、最初は。オズボーン博士は薬品の副作用で精神が蝕まれてるということらしいし、オクタビアスも機械のアームが精神にも影響してたみたいなこと今回の映画で言ってたから、精神が変なのは純粋に外部に乗っ取られてるせいだとも言えるけど、とはいえ実際、乗っ取られてしまったのも本人の元々の心の弱さが出たっていうのは絶対にあると思う。あるいは、どんなメンタルヘルスの病気も、結局病気というある意味外部のものとの戦いであると思う。で、心を治すなら、現実世界でもそうだけど、自分を変えたい人生を変えたいっていう本人の意思が一番大事で、周りにできることはそれをプロフェッショナルの力を用いて治療していくってことでしょ?なんか外部の人間が本人の意思とは全く関係なく(むしろ本人のその時点での意思とは真逆に)ハイテクの機械をぶっ刺したらハイ解決!人間性も完全に変わりました!って、、、私には全然ピンと来なかった。結局それって、ぶっ刺すことができたのは3人のピーターs+αの物理的な力が悪役たちの物理的な力を上回ったからで、要するに殴り合いで勝てたからうまいこと解決できましたってことだよね。いやアクション映画ってそういうものよって言われそうだけど、だったらもうピーターs+αの力で悪役を全員倒しちゃえばいいじゃん。過去作の世界に(ボタンで)戻されてたら全員死んでたのと同じように。なんかこの映画で一気に殺しちゃうのも何か後味悪いし収まり悪いよねみたいなのを小型機械をぶっ刺せば一気に人間性が変わるっていう話で安易に解決しようとしたように思えた。それに、上に書いたけど、それは殴り合いで片方が物理的に勝ったって話じゃん。そんなのなんなら機械同士の戦いでもいいじゃん。暴走した最強ロボットの停止ボタンを何とか押すって話と何も変わらないじゃん。そうじゃなくて、スパイダーマンは超人的能力を持ったスーパーヒーローだけど、スーツを脱いだら普通の高校生としての葛藤がある、つまり、人間だっていうのはこのシリーズの超重要なポイントじゃん。そして、悪役側も(少なくとも今回は。ヴェノムいなかったし)感情を持った人間なんじゃん。だからこそ、自分の心の中にある弱さとか邪悪さとかを振り切りたいって気持ちがもしかしたら悪役側にあって、心の底では変わりたいと思ってて、つまり、彼らは強い機械とは違くて人間で、だからこそ自分たち自身のことも悪役たちの人間味のことも信じる気持ちを持つピーターたちが勝って治療ができるっていう要素がほんの少しでもあったらもっと納得できたと思う(誰よりも、メイが、この人(たち)(少なくともオズボーン博士)は変わりたいと思ってるし変わることができるって本気で信じたんでしょ?その思いを引き継いでほしかったしその思いが役立ってほしかったよ)。っていうかさー、エレクトロとかって別に元々人格を乗っ取られるわけじゃないんだよね?彼の場合、自分でも言ってたけど力を奪われて「凡人」のマックスになっちゃったから、もう悪さを「しない」んじゃなくて「できない」だけってこと...?何も治らなかった...。
そして肝心のピーター。
まずですね。お前、トビーに止められてんじゃねえよ!!!!!!!って思った。そこはさ、本人の意思で止めないとダメじゃないの???って思った。怒りに任せてぶん殴って殺すなんてそれがメイが望んだことなわけないでしょ?メイは、死ぬ覚悟まではしてなかったかもしれないけど、少なくともめちゃくちゃ怖くて危ない(そして実際に死んでしまうような)目に遭った直後にそれでも「私たちは正しいことをしたと思う」って言ったんだよ???それを蔑ろにするの?いや、まだ17歳とかの少年で愛する唯一の家族を失ったばかりで冷静じゃなくて、それは分かるけど、それを乗り越えられるのがスパイダーマンの強さなんじゃないの?私はそんな壮絶な経験してないからピーターに偉そうに何様だって言われるかもしれないけどさ(というか、ピーターに対してじゃなくて脚本家に対してそこはピーターにそうさせないとダメでしょ!ってこと)。とにかく、実際には、怒りに任せて殺そうとしちゃった。物語の終盤なのに。メイは命まで失ったのに、メイの気持ちや意思を受け取ってくれなかった。しかも、どうせそこで殺しちゃうんだったら前に(高校の屋上で)ボタン押してればよかったじゃん。でもその時押さなかったのは、トビーとアンドリューに諭されたからだったよね。なのに、その学びが生かされていない、その学びポイントを経て実は成長していない、っていうことに物語上はなっちゃったと思う。
そして、最後ね。「ピーターは、序盤では、子どもであるため、世界を救うことよりも愛する人たちを周りに置くことを優先してしまった。それに対し、終盤では、一人でも生きていけるという覚悟を決め、自分のニーズより世界を守ることを優先した。そこに、ピーターの大きな成長が見られる。」・・・ってことなんですか?違ったらごめん。でもそういうことなんだとしたら、全然納得いかない。納得いかない理由は2つ。1. 自分勝手だったと思うから。2. そういうことになってないと思うから。
②-1. 自分勝手だと思う
メイを失ったうえに大好きなMJやネッドやハッピーに忘れられてしまう・・・とんでもない自己犠牲であることは間違いないと思う!けど、ピーターのせいで周りの愛する人たちが危険に晒されるっていうのはピーターが抱える超絶大きな悩みではあるけど、それってピーターだけの決断でも悩みでもない。MJやネッドだってこれまでに何度も命の危険を経験してきて、それでも誇りを持ってピーターの傍にいるんだよ。映画では描かれないけど、絶対めちゃくちゃ悩むときだってあったと思う。ピーターと違って自分の身を守る身体能力も持ってないし。(でも、MJもネッドもメンタル鋼だよね?私ならああいう緊迫した場面やましてや命が危ない場面だったらパニックになって大泣きしてると思う。二度と同じような目に遭うなんて耐えられないわ。そういう意味では、ピーターと一緒に「いたい」だけじゃなくて「いる能力を持っている」とも思う。)ピーターが偶然特殊能力を手に入れてしまった→それを正義のために使うことで自らが犠牲にするものもたくさんあるけどそれでも正義のために使っていくことを決断する、っていうのと同じくらい、MJたちが偶然スパイダーマンと親しくなってしまった→危険があったってピーターと一緒にいるって決断するってうのは尊重されるべきものだと思うの。2人はピーターに巻き込まれてるんじゃなくて、主体的に傍にいるFOS(Friends of Spider-Man)なの。離れようと思ったら離れられるけど、離れないでいるの。MJはMITに不合格になった後、「私はそれでも何も後悔してない」って言った。それは強がりもあったと思うし落ちたのはショックだったとは思うけど、そのセリフに嘘があったとは全く思えない。そして、スパイダーマンがピーターのアイデンティティの根幹であるのと同じくらい、FOSであることも、ピーターの友だちであることも、MJやネッドのアイデンティティの根幹の一部でしょ?映画の主役でなくても彼らの人生の主役でしょ?そのアイデンティティをピーターが独断で奪っちゃダメだったと思う。だって例えば、トニースタークやDr. ストレンジが、これが世界のためだ・ピーターのためだとか言って、ピーターに相談せずに特殊技術や魔法でピーターを勝手にスパイダーマンじゃなくするとか許されないでしょ?勝手に決めて事後報告するんじゃなくて、MJとネッドと相談して一緒に決めてほしかったよ。結論が全く同じだとしても。脚本家は、あんな2秒でピーターが決断しなきゃいけないみたいな設定にしないでほしかったよ。っていうか、最初の方で、しかもただ最初の方ってだけじゃなくて1回目にうっかり世界中の人の記憶からピーターを消しそうになっちゃった後に、次にMJとネッドに関わる大きな決断をするときは先に相談するって約束したよね?あれはなんだったわけ?1回目:相談しない→魔法をやりそうになるけど結局やらないで魔法が崩れてとんでもない事態になった。2回目:相談しない→魔法をやった。この状況を、私は成長とは解釈できなかった。そして、どれだけの自己犠牲であったとしても、同時に独りよがりで自分勝手だって思った。何がMJやネッドやハッピーや他の人の人生にとって最善か、幸せかってピーターが勝手に決めていいことじゃない。MJやネッドみたいな一般人だって死にさえしなければ人生オールオッケーじゃない。
あ、ちなみに、この論点からはずれちゃうけど、主体的に傍にいる関連で言うと、ピーター、最後にグリーンゴブリンにはっきり言い返してほしかったよ!!グリーンゴブリンが「メイはお前のせいであの場にいたからお前が殺したも同然だ」みたいなこと言って挑発するじゃん。いやいやいやいや、悪役たちを治そうっていうのむしろメイの発案だから!メイは大怪我してなお、「私たちは正しいことをした」って言ったんだから!あたりまえだけど、メイはピーターに巻き込まれた不運で可哀そうな叔母さんなんかじゃなくて、自分の意志であの場にいたの。オズボーン博士がグリーンゴブリンにある意味打ち勝てるって信じてくれたメイをグリーンゴブリンが殺したの!挑発に乗って殴ったらグリーンゴブリンのセリフを受け入れたみたいだから、はっきり言い返してほしかった...。
②-2.
えっと、最初はMJに自己紹介してすべてを説明するつもりだったけど、カフェで説明を切り上げちゃったのは、やっぱりもう説明はしないってこと?でも、その後高卒認定試験を目指して勉強するっていうのは、結局やっぱり(MJとネッドのいる)MITを目指すってことだよね?そして、MJとネッドと改めて友だちになろうってこと?それともMJとネッドとは関係なく大学行こうってだけ?
まず、結局改めて親友・恋人になるのだとしたら、一人で生きていくってわけじゃないってことだよね。ただただ時間が無駄になっただけで、やり直しってこと。だから別に一人で生きていく覚悟をしたというよりか、状況的にあと2秒で決めないといけなくてかつそれしか選択肢がなかったからそうしただけっていう。仮にMJやネッドと繋がり直さないとしても、じゃあ一生誰とも深い繋がりを持たずに生きていくつもりってこと?そうでない限りはやっぱり別に一人で生きていくわけじゃないってことだよね。
で、改めて親友・恋人にならない場合...。1.の論点に戻っちゃうけど、それは許されないと思うよ私は。だって、Dr. ストレンジが魔法を完了する直前、約束したんだもん!その約束を破るのはほんとに許されないよ。だって事前に相談せずに決めたのに。事前に相談せずに勝手に決めておいて、その後の条件が絶対にまたやり直すからっていう約束で、それを破るのは本当に自分勝手すぎる。破るんだったらそんな約束しちゃダメだった。その方がMJとネッドのためだからとか、そんなのピーターが勝手に決めて良いことじゃない!彼らの間にあった関係性はピーターだけの所有物じゃない!自分の都合だけすぎるよそれは。
なんか、今回で周りの人との繋がりが一旦全部なくなって、孤独のスーパーヒーローになって、それでこそスパイダーマンだから、これはある意味でスパイダーマンのオリジンストーリーだって解釈があるみたいだけど。なんで孤独であることがスパイダーマンであるための必要条件なのかが私には分からないの。なんで?最初の方で、Dr. ストレンジが、ピーターとスパイダーマン両方の人生を生きようとしてることが根本的な問題なんだみたいなこと言ってたけど、どうしてスパイダーマンの人生しか生きちゃいけないの?全く理解できないから解説してほしい。解説してもらったらたぶん反論する気がするけど...。なんか、トビーは叔父さんを殺されちゃってアンドリューはグウェンを殺されちゃって、その後トビーはMJと完全に付き合ってるわけじゃなさそうだしアンドリューは恋人がいなくて、2人とも親友もいなくて、でも2人がピーターの前に現れてお兄ちゃんみたいなメンターみたいな立ち位置で来て、そのおかげで、今回のピーターは両立できてほしかった。ミステリオのこととか恋人・親友との関係性とか進路とか色んなこと、記憶の消滅によって雑に(ある意味楽に)解決するじゃなくて、すごく複雑で大変な問題に対してその複雑さ大変さを正面から受け入れて、知恵を絞って、一緒に解決してほしかった。両立しようとして失敗してるのが問題なんだ→じゃあ両立をやめますじゃなくて、両立しようとして失敗してるのが問題なんだ→両立を成功させます、両立を成功できます、なぜかというとスパイダーマン(の身体能力)がすごいんじゃなくてすごいのはピーターだからなんだっていうを見たかった。ピーターのアイデンティティはスパイダーマンになれる超人的能力を持ってることだけじゃなくて、周りにいる親友たちとの関係性も、その関係性がMJやネッドにとってアイデンティティの根幹の一部であるのと同じように、ピーターをピーターたらしめてるって言ってほしかったな。だって実際本当はそうだと思うから。ピーターは孤独になったって人間だし、周りとの関係性がアイデンティティを(プラスにもマイナスにも)構成していない人なんていないと思うの。そして、ピーターを立派なスパイダーマンたらしめてるのは、スパイダーマンとしての能力じゃなくて、正義感とか、人を救いたいって気持ちとか、そういうピーター由来の部分だってことにピーター自身が気づくことが一番成長の物語として私には納得感あったと思う。なのに・・・スパイダーマンかピーターかどちらかしか選べない、あるいはその2つが切り分けられるっていう前提をそもそも正しいものとをして受け入れ、その上、スパイダーマンを選んでピーターを捨てたことを、オリジンストーリーとして受け入れるべきなんですか?
ちなみに、その、人間状態のとき(例:ピーター、トニー、ノーマン、マックス)と、特殊能力を持つ状態のとき(例:スパイダーマン、アイアンマン、グリーンゴブリン、エレクトロ)が完全に切り分けられるって考えが好きじゃないっていうのが要するに私がずっと言いたいことなんだろうな。だからさ、映画側の主張では、悪役たちは、特殊能力を持つ状態のときになんかハイテクの機械をぶっ刺されたら普通の人間っていう全く別のものになるんでしょう?そして私は、人間状態の時の心の問題は特殊能力状態と切り分けられない問題なんだから、「なおす」っていうなら人間側(ノーマン、マックスetc.)の心を治さなきゃじゃん、人間側の意思が必要じゃんって思ったってこと。なんか、スーパーヒーローものって、とはいえ感情のある人間が戦ってるからこそ面白いって面もあるのかなって思いこんでたけど、結局やたらと(物理的に)強い者同士が壮大に戦うのを見たいだけってことなの?
最後に、唯一成長するのはMJなのかなあ。成長の描写なんだろうなというものは確かにあったよね。最初の方では、ピーターがビデオ通話でMJの好きなところの1つは「楽観的なところ」って皮肉の冗談を言って(つまり悲観的であることを指摘して)、MITに関してもMJは「最悪を想定しておけばそんなに落ち込まないで済む」ってネガティブな発言をしてる。それに対し、最後の方では、ピーターのことは覚えてないけど「最悪を想定しておけば...」と言ったピーターに対して「なぜかわからないけどなんかうまく行く気がしてるんだ」とポジティブな返しをする。なんかめっちゃそれっぽいっちゃそれっぽいけど・・・なぜ成長したのかが全くピンと来なかった。一連の騒動があってとりあえずメイ以外は死なずに何とか解決できて(できたといっていいのかしら)、それでなんか人生なんとかなるやメンタリティが突然身についてそれは記憶を失っても何となく残ったみたいなこと?その、何となく残ったっていうのは別にいいと思うけどなんでそのメンタリティが今回身についたのかが全然ピンと来ない。
不満②伏線が良くない
ここ、最初は普通に書くつもりだったけど、①に熱意がこもりすぎてほとんど既に書いちゃった。だからもういいやって感じだけど、
・序盤でDr. ストレンジの家の地下室で次は相談するってMJがピーターに約束させ、ピーターはMJとネッドに約束する。→次も相談しないし、約束の意味が全くない。
・MJの「最悪を想定しておけばそんなに落ち込まないで済む」、すごく伏線ぽかったんだけど、伏線にしてはネガティブすぎる。結局のところピーターがMJとのつながりを仄めかすのとMJが成長したことを(私に言わせれば無理やり)示すために使われただけ。なんか、もっと元がポジティブなセリフで、かつ、ピーターの戦いに役立ったら理想的だったな。なんかサブの女性キャラが言った結構伏線ぽかった(そう思ったの私だけかもだけど)ことがメインストーリーに特に何も役立たないってのちょっと残念。
・メイが序盤に、悪役たちを治してあげるのではなく捕まえようとするのは彼らのため?それとも自分のため?と聞く。オクタビアスになぜピーターが彼らを救おうとするのか聞かれ、MJが「それが彼だから」と答える。そうか、ピーターを襲おうとする者まで救おうとするのが今回のピーターなのか!と思ったら・・・メイを殺された後は、トビーとアンドリュー(とMJ)に止められなかったらボタン押しちゃうし、トビーに止められなかったらグリーンゴブリン殴り殺しちゃうし、あと戦いに勝ってなんとか機械をぶっ刺して悪役たちを「直す」のも自分のためとは言わずとも全然彼らのためって感じはしなかった。
・オズボーン博士が自らの手でグリーンゴブリンのマスクを破壊する→声を無視できたのは最初のその時だけで、その後は完全に乗っ取られて外部から強制的に機械をぶっ刺されないとオズボーン博士はグリーンゴブリンに打ち勝てない。
あと伏線とは違うけど、無意味・・・ってなったのは、
・MITの副学長に直談判して、MJとネッドだけでなくピーターまで再考してもらえることになった→すべてが無意味。
・あの、最初の取り調べシーン、結構長かったけど、意味あった??なんかMJとメイの女子2人はしっかりしてて堂々としてて、ネッドはやたら調子乗ってしゃべっちゃって(っていうのもピンとこなかったけどね、ネッドはさすがにもうちょっと賢いでしょ)、、、っていうのを言いたかっただけ?それ言って何になったんだろう、別にその後の何にもつながらないし...。もしかしてなんかファンサービスのことがあったんだけど私が気づかなかった・元ネタの知識がなかっただけかな?
・トビー、刺されて、ただただ痛い!でも痛いだけ!(これも何かのオマージュなの?)
最後に
なんか、全体的に男っぽい映画だなあって思った。っていうのは、男性社会っぽいってことね。
具体的には、
・エモーショナルな成長に重きが置かれず、結局こぶしのぶつけ合いで強い方が勝つ
・男は問題を1人で解決するもので、エモーショナルサポートがいなくても独立出来てこそ男だ、立派なヒーローだみたいな価値観
・目線が常にピーターで、周りの人の主体性のことをほとんど考えてない
・メイやMJの気持ちや考えがメインストーリーにちゃんと反映されない
ところ。
トビーとアンドリューのスパイダーマンは時代的にも少し前だったし(、グウェン死んじゃったし)、登場人物が人数的にも男性だらけでしたね(笑)。まあそれ自体はそこまで気になったわけじゃないけどね、それよりも物語の進め方の男っぽさのほうがなんかあんまり今っぽくないなあって感じはしたし何より私の感覚とは合わないところが多かったなあ。
あとごめん、もういいよって感じだけど、最後のやつさあ。
結局、世界が変なことなって5人の悪役が来ちゃって、それに何とか勝てたところで、もっと悪役が来そうで、もう戦い疲れたしこれ以上無理だからやっぱり諦めますってことだよね?その5人は元の世界で死なずに済んだけど、それだけで、あとは最初から魔法を使ってたのと全く変わらないってことだよね...。何だか...意味があったのかこのすべてはみたいな...。そして、悪役たちは死ぬこともなく普通の人間たちに戻れたのにグウェンを生き返らせることはできないアンドリューの気持ち......。
あとさ、なんで「ピーターのことを知ってる人がいなくなる」じゃなきゃダメだったんだっけ?「ピーターがスパイダーマンだと知っている人がいなくなる」じゃどうしてダメだったんだっけ?むしろ後者の方が物語上の論理的にも腑に落ちる気がするんだけど...。だいたい、ピーターのことを知ってる人がいなくなるって、なんか学校にいた記録もなくなったみたいだけど(だから高卒認定試験受けるんだよね?)、出生記録とかパスポートはあるの?どうやって大学受験するの(アメリカの大学受験だったら課外活動歴と可も重要だし)...?ハッピーまで忘れちゃって...。どうやって都合よく記憶が変えられたんだろう...。しかもさっきも言ったけどネッドとピーターとかって一緒に育ったんでしょ?ピーターの記憶がなかったらネッドの性格・人格も少しは違うはず...。考え出したらキリないね。
でも、とにかく、あの終わり方にする必然性があまりにもなさすぎて、なんか悲しさのためだけに悲しくしてるみたいな感じで、私はあの終わり方は本当に好きじゃなかった。なんか、映画のその時点までは色んなツッコミどころもまあそんなもんでしょって流せたけど、そこは流せなくて映画館でもやもやもや...になった。っていうか、悲しくしたいんだったら、メイを殺したグリーンゴブリン(オズボーン博士ではなく。)はこの世界はおろかどの世界にももういなくて、でもグリーンゴブリンへの怒りはピーターに一生残り続けることとか、悪役たちの命は救えたけど、それ以外の結果は何も変わらなかったのに、最初からあんな軽率な魔法のやらかしをしてなかったらメイが死ぬことはなかったという後悔を捨てられないかもしれないこととか、十分に悲しい・重い要素は既にあったと思うんだけど...。特に触れられることはなかったけど...。うん、ていうか、これ書いて改めて思ったけど、この騒動を全て終えてピーターが一番に反省すべきなのは、大切な人たちの近くにいちゃったことより何より、圧倒的に、世界を変え得るパワー(とのコネ)を持ってるのに軽率に行動したことだね?どう考えても。ノリだけで記憶を変えて大丈夫っしょって思っちゃった傲慢さだね?「僕には関係ない」「お前はスパイダーマンだ、強い力を持った者には責任がある」ってくだり何回かやってたけど、マジでそれ以前に、完全に自分が蒔いた種だったからね?(Dr. ストレンジの責任は一旦置いておく。)でさー、しつこいけど、その特大やらかしの原因は自分だけの判断で迂闊に動いたことなのに、物語全体の最終的な解決策が周りとの縁を全部切ることなんですか?!やっぱり納得できねえ!!!!!!
長々と書いちゃったけど、まあ、結局何に一番腹が立ってるかというと、メイとMJという唯一の女性キャラ(そしてネッド)の主体性を完全に無視してるように感じられるところなのかな。それは映画側も、恐らく観ている側の多くも。「ピーターは愛する人を巻き込んでしまう...」って言ったときの、ピーターに愛されて巻き込まれる人っていうのが彼女らの全てじゃ全然ないでしょって思っちゃって。ピーターの葛藤のためだけに存在してるオブジェクトにしないでほしいなあって。
あと他に書くとこなかったんだけどアンギャウリーちゃん(ベティ役)が出てくれたのはすごくうれしかった~。アンギャウリーのインスタも彼女のポッドキャストのインスタもフォローしててすごく好きだから。
最後に、
こんなさ、突然橋の下からタコ男が出てきて道路と車をわしゃわしゃ破壊してきたり、突然世界の半分が5年間いなくなったりして、もう1人残らず鬱&PTSDでも全然おかしくない世界で、朝ちゃんと起きて、仕事とか学校とか行って、壊(さ)れた建物を直して、花に水やって、きっと明日が来るって信じる、日常を諦めない普通の人たち、特殊な身体能力がなくても十二分にスーパーだしヒーローだと思う。皮肉とかじゃなくて。MCUファンの大半には反対されるだろうけど、そういう人たちの物語も観てみたいなあ、私は。