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反・自殺論考 1

 ニューヨークの自宅マンションを出て、いつものように川沿いを散歩中、橋の上の群衆が目に止まり、そこから飛び降りようとしている男を、彼らが説得していることに気づくや、

「この人が死にたいなら死なせてやれ! 彼の人生の終わり方に口を出すのは君たちの仕事ではない!」

 と杖を振り回し、人ごみを掻き分けて、右腕のない老人が叫ぶ。

 『反自殺論』

 というタイトルの本を書きませんか、と編集者に言われた時、まず頭に浮かんだのが、この逸話だった。その後、タイトルが『反・自殺論考』に変わっても、序文から消えることはなかった。

 この「右腕のない老人」の名が、パウル・ヴィトゲンシュタインであり、あの哲学者の兄、という情報を付け加えれば、読者も興味を覚えるかもしれない。
 十九世紀のオーストリア帝国、ハプスブルク家末期の治下で財を成した大富豪カール・ヴィトゲンシュタイン、その四男と五男として誕生した彼らの兄は、三人とも自殺している。

「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」

 二十世紀の哲学史上、最も有名かもしれないこの言葉の主こそ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインであり、彼もまた兄たちと同様、自殺の誘惑に取り憑かれた生涯を送った。
 通常そうしたイメージで語られがちだが、実際のところ、彼が繰り返し自殺の危機に見舞われたのは、代表作『論理哲学論考』を書き上げる直前に親友を失い、完成まで七年を費やしたその本がなかなか出版されず、愛と悲哀に悶え苦しんだ三十歳頃までの話である。

 それ以降は、思春期から絶えることのなかった自殺願望が嘘のように薄れ、未遂どころか死の気配すら感じさせない、平穏無事な「素晴らしい人生」を送った。
 とも言い難い波乱の生涯だったのはイメージの通りだが、それ以上に動乱の生涯を送り、生前は弟ルートヴィヒより有名な存在だったのが、いわゆる片腕のピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインである。

 第一次世界大戦が始まる一年前、すでにプロのピアニストとしてデビューしていた兄が、開戦後まもなく戦場で右腕を失ったという報に接した時、同じく戦場にいたルートヴィヒは、こう日記に書いた。

憐れなパウルのことを繰り返し考えざるをえない、天職を突然失ってしまうとは! なんと恐ろしい。どんな哲学がこれを乗り越えるには必要なのか! 自殺以外に方法があるのだとしたら!!

1914年10月28日

 結局この戦争中に自ら命を絶ったのは、彼らの兄であるヴィトゲンシュタイン家の二男、コンラートだった。
 母国の敗戦がほぼ決まっていた終戦直前、上官から無謀な交戦を命じられた彼は、部下たちを無駄死にさせられないと、抗議の自殺を遂げたのだ。

 という美談らしき逸話も残っているが、上官の命令に背いたから軍法会議を恐れたとか、交戦を命じたのは彼で、それを部下に拒まれて孤立したとか、ただ敵軍の捕虜になるのがイヤだった等、様々な記録や証言が残されており、実のところ彼が何故死んだのか、真相は不明である。

 では何故パウル・ヴィトゲンシュタインは、自殺しなかったのか。

 天職と信じるピアニストという仕事があり、撃たれた右腕を切断した直後に捕虜にされ、シベリアの抑留先でも木箱をピアノに見立て、練習を続ける強靭なメンタルがあり、左腕一本で雷雨の中を遠泳したり、高層マンションのバルコニーの柵に昇り、その上を綱渡りのように歩いたりと、もともと命知らずの人間であった等、様々な理由が考えられはするものの、その真相も不明である。

 そもそも人が自ら死ぬ、あるいは死なない理由や、自ら死んだ状況、死ななかった事情に「真相」などありえるのか。
 あったとしても「語りえない」のではないか。それこそ「沈黙しなければな」のでは?

 でも沈黙したら本書もいきなり終わってしまうので、何かしら語ってみることにして、ひとまず序文を終えます。こうヴィトゲンシュタインも書いていますから。

 長い序は危険だ。本の精神は序の中に表れてしまうが、精神を説明することはできない。

1930年11月6日


1.自殺しかけた諸隈元シュタインの前半生


諸隈さんも

二十代の頃に自殺を考えていたと本で書いてありましたが、自殺を考える日々はいづれなくなるのですか?

(中略)

さっき諸隈さんの本をちょっと読み返してみたんですが、一度でも死を考えたことある方に聞いてみたい質問です。

  こんなメッセージが後輩の大学生から、LINEで来たのは2022年6月12日、日曜日の午後8時8分である。
 まだ現在進行形の話であり、差出人のプライバシーもあるため、経緯と詳細は将来、笑い話として消化できる状況になってから、機会があれば語りたいと思う。

「なくなる」

 ととりあえず返信した。

「なくなる」

 大事な事なので二回言った。根拠はない。僕の場合そうだったと言うしかない。ヴィトゲンシュタインの場合もそうだ。

 根拠を使い尽くせば、固い岩盤に突き当たり、私の鋤は反り返ってしまう。その時こう言いたくなる。「ただこうしているだけなのだ」

『哲学探究』217節

 などと引用している場合ではない。
 要するに、自殺を考える日々が「いづれなくなる」根拠は何なりと語れるが、いくら語ってもその根拠を正当化することはできないのだ。
 が、何をどう語ろうが現に今おれは語っている。つまり生きている。自殺を考える日がないこともないが日々はない。その時こう言いたくなる。

「なくなる」

 そう返信したものの、自分の体験談だけでは説得力に欠ける。
 だから一般論も紹介すると、子供の脳は大人のそれよりストレスに弱い。ストレスを受けると、人間の脳はTHPというホルモンを分泌し、それが不安を抑えるブレーキ役になるらしいが、青少年の未熟な脳では真逆、つまりTHPがアクセルになり、不安を増幅させてしまう。
 だから若者は自殺しやすい。

 そう言いたいところだが、そうも言い難いのは、若者の自殺率も大人のそれと同じく各国各地域によってバラつきがあり、不安の昂りが自殺に即つながるとは限らないからだ。
 しかし十代と二十代の死因一位が自殺、という日本の現状ではTHPとやらの影響も決して無視できないと思う。だから僕も二十代で死にたくなったのだろう。

「十代では死にたくならなかったんですか」
「日本は三十代の死因一位も自殺ですよね」

 そうツッコマれると沈黙せざるをえない。
 ヴィトゲンシュタインは十代と二十代に自殺に取り憑かれていた、という話をすると「いや、日本人じゃないですよね」とツッコマれざるをえない。
 だが僕の自殺願望が三十代以降、

「なくなった」

 これは事実である。
 たまたま恵まれた環境にいるからではないか。結果的に今が幸せだから言える台詞ではないか。作家になるという夢は叶えましたもんね、などなど様々なツッコミは予想される。
 それらに対しては、いやいや、むしろ家に引きこもっていられた二十代のほうが恵まれてたよ。今が幸せって言っても実家暮らしが前提で、親が死ねば路頭に迷う身だよ。作家になっても第二作が世に出たのは七年後、やっと本を一冊出せたその年の年収すら163万円足らずだし、そのうち半分は最低賃金の時給で稼いだバイト代だよ、などなど反論できる。
 が、いくら語っても疑問は無限に生じうるし、回答を正当化することもできない。今おれは語っている。だから言いたくなる。

「なくなる」

 その繰り返しである。


小説家という仕事

今日から本屋でのバイトを始めた。
先輩方は店長はじめ、いいひとたちばかりだ。

(中略)

本屋での仕事は楽しい。
もしこの世に小説家という仕事と力がなかったのなら、
おれは本屋をやっていたかもしれない。

 こんな文面が日記に綴られたのは、2003年4月1日である。
 曜日と時間は覚えてないが過去形の話であり、当時二十四歳だった書き手のプライバシーはないため、詳細を笑い話として消化しよう。
 この世に小説家という仕事と「力」がなかったのなら?

 と日記帳(とは名ばかりの大学ノート)には書いてあるが、そう見えるだけで、意味は解らない。
 ヴィトゲンシュタインのように暗号で書いたわけではない。彼の日記にも字がつぶれて解読不能な文が時々あるが、それを真似たわけでもない。
 仕事と「か」がなかったのなら、とか書いたのだろうか。どちらにしても恥ずかしい文章を書いた。曲がりなりにも作家を志す人間が。

 2002年の3月に大学を卒業した僕は、一年間の引きこもり生活を終え、何がきっかけだったか、就職しろという母親のプレッシャーに負けたのか、家から自転車で十分の本屋でアルバイトを始めた。
 まさか店がつぶれるまで、十五年も続けることになるとは思わなかった。すでに小説は書き始めていたが、デビューまで十一年かかるとも思っていなかった。デビューできないのではないか、とは思っていたと思う。

 もうバレバレだろうが、僕が三十歳まで引きこもりをした、という経歴は嘘である。週二~三回、のべ十時間くらいは本屋で働いていたから、完全な引きこもりではない。
 例えば厚生労働省は、引きこもりの定義を「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、六か月以上続けて自宅に引きこもっている状態」としているから、その定義に則れば、僕は引きこもりではない。
 とはいえ「交流をほとんどせずに」の「ほとんど」の定義が曖昧だから、引きこもりの経歴を謳うことは、完全な詐称でもない。

 ヴィトゲンシュタインも講義(の内容を学生がノートに書き取り、それが謄写版でコピーされ、青い表紙を付けられて学内外に出回り、後世に残された本の中)で言っている。

我々の使う諸概念を明確に定義できない理由は、その真の定義を知らないからではなく、真の「定義」など存在しないからである。真の定義が存在しなければという考えは、子供がしているボール遊びにも、必ずゲームを支配する規則がある筈だ、という考えと似ている。

『青色本』

本屋の仕事

 ともあれバイトを始めたものの、早くも5月19日の日記には、

本屋の仕事が楽しい、などど書いてしまったことを後悔している。あれはただ、未知の体験を楽しがっていたがゆえの感想にすぎない。

 と泣き言を書いていた。しかし仕事自体というより、バイト仲間との「社交」が嫌だったらしく、

ああ、耐えられない。なんのためにおれは大学から会社から全力で逃げ出したのだったか!!

 と慨嘆している。恐らくは大学の友人との社交を「心の売春」と称して軽蔑し、ノルウェーの奥地に出奔したヴィトゲンシュタインになりきっていたのだろう。
 ちなみに僕が「会社」に勤めたことはないので、単に就職しなかったことを意味しているのだろう。しかしヴィトゲンシュタインが社交から逃れたかったのは、論理学の研究に没頭せんがためだった。
 当時の自分は?

そろそろ仕事に復帰しなければならない。
のに。なかなか————。

 と書かれたのは10月15日である。
 この「仕事」というのは「小説を書くこと」である。論理学の研究を「仕事」と称していたヴィトゲンシュタインを真似ているのは、彼が日記に多用した「————。」という傍線も含めて明らかである。
 でも仕事に「復帰」と書いているということは、それまで小説を書くのをやめていたことになる。

 いつからやめていたのか。バイトを始めて以来やめていたのか。
 哲学を一旦やめ、庭師をしていた頃のヴィトゲンシュタインの名言の一つに「夕方に(庭師の)仕事を終えると疲れてしまって、その時は不幸だと感じません」というのがあるが、自分も(本屋の)仕事に疲れきり、小説を書こうとは思いません、と言いたくなる状態だったのか。
 全く覚えてないが日記は、
 
俗事のすべてを投げうってまで、仕事に没頭することができないということはつまり、おれにそれだけの覚悟がないという証拠なのだろうか
 
 と続く。ということはつまり、全てを投げ打ってノルウェーのような場所へ行きたかったのに、ヴィトゲンシュタインになりきれなかったのだろう。

ひとりで暮らしたい。
ひとりでなければ 小説が書けない。
でも。
小説を書き、それが認められなければ、ひとりで暮らせない。

 と書いたのは翌2004年2月17日だ。
 家族の、主に母親との「社交」に煩わされて、研究に集中できなかったヴィトゲンシュタインの慨嘆を思わせる。
 思わせるだけで、実際そこまで大層な話ではない。母親から「就職しろ」に加えて「作家になるなんて諦めろ」的なことを何度か言われた記憶はあるが、そう強い口調でもなく、口論が起きたりもせず、いま思えば大した問題ではない。
 当時は大した問題だった。あまり書きたくないし、だから書かないが、母ばかりか妹に対して殺意を仄めかす、いや明示する言葉もちらほら日記には見える。

 繰り返すが、いま思えば大した問題は起きていない。
 起きていないのに、非常に切迫した精神状態だった。僕以上に神経過敏なヴィトゲンシュタインですら、家族に危害を加えるような発言は残していないし、従軍中の日記は同僚兵士に対する痛罵で溢れているものの、それ以上でも以下でもない。
 それ以外の日記は焼かれた可能性もなくないが、真実がどうあれ、これらの記述を僕が残した事実が消えることは(今こうして書いて、公開してしまった以上は)ない。

おまえが作品を完成させる日は来ない。
 とささやく声がする。
よしてくれ。ぼくは必ず完成させてみせるから。

 とあるのは4月18日。
 幻聴でも聞いていたのだろうか。統合失調症の前兆か。
 などと言いたくなるのはヴィトゲンシュタインもまた、やれ分裂病気質だ、やれ統合失調症の発症寸前だ、いや自閉症だアスペルガーだと、後世の精神科医から好き勝手に診断されているからだ。
 僕も過去の自分を診断してほしくなる。僕の本を読んでくれた専門家からは、ASD(自閉スペクトラム症)と診断された。

 が、おかしい。

 頭がおかしいのは今も変わらない。日記がおかしい。どこにも「自殺」という言葉がなく、それを仄めかす表現もない。
 自分の記憶では、大学卒業から三十歳までの「七年間、ひどく(物理的にも精神的にも)孤独に苦しんだ。その頃いつも自殺することを考えたが、勇気がなかったのを恥ずかしく思っている。自分がこの世で無用の存在なのを知りながら、卑劣にもそれを無視して来た」という、まさに青年時代のヴィトゲンシュタインが友人に語った言葉通りの心境だったはずだ。

 と思いながら頁を繰っていたら、別の日記帳に、あ、あった。
 2月15日だ。二年後の2006年の。

起きるのがつらい。バイトに行きたくない。
仕事がしたい。死にたい。
 


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