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柳田國男『遠野物語』現代語訳2〈魂の行方・まぼろし〉【VTuber諸星めぐる】

めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員VTuberの諸星めぐるです!
この冬休みは、『遠野物語』の現代語訳とちょこっと解説をしていこうと思います!

『遠野物語』の解説アーカイブはこちら



魂の行方

・二十二

佐々木氏の曾祖母が歳を取って亡くなった際、棺に納め、親族の者たちが集まり、その夜は皆座敷で寝た。
死者の娘で乱心のために離縁させられた婦人もまた、その中にいた。
喪の間は火の気を絶やすことを避けるのがその土地の風習で、祖母と母との二人だけは、大きな囲炉裏の両側に座り、母はそばに炭籠(すみかご)を置き、ときおり炭を継いでいた。
ふと裏口の方から足音がして来る者がある。
誰か来たのかと見てみれば、音の主は亡くなった老女であった 。
いつも腰が曲がって着物の裾を引きずってしまうので、裾を三角に持ち上げて前に縫い付けていたのだが、まったくそのとおりの姿で、着物の縞模様にも見覚えがあった。
声をあげて驚く間もなく、二人の女の座っている炉のわきを通り過ぎるとき、裾で炭斗(すみとり)に触れると、丸い炭とりはくるくると回った。
母は気の強い人なので、振り返って後を見送ってみると、死んだ曾祖母は親縁の人々の寝ている座敷の方へと近づいていく。
直後、乱心の娘が、 「おばあさんが来た」とけたたましい声で叫んだ。
他の人々はこの声に目を覚まし、ただ驚くばかりであったという。

原文
佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むがところの風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡りの両側に坐わり、母人ははびとは旁らに炭籠を置き、おりおり炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音してくる者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かがみて衣物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち臥したる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声に睡りを覚さましただ打ち驚くばかりなりしといえり。
○マーテルリンクの『侵入者』を想い起こさしむ。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
いわゆる幽霊話である。
ただ、足(裾)はあるし、物理的接触できるしで「幽霊」と言えるかわからない。
なんとも不思議な話。


・八十六

土淵村(つちぶちむら)の中央で役場や小学校などがある所を字本宿(あざほんしゅく)という。
ここに住む豆腐屋を営む政という者は、いま三十六・七歳ごろである。
この人の父が大病で死にかけていた頃、この村と小烏瀬川(こがらせがわ)を隔てた字下栃内(しもとちない)で工事があり、地固めの堂突き(どうづき)をしているところへ、夕方に政の父がひとりでやって来て、人々に挨拶し、
「おれも堂突きをしなくては」と、しばしの間仲間に入って仕事をし、やや暗くなってから、みんなと一緒に帰った。
あとになって人々が、 「あの人は大病のはずなのに」と少し不思議に思ったが、後に聞けば、その日亡くなったとのことであった。
人々がお悔みに行き、今日の出来事を語ったところ、その時刻はちょうど病人が息を引き取ろうとする時間と同じであった。

原文
土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字本宿という。此所に豆腐屋を業とする政という者、今三十六七なるべし。この人の父大病にて死なんとするころ、この村と小烏瀬川を隔てたる字下栃内に普請ありて、地固めの堂突をなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に挨拶し、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆とともに帰りたり。あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。人々悔みに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
こんな感じで、遠野物語の幽霊は結構活発。
このお父さんなんて、なんで工事に参加しないといけなかったのか、令和の今となってはわからないけど、当時はその因果関係に納得いく人が多かったのかもしれない。

・八十七

誰だかは忘れたが、遠野の町の豪家(ごうか)で主人が大病をして、生死の境をさまよっていた頃、ある日ふと菩提寺を訪ねてきた。
和尚が彼を丁重にあしらい、茶などを勧め、世間話をした。
やがて帰ろうとする様子に、少々不審なものを感じたので、後から小僧に見に行かせると、門を出て家の方に向かい、町の角を曲がって見えなくなったという。
その道でこの人に会った人はまだ他にもいる。
誰にもよく挨拶して普段と変わらぬ様子ではあったが、この晩に亡くなったので、もちろんその時は外出などすべき容態ではなかったという。
後に寺では、茶は飲んだのかどうかと茶椀を置いたところを改めてみたところ、畳の敷き合わせに全部こぼれていた。

原文
人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩いして命の境に臨みしころ、ある日ふと菩提寺に訪い来たれり。和尚鄭重にあしらい茶などすすめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遣やりしに、門を出でて家の方に向い、町の角を廻りて見えずなれり。その道にてこの人に逢いたる人まだほかにもあり。誰にもよく挨拶して常の体ていなりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき様態にてはあらざりしなり。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶椀を置きしところを改めしに、畳の敷合せへ皆こぼしてありたり。

『遠野物語』柳田國男

・八十八

これも似た話である。
土淵村(つちぶちむら)大字土淵(おおあざつちぶち)の常堅寺(じょうけんじ)は曹洞宗で、遠野郷十二ヶ寺(じゅうにかじ)の触頭(ふれがしら)である。
ある日の夕方に、村人の何某という者が本宿(もとじゅく)からの道で何某という老人に会った。
この老人はかねてより大病を煩っている者だったので、 「いつの間によくなったのか」と尋ねてみると、
「二・三日気分もいいので、今日は寺へ話を聞きに行こうと」と言い、寺の門前でまた言葉交わしたのちに別れた。
常堅寺でも、和尚はこの老人が訪ね来たので、出迎え、茶を勧め、しばらく話をして帰る。
この時も小僧に見に行かせると、門の外で見えなくなったので、小僧は驚いて和尚にはなした。
よく見ると、またお茶は畳の間にこぼしてあって、老人はその日に亡くなったという。

原文
これも似たる話なり。土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗にて、遠野郷十二ヶ寺の触頭なり。或る日の夕方に村人何某という者、本宿より来る路にて何某という老人にあえり。この老人はかねて大病をして居る者なれば、いつのまによくなりしやと問うに、二三日気分も宜しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にてまた言葉を掛け合いて別れたり。常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来たりし故出迎え、茶を進めしばらく話をして帰る。これも小僧に見させたるに門の外にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見ればまた茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日失うせたり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
元気な幽霊話たちである。
魂と肉体の感覚が、当時は今より分裂してて、さらに魂の方も具体的だったのかもしれないと思う。


・九十五

松崎の菊池某という、今年四十三・四歳になる男がいる。
庭作りが上手で、山に入り草花を掘っては自分の庭に移し植え、形のおもしろい岩などは重さも気にせず家に背負って帰るのを常としていた。
ある日、少し気分が重いので、家を出て山に入って散歩していたところ、今まで一度も見たことのない美しい大岩を見つけた。
日頃から道楽者なので、これを持って帰ろうと思い、持ち上げようとしたが、とてつもなく重たい。
ちょうど人の立ったような形をしていて、高さもだいたい人ほどである。
それでも欲しさのあまりに岩を背負い、我慢して十間ばかり歩いたのだが、気が遠くなるほど重いので怪しく思い、道の傍らにこれを立て、少しもたれかかるようにしていると、そのまま石と共にすっと空中に昇ってゆく心地がした。
雲より上になったように思ったが、とても明るく清らかな場所にいて、あたりにいろんな花が咲き、しかもどこからともなく大勢の人の声が聞えてきた。
それでも石はなおますます上昇し、ついには昇りきったのか、なんにもわからなくなった。
その後、時が過ぎて、気がついたときには、やはり以前のように不思議な石にもたれたままであった。
このままこの石を家の中へ持ち込んではどんなこと起こるかわからない `と、恐ろしくなって逃げ帰った。
この石は、今も同じ場所にある。
ときどきこれを見て、また欲しくなることがあるという。

原文
松崎の菊池某という今年四十三四の男、庭作りの上手にて、山に入り草花を掘りてはわが庭に移し植え、形の面白き岩などは重きを厭わず家に担い帰るを常とせり。或る日少し気分重ければ家を出でて山に遊びしに、今までついに見たることなき美しき大岩を見つけたり。平生の道楽なればこれを持ち帰らんと思い、持ち上げんとせしが非常に重し。あたかも人の立ちたる形して丈もやがて人ほどあり。されどほしさのあまりこれを負い、我慢して十間ばかり歩みしが、気の遠くなるくらい重ければ怪しみをなし、路の旁かたわらにこれを立て少しくもたれかかるようにしたるに、そのまま石とともにすっと空中に昇り行く心地したり。雲より上になりたるように思いしがじつに明るく清きところにて、あたりにいろいろの花咲き、しかも何処ともなく大勢の人声聞えたり。されど石はなおますます昇り行き、ついには昇り切りたるか、何事も覚えぬようになりたり。その後時過ぎて心づきたる時は、やはり以前のごとく不思議の石にもたれたるままにてありき。この石を家の内へ持ち込みてはいかなることあらんも測りがたしと、恐ろしくなりて遁げ帰りぬ。この石は今も同じところにあり。おりおりはこれを見て再びほしくなることありといえり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
最後の一文がたまらなく好きな話である。現実と不思議の距離が近い。
今よりも「上に飛んでいく」ことへの不思議感はあったはずなのに、遠野物語には結構「上にいく」感覚が登場する。めちゃおもろい。


・九十七

飯豊(いいとよ)の菊池松之丞という人は、急性熱性病を患い、たびたび死の淵に陥った。
そのとき、自分は田んぼに出て、菩提寺の喜清院(きせいいん)へ急いで行こうとしている。
足に少し力を入れてみると、不意に空中に飛び上り、だいたい人の頭ほどのところを次第に前下りに行き、また少し力を入れると、始めのように昇るのをくりかえした。
何とも言えない心地よさであった。
寺の門に近づくと人が大勢集まっていた。
「どうしたんだろう」と不思議に思いつつ門をくぐり抜けると、紅の芥子の花が見渡す限り咲き乱れている。
いよいよ心地よい。この花の間に、亡くなった父が立っていて、
「お前も来たのか」と言う。これに何か返事をしながらさらに行くと、以前亡くした男の子がいて、「トッチャも来たのか」と言う。
「お前はここにいたのか」と言いつつ近寄ろうとすれば、
「今来てはいけない」と言う。
このとき、門のあたりで騒がしく自分の名を呼ぶ者がいて、うるさいことこの上ないが、仕方がないので、心も重くいやいやながら引き返したと思ったら、正気にもどった。
親族の者が寄り集まって、水など注ぎ掛けて呼び戻してくれたのである。

原文
飯豊の菊池松之丞という人傷寒を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下に行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快し。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつつ門を入れば、紅の芥子の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎよび生かしたるなり

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
いわゆる臨死体験になる。何よりおもろいのは、亡き父と息子の反応の差である。
ここら辺、単に怖いだけじゃない、何かがありそうな気がするので調べたいところ。
臨死体験の浮遊感、あの世の風景ににかよりがあるのも注目したい。


・九十九

土淵村(つちぶちむら)の補佐役の北川清という人の家は字火石(あざひいし)にある。
代々の山伏で、祖父は正福院といい、学者で著作も多く、村のために尽力した人である 。
清の弟で福二という人は、海岸の田の浜(たのはま)へ婿に行った。
しかし、先年の大津波に遭って妻と子とを失い、生き残った二人の子と共に元の屋敷の場所に小屋を作って一年ほど住んでいた。
夏の初めの月夜に、便所に起き出したが、遠く離れた所にあって、行く道も波が打ちつづける渚である。
霧の立ちこめる夜で、その霧の中から男女二人が近寄ってくる。
見れば、女はまさしく亡くなった我が妻であった。
思わずその跡をつけ、はるばると船越村(ふなこしむら)の方へ行くと岬の洞のある場所まで追ってゆき、名を呼ぶと振り返ってにこっと笑った。
男の方は、と見れば、これも同じ里の者で、津波で死んだ者であった。
自分が婿に入る以前に互いに深く心を通わせていたと聞いた男である。
「今はこの人と夫婦になっている」と言うので、
「子供は可愛くはないのか」と言うと、
女は少し顔色を変えて泣いた。
死んだ人と会話をするとはどうにも思えなく、悲しく情なくなって足元を見ている間に、男女は再び足早にそこを立ち去り、小浦(おうら)へと続く道の山陰(やまかげ)をめぐって見えなくなった。
追いかけてみたが、ふと 「あれは死んだ者だった」と思い出し、夜明けまで道の真ん中で立って考え、朝になって帰った。
その後、長らく病気をしたという。

原文
土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布しきたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩らいたりといえり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
なんとも悲しい話。けど好きな話。
未練とあの世の境界が曖昧で、死者と会話をすることの非現実性と出来事の間で嘆く福二もまた悲しい。

・百

船越(ふなこし)の漁夫・何某の話。
ある日仲間の者と一緒に吉利吉里(きりきり)から帰る途中、夜深く四十八坂(しじゅうはっさか)のあたりを通ったところ、小川のある所で一人の女に会った。
見れば、自分の妻である。
だが、こんな夜中にひとりこの辺りに来る道理もないので、絶対に化け物に違いないと確信し、すぐに魚切庖丁を持って背後から刺したら、悲しい声をあげて化け物は息絶えた。
しばらくの間は正体を現さなかったので、さすがに気にかかり、後のことを連れの者に頼み、自分は走って家に帰ったところ、妻は何事もなく家に待っていた。
妻は「今恐ろしい夢を見た。あんまりにも帰りが遅いから、夢の中で途中まで見に出かけたけれど、山道で誰か分からない者に脅かされて、命を取られると思ったところで目が覚めた」と言う。
さてはと合点がいって、再び以前の場所へ引き戻してみれば、山で殺した化け物は、連れの者が見ている間に、ついに一匹の狐となったという。
夢の野山を行くときに、この獣の身を借りることがあるとみえる。

原文
船越の漁夫何某。ある日仲間の者とともに吉利吉里より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のあるところにて一人の女に逢う。見ればわが妻なり。されどもかかる夜中にひとりこの辺に来くべき道理なければ、必定化物ならんと思い定め、やにわに魚切庖丁を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。しばらくの間は正体を現わさざれば流石に心に懸り、後の事を連れの者に頼み、おのれは馳せて家に帰りしに、妻は事もなく家に待ちてあり。今恐ろしき夢を見たり。あまり帰りの遅ければ夢に途中まで見に出でたるに、山路にて何とも知れぬ者に脅かされて、命を取らるると思いて目覚めたりという。さてはと合点して再び以前の場所へ引き返してみれば、山にて殺したりし女は連の者が見ておる中についに一匹の狐となりたりといえり。夢の野山を行くにこの獣の身を傭うことありと見ゆ。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
狐と夢の不思議な話。
主観で読むのか、妻の方で読むのか迷う。
全国各地で化た狐(たぬき)が死んでもしばらくは正体を見せない話があるのもおもろい。



まぼろし

・二十三

佐々木氏の曾祖母の二七日(ふたなのか)の逮夜(たいや)に、親しい知人らが集って夜の更けるまで念仏を唱え、さて帰ろうとしていたとき、門口(かどぐち)の石に腰掛けてあちらを向いている老女がいた。
その後ろ姿はまさしく亡くなった人そのものであった。
この現象は大勢の人が見たので、誰も疑わなかった。
彼女にどんな執着があったのか、最後まで知る人はいなかったという。

原文
同じ人の二七日の逮夜に、知音の者集まりて、夜更ふくるまで念仏を唱え立ち帰らんとする時、門口の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。そのうしろ付つき正しく亡くなりし人の通りなりき。これは数多の人見たる故に誰も疑わず。いかなる執着のありしにや、ついに知る人はなかりしなり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
幽霊になって出てくる→未練がある
の構図が明治にも残っていると考えられるエピソード。
あと、幻を「多くの人が見た」ことが信ぴょう性の裏付けになっているのも興味深い。


・七十七

山口の田尻長三郎というのは土淵村(つちぶちむら)一番の財産家である。
当主である老人の話では、この人が四十くらいの頃、老人の息子が亡くなり、その葬式の夜、人々が念仏を終え、おのおの帰っていった後、この老人は話好きだったので、少し後れて席を立ったところ、軒の雨落の石(あまおちいし)を枕にして仰向けに寝ている男がいた。
よく見れば見も知らぬ人で、死んでいるようであった。
月明かりの中で見ると、膝を立て、口を開けていた。
老人は度胸のある者だったので、足で動かしてみたが、少しも身じろぎしない。
道をふさいでいて、ほかにどうしようもないので、結局この男を跨いで家に帰った。
次の朝行って見れば、もちろん男の跡形もなく、また誰も同じように男を見たと言う人はなかったが、その枕にしていた石の形とあった場所は昨夜見たとおりだった。
老人が言うには、 「触ってみればよかったのだが、すこし恐ろしくてただ足で触れただけだったので、まったく何物の仕業だったのか見当がつかなかった 」とのことである。

原文
山口の田尻長三郎というは土淵村一番の物持なり。当主なる老人の話に、この人四十あまりのころ、おひで老人の息子亡なくなりて葬式の夜、人々念仏を終りおのおの帰り行きし跡に、自分のみは話好ずきなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の雨落の石を枕にして仰臥したる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。月のある夜なればその光にて見るに、膝を立て口を開きてあり。この人大胆者にて足にて揺うごかして見たれど少しも身じろぎせず。道を妨げて外にせん方かたもなければ、ついにこれを跨ぎて家に帰りたり。次の朝行きて見ればもちろんその跡方もなく、また誰も外ほかにこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と在りどころとは昨夜の見覚の通りなり。この人の曰く、手をかけて見たらばよかりしに、半ば恐ろしければただ足にて触れたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思いつかずと。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
これまた不思議な幽霊話。
そもそも、誰かわかってないので厳密には「幽霊」ではないのだが、遠野の幽霊は結構触れるものが多い。

・七十九

この田尻家に奉公する山口の長蔵という老人がいて、その父もまた長蔵という。
代々田尻家の奉公人で、その妻と共に仕えていた。
若い頃夜遊びに出かけ、まだ宵のうちに帰ってきて入口から入ったところ、洞前(ほらまえ)に立つ人影が見えた。
懐に手を入れて筒袖(つつそで)の袖口を垂れ、顔はぼうっとしてよく見えない。
長蔵の妻は名をおつねという。
「このおつねのところへ来た夜這いの相手ではないか」と思い、つかつかと近寄ってみると、奥の方へは逃げずに、逆に右手の玄関の方へ寄るので、人を馬鹿にするなと腹が立ち、さらに進めば、懐に手を入れたまま後ずさりして、玄関の戸の10センチほどほど開いた隙間からすっと中に入った。
しかし、長蔵はそれを不思議とも思わず、その戸の隙間に手を差し入れて中を探ろうとしたが、中の障子はしっかり閉まっていた。
ここで初めて恐ろしくなり、少し引き下がろうとして上を見れば、今の男が玄関の雲壁(くもかべ)にぴたりとくっついて自分を見下ろしていた。
その首は低くたれ自分の頭に触れるほどで、その眼の球は30cmくらいは飛び出ているように思われたという。
ただ、このときはひたすら恐ろしかっただけで、特段、何事の前兆でもなかった。

原文
この長蔵の父をもまた長蔵という。代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。若きころ夜遊びに出で、まだ宵のうちに帰り来たり、門の口くちより入りしに、洞前に立てる人影あり。懐手をして筒袖の袖口を垂れ、顔は茫としてよく見えず。妻は名をおつねといえり。おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは遁げずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま後ずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に入りたり。されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の隙に手を差し入れて中を探らんとせしに、中の障子は正しく閉ざしてあり。ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の雲壁にひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く垂れてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出てあるように思われたりという。この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。
○ヨバヒトは呼ばい人なるべし。女に思いを運ぶ人をかくいう。
○雲壁はなげしの外側の壁なり。

『遠野物語』柳田國男

・八十一

栃内(とちない)の字野崎(あざのざき)に前川万吉(まえかわまんきち)という人がいた
`この方は二・三年前に三十余で亡くなっている。
`死ぬ二・三年前の六月の月夜のこと。
この人も夜遊びに出かけて帰り、入口から回って縁に沿い、角まで来たとき、なんの気なしに雲壁(くもかべ)を見れば、ぴたりとくっついて寝ている男がいた 。
その男は蒼ざめた表情であったという 。
万吉さんは大いに驚いて病んだりしたが、これも何の前兆でもなかった。
田尻氏の息子の丸吉(まるよし)がこの人と仲が良くて、この話を聞いたという。

原文
栃内の字野崎に前川万吉という人あり。二三年前に三十余にて亡くなりたり。この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でて帰りしに、門の口より廻り縁に沿いてその角まで来たるとき、六月の月夜のことなり、何心なく雲壁を見れば、ひたとこれにつきて寝たる男あり。色の蒼ざめたる顔なりき。大いに驚きて病みたりしがこれも何の前兆にてもあらざりき。田尻氏の息子丸吉この人と懇親にてこれを聞きたり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
これは妖怪の類なんだろうか。
ペラペラの化け物って怖いよね。
妖怪が出ると何かの前兆と思うロジックも面白い。
原文には家の平面図での解説とかも載ってるので、合わせて見て欲しい。


・八十二

これは田尻丸吉(まるよし)という人の実体験である。
子どもの頃のある夜、居間から立って便所に行こうとして茶の間に入ると、座敷との間に人が立っていた。
かすかにぼうっとしてはいるが、衣類の縞も目鼻もよく見え、髪は垂れていた。
恐ろしかったが、そこへ手を伸ばして探ってみると、そのまま板戸にがたっと突き当たり、戸の桟(さん)に触った。
しかし、自分の手は見えず、その上に影のように重なって人の形がある。
その顔の所に手をやれば、手の上に顔が見えた。
居間へ帰って人々に話し、行灯を持っていってみると、もう何者もいなかった。
丸吉さんは近代的な人で、聡明な人である。
また虚言を吐く人でもない。

原文
これは田尻丸吉という人が自ら遭いたることなり。少年の頃ある夜常より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立てり。幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れたり。恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも触りたり。されどわが手は見えずして、その上に影のように重なりて人の形あり。その顔のところへ手を遣ればまた手の上に顔見ゆ。常居に帰りて人々に話し、行灯を持ち行きて見たれば、すでに何ものもあらざりき。この人は近代的の人にて怜悧なる人なり。また虚言をなす人にもあらず。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
ホログラム幽霊譚である。
他の幽霊が現実と虚構の「少し現実寄り」にあるのもふくめ、この幽霊は珍しい。
ただ、現在の幽霊は(触ってみようとする人がいるかはさておき)こっちの幽霊のイメージの方が多い気がする。
他と違いすぎるからなのか、信ぴょう性に教養をソースにしているのもおもろい。


・百六

海岸の山田では、蜃気楼が毎年見える。
その蜃気楼はきまって外国の景色であるという。
見慣れぬ都の様子で、路上の馬車は多く、人の往来も目覚ましいばかりである。
毎年、家の形も少しも違わないという。

原文
海岸の山田にては蜃気楼年々見ゆ。常に外国の景色なりという。見馴れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。年ごとに家の形などいささかも違うことなしといえり。

『遠野物語』柳田國男

ひとこと諸星
シンプルでかなり好きな話。
どこの何が見えていたのだろうか。



おわり
いかがでしたでしょうか。
この現代語訳の朗読がYouTubeにて投稿されています。
(現代語訳は意訳も誤訳もあるとおもいます、あしからず!)
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それでは皆さん、さよなら×3