芸術の秋、最強説。
食欲の秋。読書の秋。スポーツの秋。芸術の秋。誰が言い出したのか知らないが、秋は様々なレッテルを貼られがちな季節であり、また貼られすぎて最早その本体が見えないということも往々にしてある。どれか一つに絞った方が、当の秋本体だって楽に存在できるというものだ。
仮に人間が冬から夏の期間を地中にもぐって寝て過ごす動物であるならば、食欲の秋というのは真っ当な形容といえるだろうが、残念ながらそうではない。食欲は人間の三大欲求のひとつであり、秋だけに割り振られていたのではやっていられない。私たちは、やっぱり冬はこれだよな、と言っておでんを食べるし、季節とか関係ねーから、と言ってラーメンを食べる。
読書の秋というのも些か疑問だ。秋という、いつ始まったかもいつ終わったかも分かりづらい季節に、でも何となく短いような気がするこの季節に、この季節だけでいいから、少し本を読んでみませんか、というキャンペーンなのかもしれない。しかしそれは読書の秋というより秋の読書といったほうが正しい。
スポーツの秋というのも微妙だ。ウィンタースポーツはあっても、秋期限定のスポーツはない。秋にできるスポーツなら、たぶん一年中できる。秋に体育祭や球技大会があるという学校もあるだろうが、それはまず最初にスポーツ大会をしたいという意向があり、そのあとカリキュラム的に暇な時期を探したら秋に当たったということではないだろうか。それに、オリンピックだって夏と冬にしかない。
芸術の秋に関しては、もう何を言えばいいのか分からない。まず芸術という言葉が広すぎる。たいてい修飾語と言うのは、被修飾語の性質を少なからず特定してくれるものだ。綺麗な海とか、大きな声とか、ひどい雷雨とか。しかし、「秋」は「芸術の」を貼られた瞬間、無限に広がり始めてしまう。芸術は最強ワードである。芸術の秋は気付いていないかもしれないが、お前は読書の秋さえも包含している。文芸、絵画、音楽、演劇、見方によってはスポーツもパフォーマンスというくくりで包含されかねない。くそ、スポーツの秋もやられてしまった……。残る希望は食欲の秋だ。さすがに食欲は芸術とは無縁だろう。そう思っていると、芸術が食欲の耳元で囁いた。「食欲を根源として生まれる芸術もあるよ」。
勝負あり。こうして秋は芸術のものとなった。