【#ゲームとことば 2024】たとえ今、人間でなかったとしても
この記事は、 ゲームとことば Advent Calendar 2024 の 12月19日分の記事です。
今回はフリーテーマということで、個人的に今年1番の「ことばの破壊力」を持ったゲーム、It was human. のお話をしたいと思います。
はじめに
この記事では、It was human.のスクリーンショットや重要なネタバレを含みます。
また、当ゲームではAI生成作品を使用しています。AI生成関連の話題や作品について忌避感があります皆様も併せて、当記事の閲覧を非推奨とさせていただきます。
以上2点を何卒ご承知おきの上、以降の閲覧を続けてください。
よろしくお願いいたします。
この作品について
このゲームは、勇魚 虎魚(いさな おこぜ)という人物と会話をし、質問を投げかけつつ進んでいくノベル系ゲームである。残虐な殺人をおこなった疑いがかかっている彼女は、「人間を人間だったものへ加工した」罪を厳しく追求されることとなる。そのなかで虎魚という人物や世界の真実があかされていくことになり……というお話だ。
ストアページのレビューを見てみると、ゲーム性としては、説明文から想像できるようなものとは少し違うらしい。また、もともとそのメーカーや製作者のファンの方が大喜びするような「〇〇節」を感じられる雰囲気でもあるとか。
私のプレイ後の感想としては、少なくとも今年一番に「ことば」を叩きつけてきたゲームであると断言できるほど、強烈なものであった。
それだけ言葉の雰囲気にも特有のものがあり、率直に言えば好みが分かれるかもしれない。お酒のおつまみに例えると酒盗のような感じだ。
そういう意味では、既存のメーカーファンに勧める文脈のレビューが多いのも頷ける。しかし少なくとも私は、このメーカーの作品はこれが初めてだったが、とても好みだったと書き添えておきたい。
虎魚という人物との語らい
物語を進めていくと、虎魚と繰り広げられる哲学的なやり取りにも惹かれるものがある。虎魚の語る哲学的価値観は素朴で、個人的に多くを共感した。時折、ともすれば幼い卑屈さが正直にあらわされており、心のどこかで押し込めてきた自分の思いに響き渡るようであった。
ちなみに自分は、2022年の「ゲームとことば」アドベントカレンダーで、Milk1と2のことを紹介させていただいた。
この記事にて「他者がいないからこそ放たれる赤裸々な圧縮言語」の興味深さについて少し触れたのだが、このゲームにも同様の良さがあったとも言える。
当人も自嘲していることであるが、It was human.というゲームにおける、"現在の虎魚"が作り上げたこの世界には、他者なんてろくに存在しないのだ。
現実ベースで言えば、「何かとひと段落ついて一息ついた頃、ずっと巣食っていたたった1つの大きな後悔が襲い来て、自身を歪めてしまった」精神状態と言えるのかもしれない。
今この世界には、自分を責めるところに自分を留めて「もう〇なせて」と叫ぶ自分しかいないのである。
色々なひとびとの反応
しかし、自分しかいないと考えられていたこの世界にも、いくらかのキャラクターは存在している。それらが、自責にとらわれている虎魚の姿を観測し、通りすがりに言葉を置いて行くこともあり、その点も興味深かった。
昔のあなたはそうでなかったはずだと言う者、どうにか救われてほしいと願う者、うじうじとしているから大嫌いだと言いつつ、自分が好きになった人間が愛した存在だからと一目置いている者、なぜか並行世界を渡り歩いているFF6のフィガロ兄弟推しの者、……虎魚にとって、どのキャラクターがどんな存在であったのかを考察するのも楽しいだろう。ましてや、「すべてが自分である」と結論付けるのも面白いかもしれない。
考察の余地は多くありそうだ。
虎魚の戦い
「自分」と「恋人」。あるいは、「自分」と「自分」。おそらくルートによってさまざまな姿を見せるであろうが、少なくとも私の見たルートは「自分と自分」のルートだった。
虎魚は、自責に迎合し、「かわいそうに思ってもらうことで生きてきた」と正直に自嘲しながらも、その状態から抜け出せない"犯人"(=罪)の自分と、「そこに甘んじる自分にとどめを刺して、自分の足で歩く」ことを狙う"尋問官"(=決意)の自分とで対話をすることとなる。
その上で尋問官の自分は、これまでの「罪に支えられて生きてきた人生」に終止符を打たんと動きだす。
ここから先の未来を決めるために始まる、罪と決意との殺し合いが始まる。
決意に、少しでも保身の思いがあれば足元をすくい取られる。文字通り自分の一部を詰め込んで、打ち込んで、痛み分け以上に多くを喪ってやっと決着する、虎魚自身の未来のための戦いだ。
これは根性論と言うほど"きれい"でもなく、「これまで頑張ってきた事実を投げ捨てないで」「どうかあなたの道を定めて」という叫びを聞きながら、必死に自分の"安寧"へと立ち向かっていく。
どんなに自分が憎くとも
自分との闘いにおいて、最終的に決意が勝利すると、そこからゆっくりと歩きだす。
たとえ、自分では自分を人間だと思えなかろうと、自分を人間だと信じてくれた人に報いること。そうやって託されたさまざまな願いを携えて、どんなにか遠い理想へ向かって、「なりたい自分になる」ことを諦めず、前へ進むことという、"決意"を胸に。
人生を謳歌するという"ボウケン"を、諦めない旅路へと進んでいくのだ。
キャラクターから私へ、私からあなたへ
先述の色々なひとびとの反応に加えて、時折挟まる会話がある。
これは虎魚にとって非常に大切な出来事であり、根幹を成していると言える。
虎魚が受け取り、ずっと忘れずしまっておいた言葉たちや願い。これはゲームの域を越えて、プレイヤーにも語り掛けてくる強い思いであった。
キャラクターの話すことばのなかに、たとえば手を組み、そっと祈るような「生」のメッセージが息づいている。
たとえどんなに自分で自分を貶めようとも、それでも夢と希望に焦がれずにはいられない。人間とはそんな"化け物"であるが、それでもよいのだと。
最後に、そんな数多くのメッセージのなかで、一番心を打たれた2人のセリフを引用して、皆様にもお届けしたいと思う。
おわりに
ここまでの長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
徹頭徹尾自己完結で、思い出と嘆き、決意の揺蕩う独特な雰囲気を持ったゲームですが、その雰囲気に浸り切った作風だからこそ伝えられることがあり、それを体現したようなゲームでした。
お恥ずかしながら、自分の拙文で魅力を伝えることができたかはあまり自信がありません。ですがそれでも、このゲームが伝えたいことが、少しでも伝わっていたら。そして願わくば、誰かがこのゲームに目を留めるきっかけになれたら。そう祈りながら書きました。
どうか皆様の内にある苦しみが、安らかな静寂に辿り着けますように。
そしてどうか、悲しみに心を奪われず、希望を空想し続けてください。
皆様の人生や挑戦が、最高に楽しいものでありますように。