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【自分のこと】イレギュラー対応

私はイレギュラー対応が得意な方なんだと思う。でも、そんな自分があんまり好きじゃなかった。

「イレギュラーが起こったときの自身の反応」ついては少々こじらせている気がする。

もともとは非常に純粋で、イレギュラーが起こった時は、それに見合うリアクションをとっていたと思う。でもある時から、自分がびっくりしている様子、慌てている様子、テンパっている様子を人に見られるのが恥ずかしいと思うようになった。そんな幼少期。

それからというもの、驚くようなことが起こったとしても、平静を装うようにしていた。平然とした顔をして、脳内だけでテンパる。そんな自分になってしまった。
どんな状況でも、普段とは違う、慌てたような様子を見せることはなくなった。だから、そういう点において恥ずかしいと思うこともなくなった。しかし、その反面「慌てない人」と見られるようになった気がする。

周りの人の一部は「落ち着いている」「大人びている」「冷静な人」というレッテルを私に貼ったんじゃないかと思う。そしてそんな自分を保たなければと、なぜか義務感に襲われた。

そんな風にこじらせてしまった自分は、もう以前の自分には簡単に戻れない。演じることが「普通」になってしまった。厄介なものだ。
「イレギュラーが起きても平静を装う」ことが普通になると、「どんな」イレギュラーにも平静を装うようになった。

友達がサプライズでプレゼントをしてくれた時、突如、人から優しさをもらった時、そんな時も、私はリアクションが薄いのだ。パッと瞬時に喜べない。嬉しいのかどうかも自分ですぐにはわからない。そんな自分が形成された。

そんな自分が好きではなかった。なんだか人間らしくないなと、自分のことをそう思った。ありがたいなと思うことに対して、すぐに相手にリアクションを返してあげられない。その都度、相手に対して申し訳ない気持ちになった。


でも最近、「そんな自分もなんだかんだいいんじゃない?」と思えるようになった。

それは息子のおかげでもあると思う。

子どもと一緒に生活するということは、非日常が、日常になるような感じだ。息子はイレギュラーの塊だ。

朝食にヨーグルトを食べていたら、壮大にこぼす。服がヨーグルトまみれ。慌てて着替えて3秒後にお茶をこぼす。また着替える。一緒にお出かけしようと車を出したら、目的地に着く直前に爆睡。息子が「にわとりが見たい」と言うから動物園行ったのに、いざにわとりの前に行くと、その辺の葉っぱで遊び出し、にわとりに一切興味なし。足場の悪いところでは転ばないように慎重にゆっくり歩いて、何もない平坦な道で転ぶ。ーーー列挙したらキリがない。

でも、そんなイレギュラーの権化と一緒にいるからこそ、準備を入念にし、何か起きてもすぐに対応できることが多い。(イライラすることも多いが。)


先日の昼の、自宅にいると、なぜか突然停電になった。結果的には、数秒間の停電で何事もなかったのだが、停電が起きた瞬間、私の脳内は、このイレギュラーにどう対応しようかという思考回路が高速回転しだす。

「このまま停電が続いた場合、お風呂に入れないのがいちばんの困難。まだ日が明るいうちに、銭湯に行く準備をしなければ。夜の灯りに関しては、スマホのライトと懐中電灯が1台ある。それで対応しよう。どうしても洗濯しなければならないものがあれば、それはコインランドリー行きだな。そうでなければ、電気が復活してから洗濯すればいい。今のうちに充電できる場所に行って、スマホの充電をフルにしておかないと。」

と、数秒間の停電中にこのぐらいは難なく勝手に考えられる。
このスピード感で思考すると、もちろん疲れる。でも思考する力がそこまでない人や思考することに価値を置いてない人はここまで頭を回転させることはできないかもしれない。
そして、自分の慎重さも相まって、ここまでのスピード感で考えられるのだ。

もし思考のスピードを競うオリンピックがあれば、私は日本代表になれるかもしれないと思っている。私は長距離も短距離も速く走ることができないし、水泳に至ってはビート板がないと泳げない。でも、思考の速さなら、誰にも負けない。そんな自負がある。

そして、このスピード感で考えられるからこそ、解決策を速く見出せたり、未来への選択肢を多く持てたり、何よりとても「自分らしい」んだと思う。

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