父の背中 〈親との関係〉
こころの金継ぎ師 アドラーカウンセラーのMorleyです。
日曜日、サ高住で暮らす父のところへ行きました。
現在92歳、4月には93歳を迎えます。母が亡くなって4年。
今、父の大好き・・・CARP、読書、カラオケ、パソコン・・・今はピアノのレッスンかも。
三年間、田舎で母を老老介護。その後、もう自分が介護するのは難しいと、私が住む広島市内の施設に出てきて10年目です。(施設は3つ目、色々あったけどその話もおいおいに。)
母が亡くなって一時はどうなるかと心配しました。ある日、父が新聞に出ていた電子ピアノの記事を見せて「買おうと思うけどどう思う?」と聞きました。自分がやってみようと思えることを見つけたのだから大賛成。ただし、弾いたこともなければ譜面も読めない💦 「すぐに投げ出すのかもな」と思っていましたが。
案の定「左手がようわからん。このランプがつく機能でやると間違えても音はちゃんと鳴る。これじゃだめよね」と言い出しました。そこで、レッスンを受けてみるか提案するとそうしたいと言うので、ELM勇気づけセミナーに参加くださっていたピアノの先生にお願いしてレッスンしてもらうことに。
初めてのレッスンは「喜びの歌」知っている曲だから楽しんで弾けたようです。何曲か唱歌をレッスンした後、先生から「好きな曲でやりましょう」と言われて選曲したのは、「夜霧よ今日もありがとう」。一年あまりで合格。次は「長崎の鐘」。もちろん左手は、父でも弾けるように簡単にアレンジしてもらっているようです。今は「故郷」練習中。
次「もしもピアノが弾けたなら」をリクエストするそうです。
年を取って認知症にだけはなりたくない・・・という人は多いです。そういう私もなりたくはない💦 でも認知症より、もっと怖いのは、【老人性うつ】であることをご存知でしょうか。
年齢を重ねれば重ねるほど、できなくなることは多いです。母は首骨折という死んでいてもおかしくない大きな事故に遭い、晩年は身体も心も辛い状況であったと思います。唯一、最愛の父といることだけが心の支えだったようにも感じています。認知症より、どちらかと言えばうつ状態にあることが多かったように思います。
どこに行くのも一緒「おしどり夫婦」と言われた二人。『つがい』という言葉がありますが、まさにユルとアサの関係性そのもので「番う」固く結ばれていると感じていたものです。その一方を失った時の喪失感、所在無さは半端なかったのではないかと思います。
その中で、父が必死に打ち込むことで、悲しみや寂しさを紛らわせるものがピアノだったのかもしれません。「面白いけど、なかなか弾けんからしんどいんよ。でもやればできるようになるし、そしたらまたやろうと思う。練習をサボるとすぐに忘れるし、指が動かなくなるしね」「することが無くなって、このままじゃいけんと思ったんよ」と昨日ポツリと話してくれました。
「あんまり長生きをしてはいけないと思うけど、まだ呼んでもらえんからしょがない」とも言っていますが・・・。父が選曲したものは、母が大好きだった曲だったとピアノの先生から教えてもらいました。
失ったものを数えて生きるのではなく、思い出を懐かしみながら、さみしさを癒しているようにも感じました。
そして、学ぶことが喜びを生み出し、学ぶことが生きがいにもなっている。
それがいのちをつなげてくれているようにも思えました。
父の背中は、人生のあり方を見せてくれています。そして、ここに「ある」こと、この今が幸せだと感じさせてくれています。
たくさんの心理学も学んできたけれど、アドラー心理学にであって救われたし、親との関係も自分自身との関係もだいぶ修復できてきたと改めて感じた一日でした。
今日もブログに来ていただき、ありがとうございます。
Morleyでした。
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