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マタギが山で怒るとき

以前、「マタギは山で怒るのか?」という質問をいただいたときに、瞬間的にはマタギは怒らないかなぁと思っていたのですが、ふと「怒ることもある」でもそれには明確な理由がある、と発見したのでその事を書きます。

ことの発端は下記のnote参照でお願いします。

マタギはなぜ山で怒るのか?

「伝えたい想い」があふれた瞬間に生まれる怒り


はじめに

朝の山道を歩いているとき、あなたはどんな空気を感じ取るでしょうか。

冷たい風が頬を刺す、しっとりと濡れた苔の香りが鼻をくすぐる、足元では落ち葉が軽く潰れるような音を立てる。

この静寂の中で、マタギが“怒る”瞬間は、いったいどんなものなのだろうか。

私はある日、マタギの方と山へ入った際に、その“怒り”に直面しました。

その怒りは決して感情的に相手を突き放すものではなく、「相手に気づいてほしい」「このままでは危険だ」という切実なメッセージの発露だったのです。


相手を想うからこそ怒る

私が見たのは、観光客が立ち入り禁止エリアへ入ろうとしたときの出来事でした。

周囲には特に柵があるわけでもなく、一見すると何の問題もない場所に見えます。しかしマタギは、濃い霧の向こうに潜む痕跡や、地形のわずかなうねりを見逃しません。

「そこには行かないほうがいいですよ」

初めは柔らかな口調でしたが、その人が「大丈夫ですよ」と無視しようとした瞬間、マタギは声を低めて、はっきりと「そこに行くな!」と叱りつけました。

驚いた私は、思わず足を止めてしまったほど。その怒りには、厳しさを超えた切迫感がにじんでいました。

あとで分かったのは、そのエリアには供養されていない無縁仏のお墓があったということ。つまり危険を察知したうえで、相手の軽率な行動を何とか止めたかった……だからこそ、思わず感情が高ぶってしまったのだということでした。


“怒り”の余韻

私はその声を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走りました。冷えた空気の中に、マタギの息づかいが音もなく広がる。

雨上がり。

静寂の中で「行くな」という一言が放たれた瞬間、まるで空気の密度が変わったように感じました。

視界いっぱいに広がる山の緑が、急に暗く沈んでいく。風が吹いているわけでもないのに、葉擦れの音が妙に大きく響き、心臓がドクンドクンと早鐘を打ち始めます。

その場には、マタギの怒りというより、「なんとしてもこの人に危険を気づいてもらいたい」という強烈な思いが凝縮されていました。

空気が“怒り”ではなく、“必死の願い”を運んでいたように思います。


「気づいてほしい」という思いが爆発するとき

マタギの怒りは、決して相手を傷つけるためのものではありません。むしろ「あなたを守りたい」「危険を回避してほしい」といった相手への思いやりからきています。

それでも人間ですから、何度も警告しても相手に伝わらないときは、感情が爆発してしまう。

怒り=ネガティブ、と捉えがちですが、マタギに限らず私たちの日常でも、何かを大切に思うからこそ声を荒げてしまう瞬間があります。

相手に対する期待感や安全への配慮が“怒り”という形で表に出るのではないでしょうか。


おわりに

マタギが山で怒る理由は、「相手を否定するため」ではなく、「相手に本当に分かってほしいことがあるから」。

そして怒られた人を含めた全体の「大切なものを守り抜くため」にほかなりません。

そこには単なる感情の爆発ではなく、危険を回避し、仲間や自然を尊重するための“愛情”さえ見え隠れしていると私は感じます。

では、私たちは日常でどうでしょうか。

自分の都合や目先の利益にとらわれて、気づかないうちに他者や環境をリスクにさらしてはいないでしょうか?

もし何かに“怒り”を感じたり、あるいは誰かに怒りを向けられたりしたとき、その背後にあるメッセージや想いを汲み取れるかどうかが大切なのかもしれません。

本日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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織山英行@マタギの足跡を辿る命の山旅
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