コーヒー屋になるまでの話。⑦
北海道から福岡へ車で移動。無職の時間。
2017年3月17日。苫小牧港から「きたかみ」というフェリーに乗って移住地に向けての移動が始まった。
フェリーは仙台港に着く。そこから陸路で福岡県糸島を目指した。全行程6日間の車の旅だ。
札幌最後の夜はもう家も引き払っていたので夫の実家に泊まった。次の日私の実家に立ち寄って、その足で苫小牧へ。
この土地を離れるという感覚。2度とこの車で同じ気持ちでこの道を走ることはない。走りなれた札幌の道をずんずん進む。
うちの母の最後の言葉は「無理しないで」だった。そんなの無理だ。今の力量では無理な計画を実行しにいくのだから。実に母らしい。母親は今だって私たちの事業計画に反対だ。
寂しさよりもワクワクする気持ちの強い出発だった。
そこからは昔の友達を訪ねたり、行ってみたかったお店に立ち寄ったり、前半は楽しい旅だった。後半はひたすら高速道路を飛ばした。1日に300kmくらい移動しそれを連日続けるのはたやすいことじゃない。元気だったのは奈良くらいまでだった。
この期間は夫と私、二人とも無職だった。
夫は福岡県糸島市にある会社に就職が決まっていたが、4月末からの勤務だったのだ。
移住してすぐに事業を始めるのは難しいだろうと考えて、夫は飲食関係の会社に就職先を決めていた。私もすぐにバイトに就くつもりだった。
ちゃんと会社に就職を決めてから動き出すのがなんとも私たちらしい保身っぷりだと今では思う。でも当時は「その会社がいい感じだったらしばらく続けてもらってもいいかも」などと思っていた。しかしながら現実はそんなに甘くないのである。この話はまた追ってしようと思う。
約1ヶ月間、無職の時間を過ごした。
その間にまだ行っていなかった新婚旅行と称して竹富島へ行った。
なんとものんびりした移住生活のスタートである。
旅の途中に体調を壊した夫を残して、私は着いたばかりの糸島を一人ドライブした。4月の暖かい糸島はキラキラ見えた。
まるで昨日のようだ。
お店の場所も名前もメニューもコンセプトも何も決まっていなかった。
引っ越し、車での移動、旅行、新居での生活。貯金はどんどん減っていく。
とにかく動け、でここまで来たという感じだった。