10月27日(日)20日目 延命寺、南光坊、泰山寺、栄福寺
お遍路を始めてから夜になるとすぐに眠くなってしまうようになった。6時や7時には寝てしまったりするのでそんな場合、自然と真夜中に起きてしまう。今日も早朝2時に目を覚ました。眠ってる間は熟睡なので気がつかなかったが、この海辺に他の「客」も来ていたらしい。同じ浜辺で犬の鳴き声や男女の声がする。女性が「死ね!カス!ファック!」などと大きな声で叫んでる。それを聞いて犬も吠えはじめるのだが、そんな犬に対して「黙れ!黙んねーとぶっ殺すぞ!」などと男が叫んでいた。
野宿はお金がかからない。そのメリットは確かに大きいのだが、場所選びが非常に難しい。というのも、あまりにいい場所すぎてもそれはそれで他のユーザーがいて困ってしまうからだ。たとえば昨晩泊まったこの浜辺は、広いし、景色も美しいし、公園的に整備もされているし、近くにきれいで使いやすいトイレもある。ロケーションとしては最高だ。が、そんな最高な場所だということは当然地元民も知っている。自分以外にもユーザーがいる可能性が高く、そのユーザーの中には、夜中に叫ぶ女や吠える犬、吠える犬にキレる男なども含まれるというわけだ。たいていの場合、そうした人間は自分たちで楽しんでいるだけなのでこちらに関与してくることはない。気にしなければいいだけなのだが、神経質な人には野宿は無理だろう。
早朝に目が覚めてしまったのでしばらく旅のログをつけていたら、テントの外から「おはようございまーす」というおじさんの声がする。明らかにこちらに対して呼びかけている。ひょっとしたら地元民の見回りかもしれない。面倒なことになるのも嫌だったし、時間が時間だから眠っていて気づかないフリをした。が、それでもおじさんは「あれ?起きてませんか?」「眠ってるのかなあ?」「おはようございます」「おはようございまーす」などとテントに向かって何度も何度もしつこく呼びかけてくる。最終的にテントを開けて入ってこようとしたので、こちらも慌てて飛び出した。見ると片手に発泡酒のカンを持っている。完全にできあがった酔っ払いのおじいさんである。
「うー、ああ!お遍路さん!どうもおはようございます!!!」。テンションが高い。話を聞くと近所に住んでる人らしい。「お遍路さんかあ。私のね、知り合いが、浄瑠璃寺という。ご存知?浄瑠璃寺の住職やってる」。そうですか、浄瑠璃寺はとてもいいお寺ですねと、適当に話を合わせると、突然その酔っ払いは「石手寺は……クソです!!」と言い始めた。「わかります、ぼくもあそこはちょっと苦手でした」と言うと「本当にわかっているのかなあ?あそこはね、ダメです」などという。「住職さんの趣味というか、カラーなんですかね……」と言うと「あそこは住職が数年前に亡くなったの。自殺。今は弟さんが引き継いでるでしょ」。そもそもが酔っ払いの話なので真偽のほどはサッパリ不明というか、むしろ完全なデマの可能性が高い。後日、石手寺が大好きだという友人の「鼻くそちゃん」にこの話をしたら、住職さんが亡くなられたのは確かだが死因は不明、殺されたのだというブログ記事も見つけたとのこと。自分も調べてみたが、確かに2021年に亡くなられている。死因は自殺でも他殺でもなく心筋梗塞らしい。
石手寺の空気や雰囲気は苦手だし、美的感覚や寺観も自分にはまったく受け付けられないが、被災者や弱者を支援しつづけた大変素晴らしい住職だったようだ。それでもあれだけ目立つ寺となると、この酔っ払いのようなアンチもたくさん生んでしまうのだろう。そうしたマイナス感情が自殺や惨殺のような根も葉もない噂を生んでいるわけだ。人間という生き物の浅はかさよ。
酔っ払いはさらに調子に乗り「私は(と近くの住宅を指差しながら)あそこに住んでる。家内はね、美人でねえ。倍賞千恵子にそっくり。家内は天ぷらをあげてるんだけどねえ。美味しいんだ。一緒に食べよう!」などと言ってくる。今日は朝、出発も早いしお酒飲むと自転車乗れないからと必死で断ったのだが「ノリが悪いなあ」「いいから来ましょう」「ごはん食べさせてあげる」「お風呂もある」「飲みましょう」としつこい。
結構キッパリと拒絶すると「じゃあもういい」「ノリが悪いんだから」などとブツブツ言いながら帰ろうとするのだが、明らかにふらついていて足元がおぼつかない。案の定、少し歩いてすぐに階段の小さな段差に引っかかってこけそうになったのでその身を支えた。仕方ない。家も近くだと言うしそこまでは送るか。「ありがとう。森くん」などと言いながらそれでも酔っ払いは「うちで飲もう」「うちまで来て」としつこい。海から離れ、酔っ払いが指さす方向に歩いていったのだが、途中で酔っ払いが道端の車を指差し「忘れてた」と言うがはやいか、扉を開けてその車の運転席に乗り込んだ。そして後部座席のドアを開けたかと思うと「ほら、森くんも乗りなさい」「うちまで来て」「送ってくれるんじゃなかったの」などと言う。一瞬で血の気が引いた。冗談ではない。ここまで来て酔っ払いの飲酒運転に同乗して死亡、お遍路未達成などシャレにもならない。こちらをつかんでくる酔っ払いを力ずくで突き放す。すると「もういいよ!」と言いながら酔っ払いは車を運転しどこかに去っていった。大丈夫か??
「野宿でお遍路まわってます」と言うとよく「男性だからそういうことできていいですね」などと言われる。確かに男性でないと野宿は難しいかもしれないし、その点男性は得をしているのかもしれないが、男性でもリスクがないわけではまったくない。突然無理矢理テントに酔っ払いに入られるようなリスクと常に隣り合わせだということは肝に銘じておいたほうがよさそうだ。
気を取りなおして朝から今治に向けて海岸線を走っていく。このあたりの海はどこも本当に美しい。坂もほとんどない走りやすい道路、距離も数十キロほどしかないので集中して走ればすぐに今治には到着するのだろうが、どうしても何度も立ち止まり、その景色に見惚れてしまう。
残念なことだが先を急がねば。というわけで自分も本気で自転車をこいだのだが、しまなみ海道もある自転車の聖地、今治の近辺だからだろうか。この辺りの自転車はめちゃくちゃ速くて、途中何度も他の自転車に抜かされた。ロードバイクやクロスバイクに乗った、明らかにサイクリングをアクティビティとしてこなしている人に抜かれるのはわかるのだが、ママチャリに乗った女性に何度か抜かれたのにはショックを受けた。こちらも決して遅いわけではない。サイクルメーターを見ると時速18〜20kmはしっかり出てるのにそれでも抜かされていくのである。ママチャリで相当なスピードを出してる。海岸線をママチャリで走る女性たち。通勤だろうか。どうしてそんなに急いでいるんだ。
さらに先に進むと変わった看板のお店があった。お手洗いもお借りしたいし、何よりなんとなくその店のたたずまいに心惹かれたので中に入ってみた。こちらのお店ではそのアイスが名物らしい。早速いただく。優しい甘みがあり満足感はあるのだが、なんかサラリとしていて独特のあじわいがある。ってこんなことばかりしているからお遍路がどんどん遅くなる。わかってはいるのだが、でも寄り道も大事だろう。逆に寄り道もせずアイスも食べずに黙々と進む。そんな遍路をしていて楽しいのかと思うし、そのほうが大事なことをたくさん見逃してる気がしてならない。
座ってアイスを食べていると、もう一人の客が来た。その人とアイスを一緒に食べながら雑談する。彼は自転車ではなく歩いて昨日から松山今治間(だったと思う。正確な聞き取りができなかった)を往復しているのだという。自分が自転車でお遍路してると言うと「同じく自転車でお遍路してるって夫婦と昨日今治で話しましたよ。オーストラリアから来てるそうです」と言う。エリザベスだ!!
そうか。もう既にエリザベス夫婦は今治に昨日の時点でインしてるのか。そのことを知って淋しい気持ちになった。どういうことかというと、おそらく今後もう二度とエリザベスたちと会うことはないということがわかったからだ。彼女たちのほうが自分より一日分お遍路を先行している。それだけなら急げば追いつくこともあるかもしれないが、自分はこの後、今治でいったんお遍路を休み、しまなみ海道を走ろうと思っている。
そもそもこの四国遍路を思いついたのも「四国を去るにあたってやりたかったことはすべてやり尽くしたい」と思ったからだ。その時に「やりたかったこと」が二つある。一つがお遍路でもう一つがしまなみ海道走破である。今治から尾道の移動に一日。尾道で一日観光。その後一日かけて今治に戻る計画で、そうなるとエリザベスたちとの差はさらに絶望的になる。おそらく残りの旅程で追いつくことはもう不可能だろう。何度も会ったし、一緒に写真も撮った。でももう会えないのか。クリスとも結局その後一度も会ってない。あらためて人と人との出会いは一期一会だと悟る。確かにもうエリザベスたちには会えないかもしれない。けれども今、人伝にその話を聞いたように、急げば行く先々でエリザベスたちの足跡はたどれるかもしれない。急ごう。
というわけでふたたび自転車に乗り、今治市の寺をまわっていく。今治には札所が合わせて六つある。延命寺、南光坊、泰山寺、栄福時、仙遊寺、国分寺である。明日から心置きなくしまなみ海道を走るためにもできれば今日のうちにすべてまわっておきたい。
まずは五十四番札所延命寺に到着。「延命」寺という名前なのに周囲が一面お墓だったのがちょっとおもしろかった。もちろんだいたいの寺はお墓を持ってはいるがそれにしても延命寺周囲の墓の多さは目立つ。それと本堂のど真ん前に車が2台停めてあったのが気になった。境内に車がとまっていることはあっても、本堂のここまで近くに駐車していることはこれまでなかった。自分はこういうこともすべて記していかないと気が済まないタイプだ。寺はどのお寺も全力でボケている。ツッコミを待っている。それなのに触れずに済ますほうが「もったいない」と思ってしまう。お寺だから崇拝しなきゃいけないから、ヘンテコなところがあっても言ってはダメで……そんな考えのほうがお寺に対して失礼だと思う。お寺を見て自分が素直に思ったことを言葉にしておきたい。きちんとお寺を「心」に通して、その結晶を言葉として取り出しておきたい。
次に五十五番札所南光坊に到着。今治駅に近い、完全に市街地の中にあるお寺なのだが、特徴的なのがまずはその名前だろう。これまであった寺はどれもすべて「〜寺」で終わっていた。お遍路の札所にはそういうルールがあるのかと思っていたが、最後「寺」で終わらなくてもいいんだ。その初の例がこの南光坊である。仁王門にあるのは普通金剛力士像だが、この南光坊はそこも違っていて、山門は持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が守っている。と、いろいろこれまでの「ルール壊し」のお寺なのだ。
南光坊を出て今治駅のほうに近づいていくとたくさんの自転車が走っている。たくさんといったが、自転車のほうが自動車よりも多いくらいだ。さすがサイクリングのまち、今治。そう思ったのだが、調べてみると、今日は「サイクリングしまなみ」という非常に大きなイベントの日のようだ。参加費はなんと1万円以上。非常に高額だが、その日は一日高速道路を閉鎖し、自動車は一切通れないようにするらしい。たくさんのライダーが今治に設定されたゴールに向けて走っていく。レースではなくいわゆる「ファンライド」なので、そのスピードもゆったりとしたものだが。
昨日は野宿で入浴もできていないし洗濯物もたまっているし天気もあやしいし充電もしたい。宿の予約も取りたいし、事前に案内所にいってしまなみ海道について情報収集もしたい。お遍路以外にもやることがたくさんある。早く今治の残りの札所をまわってしまいたかったが、とはいえお遍路に焦りは禁物だ。一つずつ、目の前のことを着実に終わらせていくしかない。
今治駅をまたぎ越えさらに南に進む。2、3km行くと五十六番札所泰山寺(たいさんじ)に到着した。立派な石垣の上にある寺だ。わくわくして境内に入ったのだが、何か違和感がある。普通、本堂はそのお寺の一番「中心」にあり、お堂も大きいことが多い。「中心」というのは必ずしも場所としての「真ん中」ではないが、明らかに「これが主役です」という位置にあることがほとんどだ。なのに、この泰山寺では正面に本堂、僧房? 納経所と3つ並んでいるのだが、本堂は一番左端にあり、真正面にあるのは僧房である。それだけならいいのだが、本堂よりも明らかに他の建物や納経所のほうが立派で大きい。また、この寺には仏像もたくさんあったが、どれも敷地の「壁際」、端っこに並べられている。全体的に受ける印象は「人間中心」。修行をしたりお祈りをしたり。よく言えばそうした「人の営み」こそが仏道の中心という考えなのかもしれないが、悪く言えば、現金で現世的な寺という印象も受けてしまった。
これは自分だけかもしれないが、気に入った、自分に波長が合う寺だと、境内にいるだけで力がわいてくる、パワーが回復する感覚があるのだが、逆に波長が合わない寺だとお参りをした後に、ドッと疲れが押し寄せてくる。泰山寺から出たときには、今日はそんなに距離を走ったわけではないのにヘトヘトになってしまい、腰をどさっと一度下ろしたら、立てなくなってしまった。もう今日はこれで終わりにしようか。そんな気持ちにもなってくる。とりあえず今晩の宿を先に探しておくことにした。一泊3800円の比較的安いゲストハウスが見つかったのでそこにする。商店街の中にあるらしい。
疲れていたが今日で今治の寺をすべて打ち終わって、気持ちよく一切の気がかりなく、キリよく明日からしまなみ海道を走りたい。そう思ったので、残りの札所にも一気に進むことにした。泰山寺からこれまた3kmほどで次の五十七番札所栄福寺に到着するそうだ。道を進むと案内の看板が出ている。その看板というのが、今までの寺にない、洗練された印象の看板で、フォントもそれっぽいものを使っているし、栄福寺を表したアイコンだろうか。図案が添えられていた。これだけ看板のデザインやセンスがいい札所ははじめてだ。看板が置かれている場所も適切で、わかりやすく、言われた通りに進むと何の困難もなく栄福寺に到着した。
栄福寺自体もその看板と同じく、「編集」や「デザイン」といったキーワードを感じさせる寺だ。「地方をデザインで活性化」のような主張に使われる「デザイン」「編集」といった言葉が持つ、あのニュアンスである。一番驚いたのはトイレだ。木材をメインにして作られた男性、女性、多目的の3つの個室のみのシンプルにしてミニマルなトイレで、寺というよりも、どこかのアミューズメント施設や商業施設のトイレのようだ。一言で言うとかなり「おしゃれ」である。真正面には寺の古い建物の横に、これは住職の家だろうか。僧房だろうか。モダンで大きな建物が立っている。広大な敷地があるわけでも壮大なスケールの仏像やお堂があるわけでもないが、全体はセンスによってシンプルにしてコージーにまとめられた「かわいらしい」寺という感じ。
寺の真ん中に掲示板がある。見ると新聞記事や雑誌の特集記事、映画のポスターがたくさん貼ってある。見ると、すべてこの寺の住職に関するものだ。それらの記事によると、この寺の住職は白川密成氏。元は書店員だったが、先代が亡くなったのをきっかけに住職を継ぐことになったという。そんないきさつは『ボクは坊さん。』(最後の「。」が時代というか界隈のセンスを感じさせる)という本となり、ミシマ社から出版され、また『ALWAYS 三丁目の夕日』のスタッフによって映画化もされたという。また自ら歩き遍路で八十八ヶ所をまわった記録『マイ遍路』という本を出していたり、糸井重里の「ほぼ日」でも連載していたり、マルチな活躍をされているという。
って、こんなことを正直に言っていいのかどうかわからないが、これら掲示板の膨大な情報を読んで、一気にシラけたというか、すべてが腑に落ちたというか、そんな気持ちになった。「ほぼ日」で「ミシマ社」で「坊さん。」の「。」なら、確かにこの小洒落た感じというか、エディトリアルな感じは納得である。個人的には白川氏が著した本もおもしろそう、読んでみたいと素直に思ったし、なんなら映画も観てみたいと思った。ただ、それはすべて「お前」の物語だろう。「お前」という「我」の物語、その情報を、自己顕示を寺のど真ん中でこんだけ連打されても、されたほうは頭の中は「糸井重里」「三丁目の夕日」「ミシマ社」と固有名でいっぱいになり、俗世のやかましさに白けてしまう。「寺っぽさ」を大きく上回る「エディターっぽさ」「キラキラ出版っぽさ」を浴びて我に返ってしまったのだ。
どっと疲れてしまった。次の仙遊寺まで今日中に行ければキリがよかったのだが、今日はここらで打ち止めかもしれない。気づくと輪袈裟もない。先ほど泰山寺でトイレをお借りした際、外したまま忘れてきてしまったらしい。輪袈裟を忘れるのももうこれで何度目だろうか。「輪袈裟はお大師様と同じ。ご不浄には連れていかない」という謎のお遍路ルールのせいでトイレに行くたびに輪袈裟を外さなければならず、そのたびに輪袈裟を置きっぱなしにするリスクが発生する。そんなに大事ならたとえトイレであっても肌身離さず身につけておけよと思うし、浄とか不浄とかそんなの人間が自分たちの物差しで勝手に切り分けているだけで、そうした価値づけ、序列づけこそ仏教の戒めるところではないのか。
などなどと考えていてふと思った。では、それぞれの札所に好きな寺だった、嫌いな寺だったと感じたことをつらつらと言葉にしている今のこの自分は一体何なのか。
お遍路ももう半分以上まわると、だんだん自分の中に「物差し」ができてしまう。過去に自分が経験した寺、つまり比較対象が増えていくため、それらと比べて今、目の前にある寺はどこがどうなのか。語る言葉、ボキャブラリーができてくる。そしてそれとともに、ハッキリと自分好みの寺とそうでない寺という区別ができてくる。でも、そうした区別があるからこそ、執着が生まれ、執着が生まれるからこそ苦しみが生まれるのではないだろうか。
外部の権威や外からの情報に従ってそれだけを信じ思い込んでいると、自分が感じたことにフタをしてしまう。それはよくないと思うから、「情報」ではなく自分はまずは自分が感じたことを率直に言語化するようにしている。そこで何かを、たとえそれが寺であっても評価することは辞さない。それは大事なことだと思う。だが他方で、そんな自分の感じたことはあくまで自分の感じたことでしかない。それ以外にもさまざまな感じ方があるだろうし、そんな小さな自分の小さなこだわりなどより、仏の教えも、札所のスタイルも、広くて多様で、だからこそ遍く衆生に届くのだ。自分は分析するのが得意だし、好きだ。だから目の前にアクの強い「個性」が出てくるとそれを言語化してしまいたくなるのだが、そのせいでその対象がうるさく感じてしまうのだとしたら、うるさいのは対象ではなく、自分のせいかもしれない。昨日まわった石手寺や、今日まわった泰山寺、栄福寺はそんなことを自分に気づかせてくれた。
泰山寺に戻って忘れてきた輪袈裟もとってこなければならない。距離的には次の札所仙遊寺は栄福寺の目と鼻の先にあるようなものだし、次まで行ければキリがいいことは確かなのだが、今日はここで打ち止めにした。市街地まで戻り、まずはサウナに入る。今治なのだが「ナニワサウナ」という名前のサウナがある。女将さんが一人でやっている、有名なサウナらしい。中に入ると、パンツいっちょでマッサージチェアに座り眠っている客たちの姿が。白装束と輪袈裟に気づくと女将さんが「お遍路さんは200円割引です」と言う。入浴施設はお遍路割引してくれるところが結構多い。自己申告でもいいのかもしれないが、こういうとき一発でお遍路だとわかるこの衣装は便利だ。ダサいけど。
次に駅前の今治観光案内所に行く。しまなみ海道への行き方や料金、所要時間を聞くためだ。受付の女性が聞くとなんでも丁寧に教えてくれる。今はインターネットがあるので手元のスマホで何でも調べられると言えばそうだが、スマホの画面は小さいし、ウェブサイトの情報が古かったり、わかりにくかったりすることも多い。こちらの思い込みや勘違いで誤った情報を仕入れてしまうこともあるので「人に聞く」ほうが楽だし効率的なことも多いのだ。この受付の女性によると、しまなみ海道は自転車なら通行料は一切不要、慣れている人なら一日で往復も可能かもしれないが所要時間は余裕を見ておいたほうがいいとのこと。アップダウンも激しいのであまり甘くは見ないほうがいいかもしれない、でも地元民から見てもあの景色は素晴らしいのでぜひご覧になっていただきたい、とのことだった。
話を聞いて、明日早朝から本州尾道へ向けて移動。明後日一日を尾道観光とし、その次の日に一日かけて今治にかけてくることに決めた。早速、明日以降、2泊分の宿も予約してしまう。尾道は観光地なので宿泊が高いというイメージがなんとなくあったが、平均してどこも価格は良心的である。その中でも最も安い、一泊3200円で朝食付きの宿に二泊することに決めた。
その後はゲストハウスに移動。ホストの方に荷物の相談をする。明日からしまなみ海道を行く。二日後に戻ってくるのでそれまで荷物だけ預かっていただくことは可能かと聞くと、例外的に一日1000円で預かってくれることになった。これで明日から荷物を軽くしてしまなみ海道に挑むことができる。
観光案内所でもらったパンフレットを眺める。夜はどこか今治の名店に入ろうと探してみたが、日曜日だからか多くの店が閉店だった。ゲストハウスからも近くにあった白雅という餃子のお店が今治の名物店だというので行ってみた。しまなみサイクリングという大きなイベントのあった日だし、多分お客さんはいっぱいだろうと覚悟して店に入ると、しまなみライダーなんて一人もいない。おそらくは地元の家族連れと思われる客が数組いるだけで、混みも空いてもいないちょうどいい感じだったので、早速、餃子と瓶ビールをいただく。餃子は昔ながらの素朴な、でも、きちっと餃子自体に下味がついていて、一つ食べただけではちょっと物足りないが、だからこそ何個でもついお腹に入ってしまう、素敵な味だった。餃子本体の味は「やさしい」にもかかわらず、自家製ラー油はかなり辛い。刺激がほしい人はラー油で調整するといい。
お店の人にしまなみ海道でイベントがあったので今日はいっぱいかと思っていましたと言うと「確かにイベントで自転車は多くなるけれど、あまりこちら(商店街のこと)のほうに影響はない」とのこと。情報を聞くかぎりではしまなみ海道、サイクリストの聖地だ、海外からくる人多数だ、地域活性化の最大の成功事例のように勝手に感じていたが、果たして地元にお金が落ちているのかというと、ひょっとしたらそうではないのかもしれない。
その後、焼き鳥屋に行き、それでも食い足らず、スーパーで半額シールの惣菜を買って(!)、ゲストハウスに帰った。明日はいよいよ「しまなみ海道」である。天気がよければいいが……。
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