10月25日(金)18日目 大宝寺、岩谷寺
今日は昨晩お遍路のプロ「ブンさん」からさんざん脅された岩屋寺へ、そしてその手前にある大宝寺へと向かう。本来のルートなら明石寺のある西予市から大洲市、内子町へ移動し、そこから山道越えて久万高原へ。大宝寺、岩屋寺とまわってから山を降り、松山到着、というコースになるのだが、自分の場合は先に松山に到着しているからこの逆を行く。松山から久万高原に登り、大宝寺、岩屋寺とめぐってからまたもと来た道を戻るというコースだ。正規の順打ち遍路ルートは焼山寺と並べて語られる「遍路ころがし」とされている。そこを避けるルーティングだ。それではズルではないか?ところがそうではないのである。
これがお遍路というゲームシステムのおもしろいところなのだが、お遍路では札所をまわる際の移動手段は一切問わないことになっている。ラクするのは全然オッケー。車でまわろうと全距離うさぎ飛びでまわろうとどちらでも一周は一周としてしかカウントされないし、ぶっちゃけ積まれる功徳は完全に同じである。これは昔からそうで、古いお遍路ガイドブックを見ても「ここは船を使ったほうがラクなので使おう」とか書いてあったりする。徒歩や自転車のほうが苦労はするかもしれないが、苦労した、汗をかいた、だからそっちのほうが偉い尊いとはならない。避けられる苦労は避けたいなら避けていいのだ。
移動手段よりもどちらかというと「まわった回数」のほうが大事だったりする。お遍路では巡礼者はお札を札所に納めていくのだが、そのお札の色がお遍路の周回数によって変わる。自分は1周目だから白だが、これが5周目からは緑になる。8週目からは赤。25週目からは銀。50週目からは金になり、100回(いや、本当にそういう人がいるのである)からは「錦」と呼ばれる札になる。ビックリマンのヘッドシールのようにキラキラのホロというかラメが入った美しい札だ。
この札は寺に納める以外に、たとえば旅先でお接待を受けたときに、お接待してくれた人に渡したりする。渡されたほうはその札を大事にコレクションする。なので、四国のレストランや民宿に行くと、玄関やお店の壁一面にお札が貼ってあったりするのだが、そこで赤い札や錦の札を見ることができる。つまり店の壁に貼ってある錦の札から、本当に100周も「こんなこと」をしてるヤツがこの世に存在することを確認できるのだ。
ちなみにこの「回数」は自己申告ではダメで証拠がいる。その証拠が納経帳に押されたスタンプだ。このスタンプが以前は一回300円×八十八箇所=26400円かかったのだが、2024年の4月からは値上がりして一箇所500円。合計44000円になる。昨日ブンさんから聞いたところによると2周目からは300円で押してもらえるとのことなので「割引き」はあるようだが、それにしたって、じゃあ緑の札をゲットしようと思ったら4周は回らなければならないのだから、1周目は44000円。2周目からは26400円×3周なので79200円。合計で123200円必要ということになる。銀の札なら25周だから同じ計算をすると66万円必要で、だから金の札なら132万円、錦の札なら264万円もかかることになる。ブンさんは実質お遍路50周はしたらしいのだが、さすがに銀を金にするのにあと25周、66万円必要と言われてバカらしくなり、それ以降は納経はしていない=お金は払ってないらしい。「旅費と合計すれば車一台買えるお金はお遍路にかけている」とブンさんは言うがこれももっともな話なのだ。
とまあここまでの説明を聞いてお分かりの通り、お遍路は周回数だけをカウントするシステム。周り方は自由なので車だろうが徒歩だろうがそこは単なる自己満足という扱いなのである。いくらこちらが歩いて自転車で、汗を流そうが「キミ何周目?あ、白札か。ぼくは銀です」と言われてしまえば、そちらのほうがお遍路のクラスとしては「上」ということになる(なんなら札所の順番すら守る必要はない。スタンプが揃えば同じことだから。実際、昔のお遍路ガイドも番号無視した周り方を推奨してたりするらしい)。
確かにそれだけ周回するなんて信仰心が厚い、素晴らしい人ということなのかもしれないが、それができるのは結局のところ、その時間的余裕があり、かつ、納経や旅費を出せる経済的余裕がある人間、すなわち金持ちに限られるのは明らかだ。金持ちが財力に任せて車でヘリで100周し獲得した錦の札のほうが、貧乏人がなんとか時間をつくり熱心に歩いてまわった白札なんかよりも「偉い」「尊い」になりかねないのがお遍路というシステムなのである。
とまあ、そうしたゲームシステムなのがお遍路なので「先に松山に着いてから久万高原に向かうルートってズルいのでは?」などと気にする必要はまったくないのである。それにどこからどの道を行こうが久万高原は久万高原、(久万高原へ至る)三坂峠は三坂峠だ。行く道をどう工夫しても結局ゴールは標高700メートルから1メートルでも低くなるわけではない。以前、岩本寺で出会った逆打ち自転車遍路のKさんが「焼山寺に行くのに坂があまりないコースがある」などと言っていたが、そんなわけはない。焼山寺の位置、高さはどのコースを行っても1ミリも変わらないから、結局「高いところに登る」のは同じ。道として自転車で走りやすいとか、景色が自分には相性がいいとかはあるかもしれないが、どうしたって苦労を減らすことはできない。
この「どうしたって苦労は減らせない」というのはお遍路をしていると日々痛感することだったりする。ゴールを決めてしまえばあとは「道」を行くしかない。「道」は選べることもあるがどの道を行こうとも到着場所は同じだ。そして坂道とは「登ったからには必ず降りるもの」であり「降ったからには必ず登るもの」なのだ。ラクは一切できない。八十八ヶ所巡礼。決めてしまったんだから仕方ない。しのごの言わずに進むだけだ。
早朝松山をスタート。吉野家で朝ごはんを食べる。ポテサラや漬物を追加し大盛二杯食べた。よくそんなに食べると感心されるかもしれないが、途中で「ガス欠」するのが怖い。先日は海鮮丼食べた後にカツカレーを食べたが、法華津峠を行く間中「カツカレーをもう一杯食べておけばよかった」と考えたりしていたくらいだ。
松山はとにかく広い。10kmほどだと思うが進むと砥部町へ。そこから久万高原へと向かう道があるのだが、すべて坂だ。あらかじめ地図を見ていたから覚悟はしていたが、本当にずっと坂である。最初は自転車に乗っていたものの、一昨日の法華津峠がトラウマになっている。足の疲れもまったく取れていない。すぐに自転車を押して移動するようになったが、自転車を押すのも重労働だ。短い坂道山道なら自転車をそこに置き、歩きで進むのだが、あまりにも距離が長いと時間もかかるし、今日は大宝寺のさらに先、岩屋寺まで進まなければならない。辛くても自転車を押して行くしかない。
途中、坂の上から自転車で降りてきた外国人がいた。白人の男性だ。ぼくの前で自転車を止めたと思ったら「以前も会ったね!」と笑顔で話しかけてきた。まったく覚えがなかったので「どちらからお越しですか?」と聞くと「オーストラリア」だという。まったく記憶にない。すると男性は坂の上のほうに向かって「リズ!リズ!モリだよ!」と叫んだ。まさか……。しばらくすると山の上から自転車に乗ったエリザベスが出てきた。エリザベスの夫さんか! もう何度も会ってるが夫さん、地味なキャラなのと、日本人に対して人見知りなのかほとんど喋ろうとしないし、少し暗い表情をしていたからまったく気づかなかった。旅する中で出会ったたくさんの場所と人が彼を変えたのだろう。とても明るく柔和な表情になっていた。
坂の途中でしばらくエリザベス夫婦と雑談する。「私たちは大宝寺と岩屋寺を巡ってきたところ。これから次の浄瑠璃寺に行くところよ」「ここからはずっとくだり坂ね」と言うので「この先の坂はどんな感じ?」と聞くと「もうずーーーっとくだり続きで最高に楽しかった!」と言う。ということは……。「モリにとってはその坂、ぜんぶ登り坂だけどね!がんばって!」。そう言うとエリザベスたちは、今、自分が登ってきた坂をグイグイと降っていった。
70歳の夫婦に自転車遍路で先を越されてる。ショックだ。エリザベスは確か42日間でお遍路一周する計画だと以前言っていた。そのエリザベスたちより遅いと言うことはつまり「この度は42日以上かかる可能性すらある」ということだ。当初は二十日ほどの旅程だとなんとなく思っていたのに40日かかるかもしれないとは……。旅程がそれだけ長引くということは旅費もそれだけかかるということだ。だいぶ呑気なペースなのかもしれない。先を急がなくては。
そう思うのだが、もう足が完全に壊れていて坂道を自転車をこいで登る元気がない。途中後ろから来た自転車に何人か抜かれる。もうこの頃には完全に自分の走行能力に自信をなくしていた。それでもなんとか2時間ほど自転車を押して三坂峠の頂上にたどり着く。標高700メートルだそうだ。汗ダラダラ、息も途切れ途切れだ。
三坂峠を越えるとその先はすべてくだり坂だ。そのくだり坂の道沿いに街が形成されており、それが久万高原町のようだ。街の感覚としては徳島の神山町に似ている。つまり山奥、高所にある町なのだが、コンビニがあったり飲食店が少なからずあったりして思ったよりも「都会」である。昼食を道沿いの豚太郎(この辺りでよく見かけるチェーン展開のラーメン屋)で済ませ、先を進む。すべてくだり坂なのでそこからの移動はラクなのだが、今「ラク」ということは後でそれがすべて「苦」に変わるということだから気が気でない。30分以上は坂道をくだりっぱなしだった。帰り道が怖い。
その先に四十四番札所大宝寺があった。駐車場に着いたが、そこからまたしばらく坂を登らなければならない。自転車で遍路している姿は珍しいのだろう。今さっきお参りをして降りてきた遍路さんご夫婦が話しかけてきてくれた。逆打ちで車でまわっているらしい。「大宝寺、ものすごい山奥にありますね」と言うと「次の岩屋寺はこれ以上に『趣』がありますよ……」と言う。趣?? 「びっくりしました。足がガタガタで……」。昨日のブンさんといい、このお遍路さんと言い、みんな岩屋寺の名前を出すだけで、なんとも不思議な笑みを漏らす。そんなにヤバいところなのか。とにかくこれで四十四番札所大宝寺を打ち終わった。お遍路も名実ともに「半分達成」である。まだ半分もあるのか……。
ここからさらに奥地にある岩屋寺に行かねばならない。距離はそこまで離れていないが、おそらくはさらに坂道を登ることになる。実際に大宝寺から岩屋寺へのコースを行くとしょっぱなから登り坂だ。昨日のブンさんの「岩屋寺」の名前をつぶやくときの怪しい微笑みが頭に浮かぶ。相当な難関なのだろう。
ところが登り坂は最初だけ。あとはずっと降り坂で、ほとんど自転車をこがずに6kmほど離れた岩屋寺にはあっという間に到着してしまった。下手すると宝寿寺からはさらに何時間もの登り坂を想定していたので、まさに肩透かしである。ただ到着した岩屋寺は思っていたのとは違ったが、確かに相当「趣」があった。門に行くまでの参道に非常に濃ゆい、手作り感あふれるお店が並んでいたからだ。こんなにお店が並んでいたパターンは初めてだ。確かにこれは相当インパクトが強い。
参道のお店を越えてさらに先を進むと看板があった。ここから本堂まではなんと1kmもあるという。自動車も入れない1kmとは要するに山道である。看板の通り、その後は延々と階段、坂道が続く。スロープこそあるもののかなり急な坂道だ。岩屋寺の本尊は不動明王らしいが、その本堂に到着するまでにもあちこちに不動明王をはじめとした仏像が飾ってある。この道は本堂への通り道かもしれないが、この道自体が岩屋寺の一部でもあるという感じだ。こんなに長い坂を自分より高齢の人も文句一つ言わず、黙って淡々と登っている。こんな山奥に寺を建てておいて「参拝してね」じゃないだろう。運営にクレーム入れて然るべきだと自分は思うのだが、日本人は本当に従順だ。誰も何も言わない。ただ自分だけが「いい加減にしろ」「ふざけるな」と文句ばかりを言っていた。情けないかぎりだ。
本堂と大師堂がある位置までようやく到着したのだが景色を見て目を疑った。お堂の後ろは大きな崖である。岩屋寺の名前の通り切り立った岩に無理矢理作った寺、それが岩屋寺だった。
お堂の横にハシゴかあり、ハシゴの横に「法華仙人堂跡」と書かれた看板があった。看板には「危険な場所ですので転落しないように充分御注意下さい」と書いてある。「万一不注意によってお怪我なさっても責任はおいません」とのこと。要するに登りたければ登るがいい。ただしそれはご自身の意思でご自身の責任でなすこと。ククク……って、言ってることがほとんどカイジの帝愛グループと同じである。お遍路リポーターとしては登って何があるか確かめたいし、せっかくここまで来たのだし、二度とこの場所に来ることもないのだから、登っておきたいと思ったが、残念ながら自分は高所恐怖症。梯子を数段昇っただけであまりの高さと不安定さに怖くなり結局、途中でギブアップしてしまった。
ともあれこれで久万高原の二ヶ所。大宝寺と岩屋寺を打ち終わった。ブンさんや他の人から相当脅されたので、どれだけ難易度の高い寺なのかと思ったが、拍子抜け。思ったよりあっけない。あれ?と不思議に思ってはたと気づいたのだが、彼らはみな自動車遍路。それが悪いわけではないのだが、自転車遍路の自分とは見えてる景色がまったく異なるのだと気づいた。自動車遍路の彼らからしたら、駐車場からお堂までの道しか実質歩くことはない。だから「お堂までの道のり」がどれだけ辛いかでその寺の難易度を判定することになる。岩屋寺は駐車場から本堂まで歩いて1kmもある。それもその1kmのすべてが山道なのだから、その難易度もとんでもないと感じるのだろう。ところが自転車でまわっている自分からすれば、1km程度の坂、山道を登るくらいは普段からやっていることである。それよりも、その寺に着くまでの道で「10km延々坂が続く」とか「6km全部坂」とかの方が圧倒的に辛い。岩屋寺は駐車場までは6kmのほとんどが下り坂。自転車遍路からするとほとんどこがずに到着できるから、岩屋寺はどちらかというとイージーな札所ということになる。まったく評価が変わってくる。別に自動車遍路が悪いわけではまったくないのだが、結局人間、見えているものが違うから何周もお遍路してる大先輩でも、アドバイスが常に役立つとは限らないのだと気づいた。
っていうか、そんなことよりここからどうやって帰るかである。どうやってもこうやっても「帰る」しかなく、その道も一本道なのだから答えは「行きで降ってきた坂をすべてまた登る」しかない。大宝寺から岩屋寺まではほとんどが下り坂、三坂峠のてっぺんから大宝寺までもこれまたほとんどが下り坂だった。ということはこの逆、それらすべてが登り坂ということである。気が遠くなった。
行くしかないので行くしかないのだが、結局、帰り道、松山まで「登って降りる」のに3時間近くかかってしまった。本来理想を言えば帰り途中で浄瑠璃寺や八坂寺もまわれたら言うことなしなのだが、もうあたりは暗くなっている。今日はここで打ち止めにするしかない。
帰りにTwitterのフォロワーのmiyachuさん(@32miyasuke)から教えてもらった寿温泉に寄る。本当に取り立てて言うことのない、昔からあるただの銭湯である。でもその「ただの銭湯」が令和の世にあることの奇跡よ。地元の利用者でいっぱいだったが、サウナも水風呂も当然湯船も何もかも気持ちよく、今日はここまで坂道を登って降ってばかりの修行の一日だったが、湯船に浸かっている時、はっきりと菩提が見えた。その後は夕食も兼ねて昨日と同じお店へ。二日連続でやってきたのでウザいと思ったのか、店の女将さんの愛想が非常に悪かったが、昨日と同じく、鳥モツなどを中心としたつまみを食べながらビールを飲み、非常に気分がよくなった。
明日は松山の全札所8ヶ所をなんとか一日でまわりたい。天気予報はまたもや雨とのことだが……。
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