10月26日(土) 19日目 浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺、太山寺、円明寺
昨日は夜中にSNSをしてしまい、そのせいで興奮して疲れているのにあまりよく眠れず朝4時に目が覚めてしまう。かなり体が疲れているのがわかる。が、今日は松山市内の八ヶ所の寺を一気にすべてまわる予定だ。早く出発しなければ。起きて旅のログを書きながら準備をする。ゲストハウス泊なのだが、朝の5時なのにもう活動している他のユーザーもいる。自分以外全員中年の女性である。
早速、四十六番札所浄瑠璃寺へ向かう。松山でも最も南に位置し、ほとんど砥部町との境にある寺だ。残念ながら雨が降っていたが、以前も書いた通りである。お遍路に雨も晴れもない。その日行けるところまで行くだけだ。浄瑠璃寺は衛門三郎の伝説のある、お遍路発端の寺とされている。どういうことかというと、昔、衛門三郎という男が、托鉢していた空海が気に入らず、その鉢を蹴り飛ばしたところそれが8つに割れて粉々になったという。その後、衛門三郎の息子は八人とも全員死に、絶望した衛門三郎は発心して各地の寺をまわった。これがお遍路の始まりとされているのだそうだ。現在の基準で考えたら、空海にしたこととその結果とがあまりにバランスを欠くように思えるし(なんせ鉢を吹き飛ばしただけで子どもが全員死亡である)、親の悪事のせいで死ぬことになった息子たちもたまったものではないし、流石にそのお返しは空海ひどすぎるだろと思うのだが、なんとなく美談のように語られていた。寺自体は植物が非常に多く、散らかっているようでいて美的に洗練された、どこの角度から見ても美しい、自分好みの寺だった。
続いて八坂寺へ。浄瑠璃寺から1kmも離れていない。とにかくお遍路は極端なのだ。昨日は次の寺まで80kmだの100kmだの離れていたのに今日は1kmも行かないうちに次の札所に着いてしまう入れ食い状態。まだ雨が降っていたが小雨なのでほとんど気にしなくて済みそうだ。どんどん回ろう。次は西林寺。これもたった5km、20分ほどで到着した。たまたまなのだが同じ時間にツアーお遍路客が来ていた。近くに行くと聞こえてくる言葉がどれも日本語とは違う。どうやら中国から来ているようだ。集団で般若心経を唱えるのは日本と同じだが、唱え方に音程がついていて楽しそうな感じがする。同じ真言でもブツブツと単調に唱えるのと、音程をつけたりリズムをつけて音楽的にするのと。おそらく中国人観光客たちは般若心経を唱える時ブッダマシンを使っていた。
お次は四十九番札所浄土寺。これも西林寺からはたった3kmほど。10分も自転車をこげば着いてしまう。昨日までの苦労が一体何だったんだと思わざるをえないが、ありがたいことにサクサクと札所めぐりが進んでいく。浄土寺もシンプルながら落ち着いたまちなかの寺だ。ここから五十番札所繁多寺(はんたじ)まではこれまたたったの2km。鐘の天井に描かれた絵が有名な札所だ。境内を見てまわっていたら、男性のお遍路さんが鐘のほうで手招きをし、ちょいちょいと鐘楼の天井を指差す。無言だがここに絵があるぞと教えてくれているようだ。言われなくても気づいてはいるのだが……。どうも日本のお遍路さん、特に男性は教えたがりというか、語りたがりというか、「上から」なところがあって警戒してしまう。繁多寺を出ようとしたら、もう一人、男性のお遍路さんが話しかけてきた。「自転車でまわられてるんですか」。何でも三重から車で7日前からまわられているらしい。自分はここまで自転車で約20日かかっているが自動車だと七日で来れるのか。というか、それでも七日かかるのか。四国で美味しいものを召し上がられましたか?と聞くと、高知でウツボを食べたがそれが美味しくて忘れられないという。お遍路はお大師様とお二人でまわられてるんですかとお聞きすると(そういう設定なので「一人でまわってるか」とは聞けない)「嫁も一緒に行こうと言ってたのだけど休みがどうしても取れなくて」とのこと。「自転車なんてほんとにすごいです。自分は昨日岩屋寺の本堂までの道を登っただけで足がパンパンになってしまって」。最後にお互いの無事を祈り、別れる時に「これ、お接待です」と飴玉を二つ下さった。お遍路さんからお接待を受けたのは初めてだ。すごく優しそうな柔和な雰囲気の方だった。
先を急ぐ。次の札所は五十一番石手寺だ。これまた繁多寺からはたった3kmほどの距離しかない。いよいよ石手寺に来た。いよいよというのも、事前に友人の鼻くそちゃんから「石手寺が私の一番好きなお寺だからじっくり見てきてね」「遊園地みたいなところだから楽しいよ」と聞いていたからだ。あの鼻くそちゃんがわざわざ「一番好きなお寺」と言うなんて一体どんな寺なんだろうと大変期待して入ったのだが、これが過去一番の「とんでもない」寺だった。あちこちにこれでもかと仏像が並んでいる。それもおそらく近年になって誰かが作った仏像である。一応仏像と言っているが形もかなり自由で、アイヌの木彫のようだったり、伝統的な仏像の形状や流儀に一切縛られていない感じである。それだけならまだいいのだが、そんな仏像があちこちにとんでもない数、作られて置かれている。これはもう実際に見てもらうしかないのだが、寺というよりも、アウトサイダーアートの展示場。階段の途中に突然巨大な金剛杵(こんごうしょ)が置かれてたりする様は寺というよりは完全に美術館だ。
極め付けは「マントラ洞窟」である。洞窟の中にたくさんの仏がおり、それがそれぞれの世界を表現しているなどと言うので中に入ってみたのだが、洞窟の中に仏像がこれでもかと等間隔で並んでいる。暗い中、遠くのほうに小さく仏像が見えるので、おそらくは鏡が置かれてるのだと思って先を進んだのだが、小さく見えた仏像は鏡に映った鏡像ではなく、実際にそれくらい洞窟が長い。どこまで続くのかと怖くなったところで出口が見えたのだが、外に出てみるとそこは寺の敷地内ではなく、県道だった。もう無茶苦茶である。
仏教というのは「我」を捨てる宗教だと思うのだが、その「我を捨てろ」という教えを教えてくることにかこつけて濃厚な我を仏像という形で連続してしかも大量に延々とぶつけてくるので、あまりの情報量にこちらのツッコミも追いつかない。普通、寺にいるとその静謐なたたずまいにこちらも心が落ち着くのだが、この石手寺はあまりの「うるささ」にどこにいても落ち着かない、逃げ場がない。しばらくいるとヘトヘトになってしまい、気づくと右肩あたりに寒気がする。これは流石にまずいと思い、何とか寺を逃げ出した。「逃げ出した」と言いたくなる、言うしかない、そんな「圧」だった。
寒気を感じるし体調が明らかにおかしい。道後まで戻りランチを食べ、その後、昼間なら空いているだろうと道後温泉に入る。本館は以前に何度も入ったことがあるので「飛鳥の湯」と呼ばれる別館に今回は入ってみる。建物は確かに新しくそのデザインも洗練されているが、だから何だという、取り立てて見るべきところもない温泉施設という感想しかない。とはいえ温泉にゆっくり浸かったおかげで石手寺で受けたダメージもなんとか回復した。次の札所は五十二番太山寺(たいさんじ)だ。
太山寺も松山市内の寺だが、少し坂を登ったところにある。今日はこれが初の坂道だったので少し疲れたが昨日のことを思えば本当になんてことはない。息を切らし登っていく。すると駐車場があり、駐車場の中にトイレがあり、そのトイレの横で何やら自転車を修理している人が見えた。トイレにも行きたかったし、気になったので近くによってみると、自分と同じようにキャンプ道具などさまざまな荷物を積んでいる。どうやら自転車遍路らしい。自転車はママチャリのようにも見えるがこれは改造したクロスバイクだろうか。雨除けなどが車輪部分につけられており、それが曲がってタイヤと擦れてしまっているようだった。それをペンチで捻って修理をしている。歳は五十か六十前といったところだろうか。声をかけその男性遍路と少し話をした。自転車は愛媛の道を走っていた時、おばあさんが運転する軽トラックにぶつけられたのだという。おばあさんは心配してくれたが、こんなことで車を止めさせるのも悪いし気の毒だと思い、大丈夫だと伝え、その場を走りさったが、その後、荷物の重みもありしばらく走ると自転車の調子が悪くなってきたので、修理をしている。男はそう言って自分の身の上を語ってくれた。男は昔は大阪に住んでいて、高知に移住してきたのだという。仕事は宮大工なのだが、少し前に病気になった。手術をし治療したので病気自体は治ったのだが、目をやられてしまい視力が低下。宮大工の仕事を続けることができなくなったのだという。仕事が「休み」のこの機会に四国の寺を見てまわろうと自分で改造した自転車に乗って、主に野宿で遍路をまわっているとのことだった。不幸な時には不幸なことが重なるものなのだろう。男の語り口調からは自分の人生はいつもだいたいこんな感じという、諦めというか慣れというか「受け入れ」のようなものを感じた。特に誰を恨むわけでもなく怒るわけでもなく、かと言って悲しむでもなく、ただただ苦難を受け入れている。自分は自分が不幸であることを受け入れている。変えることもできないと知っている。そんな雰囲気だ。話をしたことで少しでも気がまぎれてくれたのならいいが……。こちらも今日中に次の円明寺まで回らなければならない。気がかりではあるができることも特にないので、その男性を残し、太山寺に参ることにした。さっきの石手寺の一件があったため、寺を見るのが少し怖くなっていたのだが、この太山寺は石手寺とは異なり、ギミックや小細工など一切ない、超正統派の寺だった。特にその本堂は大きさといい、スタイルといい見事としか言いようがなく、ここまで見てきた寺の中でも最もかっこいい本堂の一つだと思われる。素晴らしいものを見せてもらった。これだから寺まわりはやめられない。そんな気持ちになった。気になったので帰りにもう一度駐車場を見てみたが、自転車遍路の男性は消えていた。よかった。無事先に進むことができたらしい。
本日最後になるのは五十三番札所円明寺だ。超トリッキーかつアングラサブカルな石手寺、超オーソドックスでド直球のスタイルでパワフルに押してくる太山寺という流れのあとで、この円明寺を見ると「どこにでもある割とフツーの寺」のように見える。取り立てて特にそこまでの特徴はないかと思ったら、「キリシタン灯ろう この奥(裏)にあります」という看板が立っている。キリシタン灯ろう?なんのことかわからないが、「奥」と言われる小さな隙間を通ると、裏に小さな灯ろうがある。なんてことのない、目立たない、小さな石の灯ろうである。ところがこれは隠れキリシタンがその信仰に使ったものかもしれないものだという。言われてみれば、仏像のようにも見えるが手を組むマリア像にも見える。灯ろうの形も曖昧ではあるが十字架に見えなくもない。
信仰とは一体なんなんだろう。確かに石手寺のアウトサイダーアートな大量の仏像にも度肝を抜かれたし、太山寺の見事としか言いようがない本堂のストレートアヘッドな美しさにも身が震えた。だけれど、この小さな、目立たない、ほとんど誰にもふりむかれない、極めてあいまいな灯ろうに、自分は心をつかまれてしまった。信じる心。信じる対象をどれだけ禁じられてもかたちにしてこの世にとどめたくなる人の心。今日は一気に八ヶ所もまわったが、最後にとんでもないものに出会えた。
すべての寺をまわりおえたので名残惜しいが松山を後にする。次の札所は今治だ。ただ、今から今治までは距離がある。途中適当な場所をみつくろって、今晩は野宿をしようと思っていたら、和気(わけ)というエリアにちょうどよい海辺を発見した。スーパーで今晩の夕飯と晩酌用に松山あげや、鳥の「たまひも」などを買ってから海辺へ。テントをさっさと設営し、最高の景色をながめながら飲んで食べた。今夜はぐっすり眠れそうだ。
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