10月12日(土) 5日目 平等寺、薬王寺



3時起床。いつもこの時間に目が覚める。起きたらすぐに旅のログを書きはじめる。書くべきことが多くて書いても書いても終わらない。手元にスマホしかない。今、一番したいことはPCとキーボードを使っての執筆だったりする。HHKBの心地いい打鍵感が恋しい。

7時に民宿の食堂に集まる。他の2人のお遍路さんは夕飯朝食つきのプランなので食事が出て当然なのだが、ぼくは「素泊まり以下」の金額しか出せてない。それなのにトースト2枚と丁寧に淹れてくださったコーヒー、おにぎりまでいただいてしまった。またまたお接待である。ありがたいなんてもんじゃない。

朝食を食べながら他のお二人のお遍路さんと話をする。一人は福岡から来られた女性。歩き遍路で順にまわっているとのこと。普段から運動をよくされているし、フルマラソンも何度も完走しているとのことで、昨日もあまり苦労なく、ロープウェイを使わずに太龍寺まで徒歩で移動したという。すごい。

もう一人は宮城県出身のご年配の方。60歳から70歳くらいだろうか。静かな無口な方なのだがボソッと「無理だナ……」「疲れた……」などと言っていた。歩き遍路はキツイと聞いてはいたけれどどれくらいのものかチャレンジしてみたが昨日で限界を悟ったとのこと。今日はこれからなんとか次の平等寺までは歩くが、そこから先は公共交通機関を使うつもりだという。四国の公共交通機関、信じられないくらい貧弱なので驚きませんように。

食事が終わると女性はササっと準備して出発。ぼくも荷物をまとめ最後にオーナーさんに感謝を伝え自転車にまたがった。その男性はあまりにも疲れがひどいので今日はここで一日ゆっくりしていくとのこと。ソファに座りながら魂を抜かれたようになっていた。とにかく無事を祈るしかない。

さて宿から平等寺に向かうコースはこれまた絶景で気持ちよくサイクリングできた。そんな場所ばっかりなので感覚麻痺してくるが。少し走ると二十二番札所平等寺に到着。土曜日だからだろうか、朝からたくさんの参拝客で賑わっていた。五色の紐が本堂へとかかっていたり、天井が曼荼羅模様になっていたり、ハデさを感じる寺ではあるが、横を見ると「オンライン祈祷」募集の看板がある。TikTokやYouTubeやってるまではわかるがDiscordなども運営しているらしい。現代っぽさ全開の寺だったりする。

あちこち参拝しいてると向かいから「ハーイ!」と声をかけてくる人がいる。見ると太龍寺でも出会った白人の老夫婦である。「また会ったわね。あなたも私たちも自転車だからこれからも何度も会うかもね。名前は?」と初めて名前を聞かれたので「森です」と答えると「エリザベスよ。よろしく!」。

さて次は美波町日和佐にある薬王寺、いよいよ徳島県最後の札所である。平等寺は山の中の里の中にあるが、薬王寺は日和佐だから海沿い。海沿いの寺まで山道を通っていくイメージである。

自転車を飛ばすがやはり今回も山道が多い。だるくなって降りて自転車を押したりぼちぼち休憩しながら移動していたら、後ろからやってきた外国人に声をかけられた。「追いついちゃった!」。見るとエリザベス夫婦である。齢70を超えてまさかの自転車峠越え。焼山寺もチャリで登ったというのは嘘ではないようで、目の前の坂道もスイスイと登っていく。

いくらスポーツのセンスがあるといっても七十歳の女性に抜かれて自分も少し悔しくなってしまった。こうなると火がつくのが自分の性格だ。遠くに走り去っていくエリザベス夫婦を見ながら「絶対追いついてやる」と自転車にまたがり坂道をこぎはじめた。

そもそも条件が違う。こちらは軽くしたとは言っても野宿前提の重装備。むこうはサイドバッグをつけてはいるが着替えや最小限の荷物だけである。またこちらは一般的なクロスバイク。向こうはロードバイクなのでそこでも重量差がある。重いと坂ではそれがモロにスピードに効いてくる。と、そんなことはわかってはいるのだが、それでも勝手に勝負をはじめてしまう。バカである。絶対に負けない。

夢中で飛ばしていたら途中でエリザベス夫婦を追い越し圧倒的な時間差で先に薬王寺に到着できた。薬王寺のあたりには長年の徳島生活で実はもう何度も来ている。向かいにある道の駅もよく知ってるし、温泉施設も。だから新たな発見というよりは「なつかしの場所に最後の挨拶」という感じである。道の駅で腹ごしらえ。ゲソと阿波尾鶏を炒めた「南阿波丼」をお店にていただく。750円。それと隣のそうざい屋で250円のメンチカツを買う。早速食べる。

腹ごしらえを済ませた後、薬王寺へ。するとちょうどエリザベス夫婦も到着したところだった。「モリ!また会ったわね!」。エリザベス、毎回テンション高ぇ……。

どうも自分はエリザベスが少し苦手のようだ。まず英語が聞き取りにくい。先日話したクリスはカナダ在住ドイツ出身なので英語も非常にpoliteで聞き取りやすく、また使うボキャブラリーも、少し観念的な話のほうが理解しやすい自分にはピッタリだったのだが、エリザベスはオーストラリア。早口だしイントネーション?アクセントがクリスとはまったく違う上にそもそも話を聞いていると、ハナから話の決めつけがすごい。なんていうかこちらのことを知ろう、理解しよう、それで何か言おうではなく、旅のテンションで「キャー!!またあっちゃったあ!ナイスゥ!!」みたいなノリなのでこちらも「ナイスゥ!」くらいしか話すことないというか笑。

しかし、本当に痛感するのだが、お遍路で一番に必要なスキルは間違いなく英会話である。

ツアーでまわったり車で家族で回るとなればもちろん英会話なんてできなくても構わないが、歩き遍路、もしくは自転車遍路となると、出会うお遍路出会うお遍路、みんなほぼほぼ外国人である。しかも彼らは非常に遍路について実利的な情報を大変詳しく知っており、それを互いに交換しあっているため、英語できるかできないかで情報収集に差が出てしまう。

道中の交流においても、基本日本人のお遍路
はいてもあまり話しかけてこない。が、外国人なら頻繁に話しかけてくるので「旅の交流を楽しみたい」という目的でもやはり英語が必須になってしまう。

そしてエリザベスやクリス、その他の外国人お遍路を見ていて思うのだが、お遍路やそこでの自然風景、トレイルに興味はあっても、日本人や日本文化、特に日本語に対しての興味は非常に小さいと感じる。日本語は難しいから学習しろと簡単には言えないが、それにしたってこんにちはーとかありがとう、ちょっといいですか、英語話せますか、くらいは日本語使ったってバチは当たらないだろう。それなのに最初から最後まで英語だけで通す。

じゃあ、これだけ外国人が来ていて、みんな英語しか話さない中でそれを迎えいれる日本人側はどうしているのかというと、これもまた見ているとびっくりするくらい日本語しか使ってなかったり、一応英語だが完全に日本語発音の英語とかで済ましている感じ。太龍寺のロープウェイに乗った時も、ガイドはすべて日本語。ガイドをスタートさせる前にA4サイズの紙一枚を「ディスイズ、イングリッシュ、ガイド」と言って渡すだけだった。他に商店やコンビニエンスストアなどで外国人と接する日本人スタッフも観察してみたが、もうまったく交流しようという気はないように見える。

以前、新宿のカプセルホテルに泊まった時はまったく逆だった。次から次へといろんな国からいろんな人が来る。その受付のスタッフは日本語、韓国語、英語を駆使して「カプセルホテルの利用方法」やルールを説明していた。みんな英語前提なのだが、それに日本人側も合わせているというあり方である。

が、お遍路においては地元民や他の参拝客が英語に合わせてくれている、だから外国人お遍路は何も気にせず英語だけを使っている、という感じでは【ない】。そうではなくて基本、日本語話者と英語話者は没交渉。日本語話す地元の人間はある種の背景、モブになっている。ただ、この乖離をシステムが埋めている。張り紙は英訳のものもあるが、日本語しかなくてもGoogle lensを使う。コンビニの使い方はどこの国でも大体一緒だろう。そんな感じなのだ。

英語もあまり使ってくれない、地元民感覚での情報を一生懸命日本語も交えて探りにいかなくても、英語さえ使えれば専用のアプリや動画、ブログでいくらでも有効な情報をゲットできる。日本にいながら日本語しかできないとそれらの便利情報や交流の可能性がすべて絶たれてしまうので不利なのだ。

とはいえ、そんな旅行スタイルで果たしていいものかという疑問も自分は持たざるをえない。クリスは日本が好きらしいが、日本語をする気はまったくない。歩くことが目当てで来ているから食事も三食ほぼすべてコンビニである。コンビニならどこにいってもシステムが同じなので外国人であっても困ることはない。ハイクという目的からすれば非常に合理的で効率的だしコスパは良いのだろう。けれども日本のこと、四国のこと、徳島のこと高知のことは彼は本当にほとんど何も知らない。

以前、焼山寺の遍路小屋でクリスと泊まったとき、手元にスダチがあったのでクリスに見せたのだが「何これ」というリアクションだった。「スダチ知らないの?」と聞くと「それは何?」。ジャパニーズライムだと説明すると「ほうほう」と関心は示したが、たとえばこれはどんな味がするのかとか、自分の食生活に取り入れるとしたらどうするかといった発想はない。なぜならクリスの朝ごはんはカップ麺だし、昼ごはんはコンビニ弁当、夜はコンビニのフリーズドライ食品だからである。

さて、薬王寺まで打ちおえたことでこれで徳島編は完結である。

お遍路において四国四県はそれぞれ「発心の地」(徳島)、「修行の地」(高知)、「菩提の地」(愛媛)、「涅槃の地」(香川)と呼ばれてステージ分けされている。確かにここまでは割とイージーにことが運んできた。焼山寺で危ういことはあったがそれくらいだろう。なんだかんだ言っても徳島は「地元」だ。もう14年も住んでいたし、そんじょそこらの生え抜きの徳島人よりも、自分のほうがあらかたのことは詳しい自信がある。地元の人は逆に用がないので、由岐までいって黒鮑の生育環境を調べたり、海陽町までいってにんじん買って食べたりはしない。ディープな徳島知識は持ってない。そのくせ「あっこの坂はえらいでよ!」などとアドバイスをくれたりするのだが、話聞いても別に自分もお遍路したわけではなく、たまたま車で通りすぎただけだったりする。

地元の人が地元に詳しいなんて幻想である。徳島の人間の多くは徳島から出たことがない。だから徳島を客観視、相対化できてない。徳島の人にとって「すごい」ことは他県の人間からしたら「フツー」のことだったりその逆もあったりするのだが、それがわからない。たとえば徳島というとスダチが有名、スダチは徳島が一番なんじょ!スダチはおいしいでえなあ!などと言うのだが「じゃあ全国における徳島県のスダチシェア何%かご存知ですか」と聞くとほとんどの人が知らない(ほぼ100%が徳島県内で生産されている。要は他所ではつくろうとすらあまりしてないその程度の産品なのである)。「ではスダチとかぼすはどう違うんですか?」と聞くと、今度は「かぼす」自体見たこともないから「かぼすのほうがおっきょい?」(大きい?)と言うくらいが関の山だったりする。

閑話休題。とにかくそれくらい自分は徳島が嫌いと言いつつ、嫌いだからこそいろいろ調べており、要するにめちゃくちゃ詳しかったのである。だから今回お遍路で行った各所もだいたいほぼ「一度以上は来たことある場所」だったりする。なのでなんとなく「あそこなら自動販売機くらいは置いてあるだろ」とか「コンビニは一軒はあるだろう」といったカンも働く。しかし、ここからは高知。今までのようにはいかないだろう。

薬王寺から次の最御崎寺(ほつみさきじ)まではなんと約80km。海岸線を室戸まで直走る地獄というか、天国のような素晴らしい景色の道のりだとは聞いているが、残りの時間で今日中に一気に到着するのは難しそうだし、今日は人生最後の徳島、海陽町も名残惜しい。というわけで、地元の人気お好み焼き店「のなみ」で一杯。ホルモン焼きに豚玉ミックス。瓶ビールで2000円だった。安い。大きい。最高。その後はPIA(地元のスーパー)で買い物をし、まぜの丘キャンプ場へ。

以前来た時は平日で風が強い日だったから自分以外誰も利用者がいなかったのだが、今日は土日ということもあり、たいへん混み合っている。お遍路に出てからこんなに人がいる、四国の都会を見たのははじめてかもしれない。

テントを設営し横になったらまだ6時とかだが、すぐに眠くなって8時頃には寝てしまった。明日からいよいよ高知県。とその前にまだ会いたい人がいる。

ここから先は

104字
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?