10月20日(日)13日目 金剛福寺
昨晩はぐっすり眠ることができたのでもちろん今朝も3時くらいには目が覚めている。旅のログを書きつけたり、旅館が素泊まりなので食事を作ったりして朝の時間を過ごす。旅館はとにかく古いのにWi-Fiなどもちゃんとあり、女将さんもとても感じがよかった。これで4000円ならめちゃくちゃ安いと思う。岩本寺の次は金剛福寺。およそ100km先だから、ここで多くの人が宿泊していくのだろう。建物の年季的には廃れていてもまったくおかしくないのに(そういう旅館や民宿はこれまでの旅でたくさん目にしてきた。コロナ禍に耐えきれなかったのだ)こちらの宿は今日も満員。昨晩はどの部屋にもお遍路さんが泊まっていたようだった。
荷物をまとめて出ようとすると隣の部屋から声がする。Kさんである。この頃にはもう完全にKさんが嫌いになっていた。ほとんど接点ない、昨日参拝後に少し街歩きを一緒にして、夕飯を一緒に食べた、ただそれだけでもう「嫌い」になれるのはある意味すごい。「私、もう、出ますね」と言うので「ご無事でー」とだけ返した。それ以外に何か言うことがあっただろうか。
Kさんが出て行った頃を見計らって、自分も旅館の玄関に出る。と、まだ荷造り中、自転車に荷物を載せている最中のKさんに会う。もうこの時点では「嫌い」を通り越して「縁起悪い」くらいには思ってる。人間というのは本当に勝手な生き物だ。
多少話しかけられはしたが、当たり障りのない最小限の会話だけする。そうしているうちに玄関からもう一人、歩きお遍路さんが出てきた。歳の感じは60歳くらいか。見た目がつげ義春にそっくりである。つげ義春がお遍路したらあかんだろう。ピッタリすぎるだろうと失礼なことを思っていると、またもやKさんがつげ義春に話しかけた。「お遍路ですか」。白装束つけてんだ。見りゃわかるだろ。律儀に「はい……」と答えるつげ義春。順打ちらしい。つまり、行き先は私と同じ、100km先にある金剛福寺である。「歩いてですか?」と言うと、つげ義春はしばらく黙った後、「いや、え、そうですね。でも……ズルなんです。電車は使おうかな……」という。「中村(旧町名。現在の四万十市)まで行こうかな……そしたら鉄道もあるかもしれない……」誰に言うわけでもなく、照れながら口にするその様もつげ義春みたいである。
さて宿で他の遍路と別れ自分の道を走り出す。目指すは100km先、四国最南端の足摺岬だ。急がないと5時までに寺に到着できない。そうなればこのお遍路で初の「札所ゼロ」デーとなってしまう。一日100kmは自転車でも何度か走行したことはある。だから時間もだいたい読める。が、四国は高知の道である。いきなり山道になっていたり、延々続く坂道になっていたら、そこで時間をとられ……ということにもなりかねない。
が、心配していたほどには道は傾斜もキツくなく舗装された走りやすい道だ。あっという間に黒潮町土佐佐賀エリアについた。朝、山盛り一合ほど米を食べたのにもうお腹が空いている。道の駅により唐揚げとかつおのそぼろ弁当を購入。その場でかきこむようにして食べた。また少し進み、道の駅を発見したのでそこで休憩。今日は長距離になるので体が疲れて辛さを感じる前に適宜休憩を入れる。ここでは今度はソフトクリームを購入。ソフトクリームなんて食べたの何年振りだろうか。甘いものはそんなに好きなタイプではないのだが、運動しまくっているせいか本当に何でもどれだけでも入ってしまう。
四万十市に到着。四万十「市」と言ってはいるが四万十「町」よりもこちらのほうが景色も雄大だし田舎という感じがする。旧地名で「中村」とも呼ばれているエリアだが、山。川。どこを見てもその景色の美しさに思わず息を飲む。なぜか今日はそういうテンションでずっと頭の中でじゃがたらが鳴っていたのだが、後日調べてみたら中村は江戸アケミの出身地である。確か高知だったはず……くらいには覚えていたが、意識せず取った行動がそうやって現実に一致していくのはおもしろい。
コンビニがあったので入る。たぶんこれを逃すと次にコンビニに出会えるのは何十キロも先のことになるだろう。ここまででもだいぶ走ってきた。疲れていたので店先、駐車場の脇のスペースにマットを敷いて横になる。お店としては見映えが悪いし迷惑かもしれないが、少しの間だ。許してほしい。これも今回の旅で学んだことなのだが、休憩を取るなら思いっきり取らないと効果が低い。結果、その後の仕事にも悪影響が出る。だったら休む時はとことん休んだほうがいい。自転車は脚を動かしているから脚も確かに疲れるのだが、ずっと姿勢を固定している上半身も長距離移動するとガチガチになってしまう。横になって目をつむり、軽い仮眠を取っておきたらだいぶ体力が回復した。さきを急ごう。
そう思い、四万十大橋を通……ろうとするのだが、あまりの景色の素晴らしさにまた自転車を止めてしまう。景色が美しいからで自転車を止めてたらキリがない。それくらい四国、特に高知の景色は言葉にできないほど圧倒的に美しいのだが、それでもこの四万十の風景は群を抜く。思わず見とれていると、橋の真ん中で座っておにぎりを食べているご年配のカップがいる。この景色を見ながらお弁当か。どれだけ素敵なことだろうと思い、無粋ではあるのだが、お二人水入らずのところ、声をかける。「どちらからいらっしゃったんですか」。聞くと「ここからはすんごく遠いところ」と女性が言う。「遠いところというと?」「新潟」「新潟!どちらですか」「柏崎」。原発のある柏崎である。「今回の旅は?お遍路ですか?」「ううん。終わりのない旅」。ウットリしているような声で女性は答える。聞くとお二人はご結婚されていて、夫の定年退職を機に、締切を決めないゆらり旅をしているのだという。これだけ聞くと数日前に室戸で会ったお遍路ご夫婦とまったく状況が同じである。「四国、楽しまれてますか」。同じ質問をしてみた。すると奥様が言う。「最高。特に祖谷(いや)のかずら橋は本当に素晴らしかった」。そして今日はこちら、四万十の景色を橋の真ん中から眺めながらおむすびを召し上がっていると。「そう!!最高よね」。そちらのお弁当はお近くの道の駅か何かで?と何気なくお聞きすると「これ、須崎で買ったの。テレビでよく出てる。並ばないと買えないっていう有名なたまご焼きのお店があって。ご存知ない?とても有名よ。そこのたまご焼きなの」。自分も須崎は大好きな場所だが、そのたまご焼き屋は知らなかった。結局、人生も旅も同じ。通るところはだいたい一緒でも、食事はすべてコンビニ弁当、いそいそと次の目的地をまわり「だから何?」と思って旅する人もいれば、道中、かずら橋から四万十川から、美しい光景を目に止め、自分で情報を調べて美味しいものを見つける人もいる。楽しんじゃったもん勝ちなのだ。せっかくのお二人のお時間をこれ以上邪魔するのはしのびない。挨拶をしてその場を去ったのだが、夫さんのほうが「では足摺岬でお待ちしてますよ」とおっしゃる。そうか。このお二人は車だから今日は須崎でたまご焼きを買って四万十でお昼を食べ、足摺岬に行って、その後四国のどこかの宿で休むのか。自分は自転車だから昨日は須崎で今日足摺である。自動車、ほんと便利だな……。金剛福寺までは四万十からでもまだ40kmほどある。急がなければ。走っていたら途中、後ろから車が来た。通りすぎる時に「がんばってー!」。声をかけてくれたのは先ほどの奥様である。
その後も一心不乱に自転車をこぎつづける。土佐清水までは意外と楽に、気がついたら到着していたくらいの感覚だったが、そこからが辛い。足摺岬までの道はこれまたこのお遍路旅で毎回登場する坂道である。5時になる前に到着したい。こちらに焦りが出てきているためか、道のりが遠く感じる。坂を越えてまた坂が続く。へとへとになっていたが、ついに午後3時47分、最南端の札所三十八番金剛福寺に到着。
正直に言って、一体なぜ一つだけ寺を、札所をこんな離れた局地につくるのか、一体何がしたいのか酔狂もいい加減にしろとお大師様に恨み言を言ったのも一度や二度ではないのだが、実際にこのお寺を目にすると「そりゃここを札所にするわ」と納得する、それくらい素晴らしいお寺だった。よく「お遍路をして何か変わりましたか」と質問される。変わったことはたくさんあるし変わったことだらけなのだが、明らかな変化の一つが「寺に対してうるさくなった」ことである。短期間の間にこれだけの多数の寺を見まくる経験というのはなかなかない。結果、寺の見どころや変わってるポイント、推せる魅力などを発見するスキルが爆上がりしているのだが、それにしたってこの金剛福寺はすごい。境内の中に池があり、大師堂まで橋があり道ができている。その池の周りに岩や仏像が一見乱雑に並べられている。そう、実は結構ガチャガチャしてる「情報量の多い」寺なのだ。が、それでいてちっとも煩くない。見る角度立っている位置によって寺もその姿を変える。でも、どこの位置から見ても魅力的なのである。こういう寺はなかなかない。単に札所だからというだけでなく、本当に来てよかったと思った。
その後、足摺岬も軽く観光して(文字通り本当に金剛福寺の目と鼻の先が足摺岬である。徒歩20秒)、さて今晩はどうしたものか。宿のことについて考える。ここでもクリスから教えてもらったHenro Helperというアプリが役に立つ。「Unofficial Campground」というカテゴリをスライドさせると、非公式のキャンプ場、つまり野宿場所がマップに表示されるのだ。するとこの先少し行ったところに無料でキャンプできる場所があるという。情報をクリックしてみると「無料」「何泊でも」と書いてある。普通だったら逆に怪しくていかない。が、この度のテーマは言ってなかったっけ。「もうどうにでもなれ」だ。
少し坂道を行くと目的の場所にはすぐ着いた。広くて確かにキャンプにはよさそうな場所である。が、車が停まっている。住んでいる人、おそらくはオーナーもいるのだろう。声をかけておいたほうがいいと思い、芝生の隣の建物に近づいていくと、向こうもこちらの存在に気づいたのか窓に近寄ってくる。
「ごめんください。こちらでキャンプさせていただけると聞いたのですが」
「ええよ」
「お遍路なんですけども」
「ええよ」
「一泊させていただければ」
「ええよ。何泊でも」
歳の頃60歳くらいの男性なのだが、そういう自己啓発セミナーにでも行ったからそれしか言えないのか?と思うくらい、何を聞いても「ええよ」しか言わない。「キャンプでもええし、中も泊まりたかったら別にええよ。風呂もある。炊事場もある。どうぞご自由に」と言って、家の中も案内してもらった。
とにかくとんでもない場所である。男性は
先ほど60歳ほどに見えると言ったが実際はなんと81歳で(!!)会社を二つばかり経営しており、そのうちの一つが解体業なのだという。解体すると出る不用品、そのまま処分すれば処分費がかかるものを使えるものはこちらに持ってきて有効活用。あとはDIYでこのなんて言ったらいいのかわからないが……無料宿泊施設を作りあげたのだそう。
「あっこ見てみ。松が生えとる。私が植えた。あれ、私の墓です」。もう自分は生きながらにして死んでいる、だからあとは何でも好きにしたらいい、人と話すのも好きだしこんなことをしているという。御仏の心の塊みたいな人だと思ったのでつい「仏の悟りですね……」と言ってしまった。するとこの男性は「私は天理(教)よ」と言う。「関係ない。クリスチャンもたくさんここに泊まる。お遍路も来る。誰でもいい。同じこと」。そう淡々と語る時の目は静かなのだが笑ってはいない。こんな静かな目を見ることははじめてかもしれない。「宗教なんて趣味よ。生きてる間の趣味。趣味がないと張り合いがない。でもマジになったらダメ。お金ある人はいいよ。お金ない人が見ぐるみ全部剥ぎ取られるのは問題」。こちらが言葉を失っていると、家の中をあちこち連れて回って説明してくれる。
「何泊でもいいってマジですか?そんなこと言ったらずっと泊まる人がいるのでは……」。そう尋ねると「ずっといる人もおるよ。この前は数ヶ月、外国人が滞在してた。私は英語がわからない。その方が通訳をしてくれる。助かった」などと言う。「六年住んでた人もおるよ」。六年????思わず言葉を失っていると、男性は言う。「漫画家の黒咲一人さん。六年ここに住んでましたよ。あそこで漫画を描いたりしてね。彼はいろいろ体験されてきたからやろね。人の心の痛みも苦しみもよくわかる。とてもいい方よ。電気も工事もできるから手伝ってもくれたしね」。六年無料で住まわせるほうも住まわせるほうなら住むほうも住むほうである。
漫画家の黒咲一人さんというのは、森がお遍路に行く前に読んだ数少ないお遍路記の一つ『55歳の地図』の作者である。黒咲氏は55歳になってついに漫画の仕事が絶え、西船橋の家を引き払い、残った荷物をリヤカーに乗せて単身四国へ。そこでリヤカーを押しながら無銭野宿のお遍路旅をする。その経緯を描いたのが『55歳の地図』なのだが、作品を読んで疑問に思っていたことがある。それは「お遍路終えた後はどうなったのか」である。既に西船橋の家も引き払っている。お遍路終わっても家がない。ただのホームレスになるだけである。一体その後どうやって生き延び、なんならお遍路体験漫画を描いて出版できたのか。黒咲先生の漫画を読んでそこらへんが疑問だらけだったが、その疑問は今解決した。「ここ」に住んでたのである。六年。とんでもない話だ。
今夜泊まる部屋はそんな黒咲先生も住んだ部屋。感慨も深いが、まずは旅の疲れを風呂で癒す。お湯もちゃんと出るしなんならシャンプーも石鹸もある。しばらく人が来てなかったのかもしれない。浴槽は確かに汚れてはいたが、軽く洗って湯をはり、我が身を沈めると気持ちがいい。もう天国である。これで無料。タダ。マジか。
いわゆる善根宿と言われるものがある。簡単に言うと、お遍路さんのための無料の宿泊施設、宿泊のお接待なのだが、この家も広い意味で善根宿ということだろう。けれどもそれ以上に究極の住みびらきを見せられた思いだ。来週には東京から「引きこもり」(と男性は言っていたがニートなのだと思う)が大量にやってくるという。なんかニートをたくさん集めて何かをやってる人たちらしいが、そう言う人たちが遊びにくるんだと。それって多分「あれ」じゃないのかとは思うがとにかく。これができるのもこの男性の人徳あればこそであり、また場所が四国最南端足摺岬だからでもある。いくら無料、何泊でも、何なら住んでも構わないと言われても、足摺まではなかなか来れない。東京で同じことしたら一瞬で人の溜まり場になってしまい、さまざまなトラブルになるだろう。
とにかく本日もおかげさまでありがたく、お風呂にも入ることができたし、充電にもありつけた。感謝しかない。四国、お遍路の旅は底がしれない。明日は今日来た道の逆を行く。すなわち北上して三十九番札所延光寺へ。とはいえ天気が心配である。明日降り出すと言われているが……。
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