10月23日(水)16日目 龍光寺、仏木寺
とにかくお遍路生活をはじめてからというもの眠るのか早くなった。気づいた時には意識がない。7時とか8時には眠ってしまう。その結果、朝とても早く目が覚める。ということは早く眠くなる……の繰り返しだ。というわけで今朝も3時に目が覚めて日記を書いている。
自分のお遍路のペースが遅いのはこの「朝、日記を書く」があるからだと思っている。札所の納経所は朝8時からやっているから、3時や4時に目が覚めるなら6時には宿を出発するとか。そんなスケジュールにしておけば8時頃に最初の寺に着き、その後も時間いっぱい札所をまわれるのだろうが、3時や4時、下手すると2時にはとっくに起きてたりするのに、7時や8時まで日記を書いてて、出発がだいぶ遅れたりする。
とはいえ今朝は調子良く日記も書き終わったので早めに出ようと思い、宿に備えつけの乾燥機にかけた洗濯物を取りに行ったが全然乾いていない。30分100円なので30分もかけたのに。仕方なくもう100円入れてもう30分待ったのだが、それでも乾かない。早く出発したいのにとイライラしたが仕方ない。もう100円入れてさらに30分。取り出したらまだ少し湿ってるが(なんでやねん)ようやく着ても不快ではないレベルになっていたのでこれで洗濯物を取り入れ荷物をまとめて出発した。
宿の女将さんに話を聞くと昨晩はとんでもない雨だったという。うるさくなかったかと心配してくれたのだが、こちらは夜中の意識、記憶が一切ない。それくらい疲れきって気絶に近い感じで眠っていた。それだけ雨が降っていたならテントではなく民宿を選んで正解だったかもしれない。まあテントにしても気絶してるので大雨降っても気づかないわけだが。今朝はそんな昨晩が嘘のように雨は降っておらず移動しやすい天気だ。次の札所四十一番龍光寺を目指し宇和島へと向かう。
宿を出発したところですぐ思い出したが、そうだった。まずは坂から始まるんだった。坂を登りトンネルをくぐりを繰り返し先へ進む。どうも愛媛県自体が山だらけらしい。次の市町村に進むには必ず間に山を挟む。何度も繰り返される長い登り坂に自転車をこいでいたらあっという間に汗でズボンがびっしょりになってしまった。あれだけ時間かけて乾燥機で乾かしたのに。雨も避けたのに。結局、汗で濡れる。要するに前に進むならどうしたって濡れるのである。それなのに人は濡れないか濡れないかとそればかり気にするし、濡れたものが早く乾けなぜ乾かないんだ?とイライラする。まったく救いようのない愚かな生き物である。濡れることは気にするな。ただ前へ進め。
高知は「修行の地」と呼ばれている。だからこちらも修行のテンションで、キツい坂や長距離移動がひかえていても「それでこそお遍路じゃね?」と乗り切れていたし、高知の土地柄や自然とフィーリングが割とマッチしたのだろう。気分も高揚していたのだが、どうも昨日あたりから「我に返る」瞬間が増えてきた。実は昨日行った観自在寺、距離で行くと一番札所霊山寺から最も遠く離れた札所らしく「裏の関所」とも呼ばれているのだという。つまり昨日までの道は自分がいた場所から離れていく道のりだったのだが、今日、今から走るのは元いた場所へと戻っていく道のりだということになる。これが世界的にも珍しい回遊型巡礼、四国遍路のおもしろいところだが、進んでいたと思ったらいつのまにか戻っているわけだ。そうか。ここから旅路を急ぐということは進んでいるようでいて、実は「戻っている」ということなのか。そう考えるとお遍路の「魔法」もとけてきて、自分が単なる無職のおっさんでしかないことを思い知らされるのだ。旅という非日常はこれから終わる。日常に向けて出発だ。
宇和島市街地に入ってから、さらにこの気持ちが強くなる。街の規模がそれなりに大きく、しかもきちんと「街をしている」。当然のことだがみんな朝から働いてるし学校に行ってる。街全体に盤石な「暮らし」が滲み出しているのだ。高知にいる間はそれでもなんというか、「そんなに真面目に生きてどうするの?」「働いてるのは飲むためであって逆ではない」といったパンクでフラワーな尖った空気があったため「お遍路だ」と言うと、こちらのほうかパンクだろう、どうだまいったかという気持ちになれたのだが、宇和島のように、ここまで街が街として真っ直ぐに存立していると、いくらこちらがお遍路だいと胸を張っても「ご職業は?」と真顔で聞き返されそうである。お遍路と言っているが、やってることは締切のない気ままな一人旅。暇なんでついでに寺社仏閣もちょっと見物。夜は夜でおいしいもんに舌鼓。別段何も生産しておらん結構なことで……と思えてきてしまう。まあ間違ってないけど。お遍路してることがどこが後ろめたいのだ。「お遍路」という設定があまり通用していない感覚といったらよいか。
そうなってくるとなぜか突然、悲しい気持ちも襲ってきた。今まで他人にされた裏切りが次から次へと脳内に浮かびあがってくるようになったのだ。結局、人は、皆、裏切る。普段は調子のいいことを言っているがいざ利害が対立すると「正しいこと」に殉じるのではなく、自分の利害を正当化するのにちょうどよいレベルに知性が劣化する。「正しい」なんてその人の利害に応じていくらでも変化するのだ。そして間違えても酷いことをしても決して謝らない。自分は過去の酷い言動を取り消したり謝ったりはせず、ただ「自然の流れ」で「無かったこと」にするくせに、他人から言われたことをたとえその人が真剣に謝罪し反省していても絶対に忘れず、都合のよいときにそれをまた思い出して使う。自転車をこぎながら突然、他人のことが恨まれて恨まれて仕方なくなってしまった。
そんな気持ちになりながら、宇和島の市街地を通りすぎ、龍光寺を目指す。地図では7,8kmほどしか離れてないようなので今のペースですいすいと進もうと思ったら、もうとにかく延々と長い坂が続く。これも「愛媛編」に入ってから感じることなのだが、坂が地味に長い。高知の場合は「ここから坂だぜ!」って感じで、坂は坂でハッキリしていたが、愛媛は気づくと坂でなんだかんだでずっと坂で最後までゆるやかに坂だったりする。龍光寺への道がまさにそんな感じで宇和島の市街地出た後はとにかく最後までずっと坂だった。自分はどうやら坂が苦手らしく、他人よりまったく堪え性がないらしい。坂の途中で何度も「ふざけるな」「いいかげんにしろ」と悪態をつきまくってしまった。これ、本当に大声で叫んでしまってる。それくらい自分は追い詰められてるのだが、他のお遍路はまったくこんなひどい坂にも文句はないのだろうか。それとも「坂に文句を言っても」という当たり前がインストールされてるからだろうか。
坂を登りきるとそこら一体が、宇和島とはまた別の集落、マチになっている。市町村合併があったのでここらへんもすべて現在では「宇和島市」なのだと思うが、本当は三間(みま)と呼ばれるエリアらしい。ようやく平地になり少し移動するとついに四十一番札所龍光寺に到着した。その日はお祭りだったのだろうか。道中、神輿のようなものを担いだ小学生とその保護者をたくさん目にした。みんな龍光寺へと向かっていたから、龍光寺のお祭りのようだ。ちょうどいい日に来れた、ラッキーだったと思ったのも束の間、龍光寺の結構を知り、あまりのことに呆気にとられてしまった。
というのも龍光寺というカッコいい、いかにも中国かなんかの故事に由縁を持ったりしそうなその名前とはまったく真逆の寺だったからである。どういうことかというと「寺」とは言ってるものの神仏習合の影響もあり、また地元では伏見稲荷が信仰されているということで、ほとんど神社に取り込まれている寺だったからだ。お遍路の札所には、たとえば大日如来だの阿弥陀如来だの、そのお寺の本尊を祀った本堂と、空海を祀った大師堂(だいしどう)の二つがあり、本堂は基本的に建物の一番中心というか、いかにもウェイト高いところに、一番立派なものが建てられている。ところがこの龍光寺は長い石段を登ると、左に本堂があり、右に大師堂がある。え?じゃあ真ん前は?というと、そこからさらに長い階段があり、それを昇ったところに鳥居があって、その奥に神社の社があるという形になっている。要するに「神社が主。お寺は傍」ということだ。もちろん神社とお寺が合体した寺など全国的に多数あるだろうし、むしろそういう寺のほうが多いくらいかもしれないが、ここまでハッキリと、物理的ない位置でもって「神社が上!」と宣言してるかのような寺が「四国遍路八十八ヶ所」だということに呆気にとられてしまった。あの長い坂を登ってきて、ようやくたどり着いたら寺というよりどちらかというと明らかにお稲荷さんだったというわけだ。
先ほどの祭りも頂上の稲荷神社に関連したものらしい。神輿?のようなものを奉納した後、皆はそのまま途中の寺には参らずに子どもたちも保護者も帰っていってしまった。もちろん神様は神様、仏様は仏様だから同じ日にお参りするのはよくないことなのかもしれない。それにしたってなあ。正直、ここまでの苦難を超えてどんなお寺かと期待もしてしまっていたのだが、構えもその日のノリも完全に神社で、ますます自分が何をしにきているのかわからなかった。こんな感じでどうも愛媛に入ってからはタイミングや街の人との感覚がチグハグすることが増えた気がする。高知だとそれがピシャっと合ってたのだが。
気を取り直して次の札所、仏木寺へ向かう。とその前に腹ごしらえだ。近くに道の駅があったのでそこに行き、移動販売車があったのでそこでミニいくら丼のミニ海鮮丼を食べた。「ミニ」なだけあって安い。600円。なぜミニにしているのかというと、やはり催事やフェスティバルで出店するとライバルも多い。一つ食べるとお腹いっぱいになって別のが頼めない。お客様としてはいろんなものを楽しみたいはず、というところからサイズを小さくしたのだそうだ。かわいいし、写真も映えるしとてもいいのだが、食べ終わった後「おなかすいたな」と思わず口から漏れてしまうくらいには食欲モンスターになっている自分は、さらに道の駅のイートインコーナーに入りカツカレーを注文。これも余裕で食べ切ってしまった。それくらい龍光寺への道でカロリー使ったし、なんとなくなのだが今日はそれくらい溜め込んでおかないと生き抜けない気がしていたからだ。
次の仏木寺は龍光寺からたったの2kmほどしか離れていない。道も平坦なので、余裕のはずだったが、あろうことか今度は強い向かい風が吹きやまない。ほんとこんな感じで愛媛来てからすべてタイミングが合わない感覚がなぜかある。とはいえたったの2km。仏木寺にはすぐ到着した。門からの眺めや本堂へのエントランスなど素晴らしいお寺だった。動物、家畜を祀るお堂があるとのことだったので探してみると本堂の横に小さな家畜堂があった。様々な動物が祀られている。手を合わせお祈りした後、脇を見ると「参拝道はこちら」と書いてあり、何やら細い目立たない道が続いている。歩いていくと本堂の裏に出るのだが、その奥に小さな小さな神社があった。
極端である。
さっきの龍光寺ではとにかく神社が主。センター。お寺はそこに寄り添う脇役のようになっていたのに今度は寺がドドン!と主役を務め、神社はカツカレーについてる福神漬けのような扱い。当然自分以外の遍路さんも誰も入っていこうとは思わないような本当に目立たない「参拝道」だった。
まだ昼を少し過ぎたくらいだから、今日はまだ時間がある。今日のうちになんとか次の明石寺(めいせきじ)まで打っておきたい。というわけで、また自転車を走らせ、今度は西予市に向かった。……のだが、本当に毎回このパターンばかりで読者の皆さんもうんざりするだろうが、また坂。もう、ずっと、笑えるくらい坂が続いてる。昔『指輪物語』を読んだとき、あまりにもずっと辛い旅の描写が続くので「だるい」と思って途中で読むのをやめたのだが、自分もまったく読者に同じ苦難を強いている。でも正直に書くしかないので書くが、ずっとうっすらと坂である。この「うっすらと」が愛媛の場合曲者で、高知はわかりやすく地形が尖ってるのでこちらも「秘境魔鏡ハンター」の心持ち、どんだけエグい地形か見てやりますよと、ある意味ワクワクできるヤバさなのだが、愛媛の場合は「坂かな。どちらかというと坂かな。終わったかも。あ、まだ少し続くわ。でも、もう……あ、あと少し坂だ、どうしようかな。もう少し坂続けようかな」みたいな坂なので、こちらとしても張り合いがない割に体力だけは根こそぎ持っていかれるので本当に辛い。愛媛の「いやらしさ」は多分自転車乗らない人にはわからないんじゃないだろうか。車で移動すると坂とか関係ないし、道路も整備されているので行きやすいいいところである。
道中でホームセンターを見つける。ちょうどトイレに行きたかったのでお借りすることに。入ってみると小便器が一つしかなく、既に他の歩きお遍路さんが使っていた。こういうところでばったり会うのは何故か気まずいものである。同じ時期に同じ遍路を志し、同じ道を歩いていたら同じタイミングで同じく尿意をもよおし、同じホームセンターの同じトイレに駆け込んで……。ばつが悪い。早く終われと思ったのだが、このお遍路さんがとにかくゆったりした人で、普通小便なんかすぐに終わるのにもうさっきから何分かずっと小便してる。し終わった後もズボンを履き直したりベルトを締め直したりめちゃくちゃゆっくりしているので、何か事情があるのかもしれないがこちらも少しイラついてしまった。ようやく便器をかわってもらい、自分も用事を済ませ、再度出発する。
自分は道案内にiPhoneの地図アプリを使用しているのだが、目の前に坂があり、トンネルがある。ここを進もうとすると、アプリが「右側を走行してください」と言う。見ると細い坂道が横にある。アプリが紹介するからにはこちらの道を行くのが安全であり、早いということなのだろう。そう思ってその坂を登っていったのだが、どうも様子がおかしい。本当に行けども行けども坂なのだ。道もどんどん険しくなる。地図を見ても周囲は「みかん畑」と表示されている。「みかん畑」なんて表示はじめて見たわ。
完全にみかん農家が、みかん農家だけが使うだろう山道である。本当にここでいいのか。それでももう道は一本道で言われた通りに登っていくしかない。全身汗だくだし息も上がっているがそれでも登っていく。ご存知ない方は、というか私も今の今までそう思っていたのだが、「みかん農家」というと、みかんのほんわか呑気なイメージもあり、どこか「のほほん」としたものだと思うかもしれない。が、それは本物のみかん畑を見てから言ってほしい。みかん畑は一言で言えば「死ねる」。軽く足を踏み外すだけで簡単に死ねる。それくらい急峻な切り立った斜面にこれでもかとあるのがみかん畑なのである。ここに来るまで、愛媛県のあちこちでみかんが大量に詰まってたったの100円とか200円で投げ売りされているのを見てきた。どう考えても割に合わない。
みかん畑を登りきったのだが、道はまだまだ続く。アプリはまだまだ「登れ」という。あまり言ってこなかったが、実は自分はそこそこの高所恐怖症である。お遍路に必要なスキル、その第一は英会話だと言ったが、もう一つ「第一」のスキルがあるとすれば「高所恐怖症の克服」だろう。さっきまで自分がいたまちがほらもうあんなに小さく。遠くに海も見える。ってまち全体を見下ろせるそんな位置に来ても、アプリはそれでもまだ登れと言う。本当に恐怖と疲労でヘロヘロになってそれでも登っていった先にようやく小さな休憩所と句碑が立っていた。どうやらここは法華津峠(ほけつとうげ)と言うらしい。ここにたどり着いて最初に自然と出てきた言葉は「わしゃ仙人か」である。それくらい高い。標高何メートル??
そこから先は今度は山を降りるターンである。愛媛のまちはこんな感じでまちとまちが全部だいたい山で区切られているので次のまちに行くためには必ず山越しなければならない。途中で苔むして薄く緑色に変色した「吉田町」の標識が見えた。愛媛の場合、おそらくかなり市町村合併が激しかったのだと思う。なんというか土地の自然なスケール間と、現在の市町村名が一致しないと言うか、現在の市町村名とは別にまだ旧来の呼び名がところどころに残ってる感じで今自分がいるのは何市なのかわからなくなる時がある。ここもこんな山奥も現在では「宇和島市」ということになるのだろうが、以前は「吉田町」だったというわけだ。吉田町になぜ反応したかと言うと、自分が大好きな「八十八ヶ所巡礼」というバンドの出身地が吉田町だからである。そうか、こんな地形があんな音楽やる人たちを産んだのか……。
結局、90分以上、坂を登り続けていた。その後は坂を下るだけだが、思ったよりも時間がかかってしまった。寺の納経は5時までだ。今は4時。ギリギリ間に合う。が、宿の確保もしなければならない。近場のキャンプ場に宿泊しようと考えており、そのキャンプ場は5時までにはチェックイン済ませなければならなかったので、悔しいが今日はここで打ち止め。明石寺は明日まわることにして今日はこのままキャンプ場に向かうことにした。テントの設営は日が落ちる前と後とでは疲労度もかかる時間も雲泥の差だ。
と、キャンプ場に向かっていくところで、さっき坂を登る前、ホームセンターのトイレで会った歩き遍路にばったり再会した。ということはどういうことかというと、自転車であれだけ一生懸命坂を登ったが、それよりも歩き遍路さんの方が早く西予市に到着していたということだ。さっきあれだけトイレでのろまだ動きが遅いと悪態をついていた歩き遍路のほうが早かった。のろまなのは自分のほうだった。そのことに気づいて大変ショックを受けてしまった。自分としてはこんなに苦労して頑張ってるなんてすごいと思っていたのだが、客観的な進捗としては「歩いたほうがよっぽどマシだし効率もよかった」ということだ。自身喪失だが仕方がない。今日はここまで。
キャンプ場でテントを張る。もうだいぶ慣れたので設営も撤収も10分かからずできるようになった。設営が終わったら自転車で街へ出掛けていく。荷物を盗まれたら?気にしたことがない。汚い使い古しのキャンプ道具なんて盗んでも使い道がないからだ。店を探すがなかなかいい場所がない。一軒目、立ち飲みできる焼き鳥屋兼お好み焼き屋で一杯。続いて駅前の居酒屋で一杯。全体的に味付けが甘い。やっぱり高知とはだいぶ違う。あまり楽しくなれなかったのでシメで駅前のラーメン屋に入ると、大繁盛店だったらしくいっぱいだった。少し待ったがすぐ店の中へ。クリーミーな豚骨だが、全体的にトロトロ、あまあまという味で、だいたい地元の人が好きな味の傾向がわかってきた気がする。客の中にベトナム人(と店長さんは言っていた)が何人かいた。店長が「みかんですか?」と聞くと「そう」とベトナム人のみなさんが答える。今日見てきたあの険しいみかん畑。あんな場所で高齢者に本当に仕事が務まるのかと思ったが、現在ではベトナムのような海外からその労働力を確保しているようだ。
明日は今日打ちのこした明石寺へ。その後は大宝寺なのだがルートはさてどうするか……。
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