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スイス漫遊記13~ザンクト・ガレンの秋~


「四つの季節のうち、どれが一番好きかって?うーん、考えたこともないですね。だって僕の国には四季なんてものは明確に存在していませんし。
それでも、僕は秋が好きです。ほら、ジャズの曲にあるでしょう。君の国では『枯葉』と呼ぶらしいですけれどね。あまり季節について知らない僕ですが、秋が好きですね。なんというか、熱いものを感じるんです。クールなのに、熱がある。矛盾しているかもしれませんが、要するに矛盾が、僕が秋を好きな理由なんですよ」

峯岸達夫『チューリッヒ滞在記より、路上のチェロ弾き』

快晴の日はザンクト・ガレンへ

 良い場所だ、という話を聞いていた。だから言ってみたいと思った。そんな単純な理由で、一日は最高になるということを心のどこかで予期している自分がいた。そして、その期待を超える素晴らしい景色がザンクト・ガレンには待っていたのだった。

 朝はそそくさとホテルを出てチューリッヒ中央駅からSt Gallen行きの電車に乗った。毎回、車窓からの景色は最高である。美しい湖とスイスの大自然が一気に押し寄せる。この景色を眺めているだけで、私はスイスに来た甲斐が十分にあったと思うほどだ。
 チューリッヒにいた時点でかなり天気が良かったので、これは良いものが見れるだろうとわくわくしていた。

ザンクト・ガレン大聖堂に圧倒される


ザンクト・ガレン大聖堂

 せっかくザンクト・ガレンに来たのだから、その名を冠した大聖堂を見ないのはおかしな話である。スイスの教会は内も外も本当に美しいから見ずに帰るのは据え膳を食わないようなものだ。

ザンクト・ガレン大聖堂は、スイス東部にある歴史的なカトリックの教会で、ザンクト・ガレン市に位置しています。この大聖堂は、18世紀にバロック様式で建設され、特にその豪華な装飾や細部の美しさが特徴です。

大聖堂は、かつてのザンクト・ガレン修道院の中心的な建物であり、修道院そのものは7世紀に設立されました。ザンクト・ガレン修道院は中世のヨーロッパで重要な宗教や文化の拠点となり、有名な図書館を持っています。この図書館には、貴重な手書きの古書や写本が保管されており、これらのコレクションはユネスコの世界遺産にも登録されています。

大聖堂の内部は、白を基調とした壁に、金や色鮮やかなフレスコ画が施されていて、訪れる人々を圧倒します。特に天井画と祭壇のデザインは見逃せないポイントです。また、大聖堂の大きなパイプオルガンも見どころの一つで、定期的にコンサートも開かれています。

ザンクト・ガレン大聖堂とその修道院は、歴史的・文化的に価値が高い場所であり、訪れる人にスイスの宗教的な遺産と建築の美を堪能させてくれます。

chatGPTより

 小さくして家の置物にしたいくらいに美しい建物であり、中に入った時の驚きは大きい。まるで青い炎に包まれて燃えているかのように建物内に勢いがあるのである。建物の中であらゆるものが躍動しているような錯覚さえしてしまうような、芸術の動きを体感することができる。外観よりもさらに内観の方が豪華絢爛な様子を称えているので、是非一度目で確かめてほしい。
 このような装飾を考えた人も凄いが、それを実行に移す力も凄いと思う。それほどに宗教というものを万人に布教しようと考えていたのだろう。その熱意に脱帽する。インターネットが無く、娯楽が少なかった時代に、様々な人が心血を注いで芸術や建物を作り上げた。それほどまでして、人に宗教を推し進める理由とは一体なんだったのだろうか。日本だけでなく世界中で宗教を広めたとして、もしも万人がすべからく宗教を信じる日が来ていたとしたら、そんな世の中はどんな世の中になるのだろうか。
 スイスという国は、カトリックとプロテスタントが大体同じ割合でいる。

スイスの宗教的背景は、カトリックとプロテスタントの対立と和解が国の形成に大きく影響を与えました。スイスは16世紀の宗教改革の中心地の一つとなり、その過程で宗教的分裂が深まった経緯があります。

1. 宗教改革とプロテスタントの広がり
16世紀の初め、スイスは神聖ローマ帝国の一部でしたが、自治権を持つカントン(州)で構成されていました。当時のカトリック教会に対する批判がヨーロッパ中で高まり、スイスでも宗教改革が始まります。主に ウルリッヒ・ツヴィングリ と ジャン・カルヴァン の二人が重要な役割を果たしました。
ツヴィングリ: チューリッヒの司祭で、ルターと並ぶ宗教改革のリーダー。聖書に基づいた信仰を重視し、聖礼典の解釈や礼拝のあり方にカトリック教会と違いを強調しました。
カルヴァン: ジュネーヴで宗教改革を推進した指導者で、彼の教えは厳格な神の選びと予定説を重視し、カルヴィニズムとして知られるようになります。
2. スイス内の宗教分裂
スイスでは、カントンごとにカトリックとプロテスタントが受け入れられたため、宗教的な対立が国内で起こりました。特にスイス中部やアルプス地方ではカトリックが優勢で、一方で北部や都市部(チューリッヒ、ジュネーヴなど)ではプロテスタントが広まりました。このため、国内のいくつかのカントンはカトリックのままであり、他のカントンはプロテスタントに転向しました。
3. カペル戦争
1529年と1531年には、カトリックとプロテスタントの間でスイス内戦である「カペル戦争」が勃発しました。最初の戦争では休戦が成立したものの、第二次カペル戦争ではプロテスタント側のツヴィングリが戦死し、結果的にカトリックとプロテスタントの間で一時的な均衡が生まれました。
これにより、カントンごとに宗教を選択する権利が認められ、宗教的寛容がスイスの一部となっていきました。しかし、両宗派間の緊張は続きました。
4. 1648年のウェストファリア条約
スイスの独立と中立性が正式に認められたのは1648年のウェストファリア条約によってです。この条約は、三十年戦争後のヨーロッパにおける宗教的な均衡を図るものであり、スイスもこの影響を受けました。スイスはこの時から宗教的中立性と国際的中立を強く意識するようになり、両宗派間の対立を国内で穏やかに解決する方向へ進みました。
5. スイス連邦と宗教的和解
19世紀にはスイスはより統一された国家へと進化し、1848年に現在の連邦憲法が制定されました。この過程で、カトリックとプロテスタントの間での対立は再び表面化し、ソンダーボンド戦争(1847年)という内戦が起こりました。カトリック諸州が連邦政府に反対して独立を試みましたが、プロテスタント主導の政府が勝利し、最終的にスイス連邦が形成されました。
この後、宗教的対立は和解に向かい、スイスは複数の宗教が共存する国としての基盤を固めました。各カントンは宗教的自由を保証し、カトリックとプロテスタントの両者が共存する社会が築かれました。
6. 現代スイスの宗教
現在のスイスでは、カトリックとプロテスタントが大きな宗派を形成しており、全人口の約40%がカトリック、約30%がプロテスタントです。また、宗教的寛容が進んでおり、宗教の多様性を尊重する国としてのアイデンティティが根付いています。
このように、スイスの歴史においてカトリックとプロテスタントの対立は国の形を大きく変え、最終的には宗教的寛容と中立性を象徴する国家へと成長することに貢献しました。

ChatGPTより

 そのような背景を鑑みると、スイスという国が有する教会の形や内装の違いなど、様々なところに興味を持つことができる。どちらかと言えば、カトリックの方が外観や内装にこだわっているのかな、とか。
 私自身は宗教にはあまり関心が無い。それを不幸だと宗教を信じる人に言われたこともあるが、私は不幸で構わないと思っている。なぜなら私が信じるのは自分自身であり、神に誓いを立てることは自分を蔑ろにしているように思われるからだ。そんなことを言うと、宗教と対立しそうだからとどめておく。
 教会や大聖堂に関して、日本で言えば神社・仏閣のようなものだろうと思っている。厳密には違うのだろうけれど、私の中では大体同じだ。しいて言えば、日本では賽銭箱に銭を入れて鈴を鳴らしたりするが、ヨーロッパではひざまずいて祈ればいいのだから、その点は経済的だなと思う。
 念のため、カトリックとプロテスタントの違いについても残しておこう。

 

カトリックとプロテスタントは、キリスト教の主要な二つの宗派で、教義や信仰の実践にいくつかの違いがあります。以下に主な相違点を挙げます。

1. 教会の権威
カトリック: ローマ教皇(教皇)を教会の最高指導者として信仰し、教会の伝統と教会会議の決定を重視します。教皇は、信仰と道徳において無謬性を持つとされています。
プロテスタント: 聖書のみが信仰の唯一の権威であり、教会の伝統や指導者の権威は二次的と見なされています。教皇の権威を認めず、各教会は独立しています。
2. 聖礼典(サクラメント)
カトリック: 7つの聖礼典(洗礼、堅信、聖体、告解、病者の塗油、叙階、婚姻)を信じ、これらは神の恵みを伝える手段と考えられています。
プロテスタント: 聖書で明示されているとされる2つの聖礼典(洗礼と聖餐)を基本的に守ります。これ以外の聖礼典は聖書に基づかないとして採用しません。
3. 救済観
カトリック: 信仰だけでなく、良い行いと教会の教えに従うことも救済に必要とされます。救いは信仰と行いの両方を通じて得られるとされます。
プロテスタント: 「信仰のみ」(Sola Fide)を救いの鍵とし、行いではなく、イエス・キリストへの信仰によってのみ人は救われると強調します。
4. 聖母マリアと聖人の崇敬
カトリック: 聖母マリアや聖人への崇敬があり、彼らに祈りを捧げ、仲介を求めることができます。マリアは特に重要な役割を果たし、「神の母」として敬われます。
プロテスタント: 聖母マリアや聖人に対する崇敬や祈りを否定し、直接神に祈ることが強調されます。マリアも特別視されません。
5. 礼拝の形式
カトリック: 礼拝の中で多くの儀式や象徴があり、ミサが中心です。聖体礼儀(パンとワイン)はイエス・キリストの実体の現臨を信じています(変質説)。
プロテスタント: 礼拝はシンプルで、聖書の朗読と説教が中心です。聖餐はイエス・キリストの象徴的な意味として理解されることが一般的です(象徴説)。
6. 教会の組織構造
カトリック: ヒエラルキー(階層構造)が厳格で、司祭、司教、枢機卿、教皇の順に位階が設定されています。
プロテスタント: 各教会や宗派によって組織構造は異なりますが、多くの場合、カトリックのような一元的な指導者はいません。教会は比較的独立して運営されます。
これらの違いは、16世紀の宗教改革を経て形成されました。宗教改革はマルティン・ルターらが主導し、カトリック教会の教義や慣習に対する批判からプロテスタントが分離しました。

ChatGPTより

丘からの絶景

 

フロイデンベルグ


近くにあるプール。おじさんがパンツ一丁で泳いでいた

 フロイデンベルグと名付けられた丘からの眺めは絶景で、ザンクト・ガレンを一望できる素晴らしい場所だった。どの家も屋根の赤茶色が可愛らしく、統一感があって違和感が無い。スイスという国の豊かで穏やかな風を感じながら、しばらくベンチに座って景色を眺めていた。
 こじんまりとした街ではあるのだが、そこには大勢の観光客が訪れたり時計なども言わずもがな有名なのであろう。過去から連綿と繋がれてきた美しい景色を保ちながら経済を動かしている空気が感じられた。
 長閑で平和な空気感に包まれながら、ぼんやりと私はさらに丘を歩いて行った。

 

リンデの木


リンデの木がある丘からの景色
リンデの木

Windows98の初期画面で見るような、のっぺりとした緑の丘が美しかった。しばらく歩いていると、リンデの木を見つけた。確か北海道でケンとメリーの木というやつがあったが、そんな感じの佇まいで丘にドカンっと立っている。これがなかなかにロマンティックな憎いやつで、葉っぱがハート型という洒落ている木である。男一人でこんなところに突っ立っても何も面白くないだろうと思いつつも、ベンチに腰掛けたり色んな角度から写真を撮ったりして、なんだかんだ楽しんだ。
 ザンクト・ガレンについては、大聖堂もさることながら、丘のハイキングがとても楽しかった。もともと山が好きというのもあって、苦労して歩いた先に絶景が待っているというのが、何とも言えない景色を見る時の喜びとなっている。
 季節は秋。とても過ごしやすい空気感の中で、ゼエゼエ、ハアハア言いながらも、丘の小高いところで良い景色に巡り合う。結局はそういうことの繰り返しなんじゃないかと思う。私自身も、都会のコンクリートジャングルで、時には自分の息を殺して生きなければならない時間もあった。けれど、今は自然の中にいて、肺一杯にヨーロッパの空気を吸えているのだ。果たして、こんなことが出来る人間が世界にどれだけいるんだろうか、と考えて自らの幸運な環境に思いを馳せた。
 生きている限り、死はやってくる。これは避けられないことだ。
 だったら、今何がしたいかを本気で考えることが重要なのではないか。
 私は、その選択の一つとして旅を選んだ。目も悪くなれば耳も悪くなり、どうせあちこちが悪くなるなら、悪くならないうちに旅をしておきたかったのだ。
 スイスに来て、その決断は間違っていなかったと確信した。否、会社を辞めてからあらゆる場面で、私の選択は常に最善だったのだ。
 深く息を吸って、景色に目をやれば何十億人が生きる世界の中で、こうして美しい街並みや景色が、人々の活動によって生きている。私が死んだ後でもずっと続いていく景色だ。それでも、私が今日ここに来たという事実は生涯変わらない。私は確かにザンクト・ガレンの地に降り立ち、自分の二本の足でしっかりと丘の上に立ったのだ。一瞬一瞬が、私にとってかけがえのないものなのだ。
 ドカンっと立つリンデの木の下で景色を眺めながら、私もきっとこのリンデの木と同じだろうと思った。丘の上に一人寂しく立ちながら、ハートの葉を散らしては生み、散らしては生みの繰り返し。出会うべくして、この木に出会ったのだろうなと思った。
 名残惜しいがリンデの木に別れを告げて、私はゆっくりとザンクト・ガレンの街に戻った。

 夜は生ハムとノンアルコールビールを飲んで、ぼんやりとしながら眠った。幸せな日々というのは、後から後から効いてくる。思い返すたびに、高鳴る胸の鼓動を感じ、また鮮やかに生きていけるのだ。

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