
病める時より健やかなる時を分かち合えるのが友達だと思った話
中高時代から私は自分の不幸や失敗談を人に話すのが上手だったと思う。
時には面白可笑しく、時には涙ながら伝えることで、友人たちは私の話を聞いて笑いそして泣いてくれた。
私はその笑顔にやっぱり私の不幸(失敗)は大したことないとなり、共に泣いてくれることによってどん底から救われた。
やっぱり友達最高!って思っていたのだ。
最近そんな私に小さい幸せが訪れた。
偶然や運ではなく自分がコツコツ頑張ったことが報われたという幸せで、今まで私の不幸話ばかりしていた友人にできる久しぶりの嬉しい報告だった。
「よかったねぇ」ともちろん言ってくれた。
だって長く長く私が苦しんでいたことを知っていてくれてた友人だったんだもの。
でもそれだけだった。
後は「でも大丈夫なの?」「〇〇ができたからといって安心はできないんじゃない?」「私だったら無理かも」「ほら▲▼ちゃんみたいにすごくはないから私たちって」と不安になるようなアドバイスをたくさんもらって帰ってきた。
私のちいさいちいさい幸せは幸せですらなかったのかもしれない。
踏み出せなんかしない。
私は不幸から抜け出せなんかしない。
そんな気分になってしまった。
病める時にあれだけ救いになってくれたのに。
彼女のアドバイスはどれも的確だったかもしれない
私を本当に心配してくれたのかもしれない
でも私には堪えた
これが嫉妬だったらどれだけ救われたか
でも彼女は圧倒的に私より幸せな場所にいて、彼女もそれを十分すぎるほどわかっていて、限りなく高い位置からの「そんな簡単に幸福になれるわけがないじゃない」という切捨てに感じた。
いや違うなそういう気持ちすら入ってない感じだったのかも
自分の幸せを自分と同じように祝ってくれるなんて思っていなかったけど、今まで色々な友人に自分が思っていた以上に祝ってもらえてすっかり調子にのっていた自分の気持ちはとにかく粉々に打ち砕かれたなぁと感じた。
病める時はみんな優しくしてくれる、友人だって作りやすい。でも健やかなる時に共に喜んでくれる友人を作るのはとても難しい
そういうお話。