バーニング劇場版 薄気味悪い向こう側
「シークレット・サンシャイン」「オアシス」で知られる名匠イ・チャンドンの前作から8年ぶり監督作で、村上春樹が1983年に発表した短編小説「納屋を焼く」を原作に、物語を大胆にアレンジして描いたミステリードラマ。
村上春樹の原作ははるか昔に読んではいるが、すっかり覚えていない。
そしてこの映画を見ても思い出せない。
まあ、原作は原作として、この作品にも村上春樹の小説と共通する何か得体の知れない薄気味悪さのようなものが存在している。
象徴的なのが「井戸」だ。
村上春樹の小説では共通して出てくる、何かの入り口、底知れぬ闇、結界のメタファーだ。
この映画では主人公の幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)が子供の頃に落ちた井戸、あったのかなかったのか分からない井戸、主人公イ・ジョンス(ユ・アイン)が探す井戸である。
井戸以外でもこの映画で描かれるのはこちら側と向こう側のボーダーライン。
そしてあちら側は不気味だ。
居るのか居ないのかわからない猫。一体何をしているのか分からないセレブたち。北朝鮮。拘留されている父親。などなど。
薄気味悪い向こう側が未来だとするとその境目が今とも取れる。
ジョンスの前に現れるヘミこそが、向こう側へ行ったりこちら側へ来たり、ボーダーラインの象徴として描かれるのだが、昼と夜の境目で踊るダンスは映画史に残る美しさ。
薄気味悪い向こう側の本質は何なのか、この映画ではそこは見るものにゆだねられているようだ。
そして、予想だにしないラストに・・
いいか悪いかは別として、村上春樹の小説らしくはないラストだと思う。