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【手記】2022/01/18 「僕の救い」

ほとんどnoteでは音楽の話題に触れることをしておらず、書きたい時に自分の曲の紹介をしたり、好きな音楽のトピックをとりあげたりするにとどまっている。

自分の音楽活動の報告などもほとんど行うことはないのだが、今日は少しだけ思うことを書こうと思う。


2022/01/18 yokohama mint-hallでのライブが中止になった。
詳細は、こちらをご覧いただきたい。

午前中に担当スタッフさんからご連絡があり、メールを見た時にはしばらく身体の震えが止まらなかった。

まず頭に浮かんだのはお客さん。
この日のライブを、昨年決まった時から心待ちにしてくださった。
どうやって連絡しようか、ということばかり考えていた。

しかし、少しずつ時間が経つにつれ気持ちを取り直してきて、冷静にいただいたメールを読み返すと、そのメールを書いてくれたスタッフの方の顔が浮かんできた。

きっと、断腸の思いで連絡してくれたのだと思う。

yokohama mint-hallというお店は、昨年の3月よりお世話になっている。
とあるイベンターの方が呼んでくださり、そこからのご縁となった。

2021.3.2 photo by 水牧健介

こちらのお店は、お世辞にも集客力があるとは言えない自分を何度もブッキングしてくださり、正直mintさんがブックしてくださならかったら、去年の僕は腐っていたと思う。
そのくらい、感謝をしている。

スタッフさんは皆さん本当に素敵な方々で、明らかに挙動不審な僕にも笑顔を欠かさず挨拶してくださる。
リハも毎回滞ることなく進めてくださり、返しのバランスや歌の微調整も文句なしに務めてくださる。配信の映像も大変良好。
プロなんだから当たり前でしょ、と言えばそれまでかもしれないが、正直ここまでのクオリティでライブをさせてくれる箱は都内含めそう多くない。
老舗ならプライドの凝り固まり、新規店ならナアナアという店が大半を占めると言っても過言ではない。リハと本番の音響が違うなど、まるで他人事のようにしているライブハウスだってある。

…少し愚痴のようになってしまったが、miint-hallさんは本当に素晴らしい店である、ということが言いたかった。心荒んだコロナ禍では、本当に貴重なお店だ。


何かといえば、憤りを抱いている。
何に対してかはわからない。少なくとも、お店や演者に対してではない。
よもやお客さんなわけがない。

新型コロナウイルスというものに対して、脅威を感じていないわけではない。
少なくともオミクロン株はインフルエンザを凌駕する、恐ろしく感染力の高いウイルスだという認識を持っている。
しかし、正当に評価され、また人間の持つ尊厳を踏まえられた対応がなされているかと言うと、少なくとも自分はそうは思えない。

お店や音楽に関係する方々が抱いている「悔しさ」が、正しく未来に還元される世の中では無いように思うのだ。
私たちは、一体何と戦っているんだろう。

人々は荒れ、こんな風にして生きがいを奪われ、行政はまた人の行動を制限し始めた。
いつまで続くんだろう。いつまで続けるんだろう。

誰が悪いんだろう。誰も悪く無いのか?
マスクをしていない若者に口を出してボコボコにされた大人は悪いのか?
はたまた、若者が悪いのか?

善も悪も何も無いと思う。
あるのは、誰が得するかわからない風潮 / 他者の目 / 疑惑の心。
何だっていいのだが、どんどん冷たく固くなっていく世の中は、一体誰を幸せにするのか。

僕が社会に抱きたい希望は、他者を尊重できる、それでいて自分の幸福を追求できる温かい空気そのもので、やり場のない思いを吐けず、肩を凝らして生きるような社会ではなかった。
僕が望んでいるだけだろうか。
みんなは今の世の中を望んでいるのだろうか。


よく「抽象的だ」と人に叱られる。
「ロジカルシンキング」を学べと言われる。

そうやって論理や具体で息を詰まらせ、身体を壊しているのは一体誰なのか。
感じたいエネルギーを感じる自由を自ら奪っていることに気づかないその人は、一体何を求めているのか。

今の世の中の異常さに、少し辟易としてしまった。
何とかして、落ち着きを取り戻したい。
まずは自分が、柔らかく緩んでいく必要がある。

コーヒーを飲んで落ち着いたら、歌を歌おう。
誰かを救うための歌ではなく、歌い継がれてきた「そこに存在する」だけの歌を。

僕は歌に、救いを求めているのかもしれない。


2022/01/18 モリタクロウ

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