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【即興詩】2024/10/27「ジーニーの養生」

何もしたくない気持ちが
未来永劫続くわけではない

床の埃が気になって
仕方がなくなって

気づけば軽やかに
上体をお越し

気づけば
掃除棒を手に取り
掃除の体勢を作っている

そんなふうにサ

思えば動けて
動ければこんなふうな
小さな願いを
叶えられて

私が私を
どれだけ矮小と思っても
それなりの願いを
叶えるチカラがあるのだと
思い出すこと

それもまた
養生なのである

昨日はなんとも力が出ず、元気になることを祈って国産牛の肩ロースの切り落としで焼肉定食なるものを作った。

画像左には小盛りの白飯がある。

病み上がりの体に染みるかどうかと言われるとなんともわからないけれども、ひとまず食事中は元気だったと思う。
そして、終盤には「今の私に280gの牛肉は重たかったかもしれない」と、当然ながら軽い後悔をした。

でもたぶん、それも含めて「体験したかった」のだと思う。


自分の気持ちを押し殺すことが当たり前だった幼少期を過ごしたものにとって、20歳以降は自分のわがままを叶えることが一つの目標になっている。

経済指標的には決して貧しくはなかったはずの自分は、金銭的なところだろうとなかろうと、何となく願望を叶えてもらっていないような状態が続いていたことは間違いなかった。

それは、決して親が悪かったわけではなく、「自分の願望を自分で適切にキャッチアップできなかった」のだと思う。

自分が何をしたいのか、親の提案を受けてわかるようになる「時期」があるのは間違いないが、それを大人まで引きずっている人間は、そう言うところが由来なんじゃないかと。

適切に心理学を学びたいと思いながらも、今の僕はあまり西洋的な学問に食傷気味なので、東洋的な本を読み漁ろうかと考えあぐねているところ。
とりあえず「整体入門」を手に取り、全く関係のないページを参照して、ふと自分が何をやっているかがわからなくなる。
そんな一日を、何度過ごしたことか。

空回りは専売特許と思っていなきゃやってられない、なんてスタンスをとっていたけれど、そろそろ本当にどうにかしたいなと思う今日この頃。

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