【コマメ雑記帳】ニャーナラトー師「4月のお話と瞑想の会」 自分も含め誰もジャッジせず、ありのままに受け止める姿を、自ずと示してくださったことなど

昨日(4月4日)はアチャン・ニャーナラトー師と英国アマラーワティー僧院とネットで繋がり、月例会「4月のお話と瞑想の会」(テーマ:マイ・ネー 定かでない)を開催。

質疑応答では、参加者から事前に届いた親子関係に関する質問に3つ、続けて答えられた。
親との関係でアダルトチルドレンになった人、深刻な問題を抱えた子供の親としての戸惑い、子供と親(子供の祖母)との間に立った葛藤……それぞれ立場は違うが、どなたも深い苦悩を抱えているのが、文面からも伝わってくる。
師は回答をする中で、親の期待に反して大学卒業後インドへ旅立ち、タイで出家した自分と親との決してなだらかではない軌道を話された。

お話を聞いていて、目頭が熱くなった。
Zoomの画面からも、涙を拭く人の姿や気配があった。
でも、驚くべきは、ニャーナラトー師がまずホロリとされたこと。
師は、自分の弱さを人に見せることを否としない。

そして、(世間からは親不孝とも取られる選択をし、実際両親を苦しめた)過去の自分を責めることも、親に理解されないことを嘆くこともなく、事実として受け止めて誠実に話される。
自分も含めて誰もジャッジせずにありのままに受け止める姿を、そしてそこには慈しみが溢れる世界があることを、自ずと私たちに示してくださった。

こうなるまでには、どれほど瞑想を通して自分の悩み苦しみ、そして喜びやニュートラルなものとも実直に向き合ってこられたのだろう。
どれだけ僧院生活の中で自分のあり方に自覚的になり、身口意を整えてこられたのだろう。

瞑想をすれば、喜怒哀楽や問題が無くなるのではないかもしれない。でも、それらに対する上書きが外されていき、ありのままに出会い、受け止めるようになり、ポジティブな(言い換えれば、苦しみの少ない)方へと向かっていく機縁となる。

師は質問に現実的なレベルで回答をされつつ、しばしもう一つの回答として「瞑想をしましょう」と言われる。
言葉だけ聞くと身も蓋も無い答えかもしれないが、師が姿で示されているので納得せざるを得ない。そうして、瞑想を続けていく大きな励みとなる。


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