”カド”のとれた世界
身のまわりを見渡してみる。
すると、ありとあらゆるものから”カド”がなくなっていることに気付きます。
ここで言う”カド”とは、『かど(角)』
直角に曲がっている部分です。
「これは、”カド”だろう」と思って触ってみても、ほとんどの場合、ここで言う『かど(角)』ではありません。
このように、角(かど)を丸く仕上げています。『角丸(かどまる)』という名称です。
丸みが付いていることで、デザイン的には、安心・安全のイメージをつけることが可能となります。
また、機能的には、安全面を配慮することが可能です。
このように、物質的な”カド”がなくなっていることに気付くことができれば、今度は『人』の感情や特徴、発言に”カド”がなくなっているのに気が付きます。
テレビを見れば、当たり障りのないコメントを残す人が生き残り、人間的に”丸み”がある人たち(外見ではなく)ばかりです。
政治家も、会社の上司も、部下もみんな同じような”カド”のとれた人たちが生き残っていく世の中です。
私たちが望む安心・安全の世界のその先に、いったい何が待っているのでしょうか。
ただ世の中の流れにのって、”受動的”に生きているだけでは、いけないような気がします。
自分から情報を取捨選択して、正しいと思う道へ進む、『能動的』『主体的』『自発的』『積極的』に行動していく必要があると思います。
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