「おいしかったよ」の言葉に紐付く、30年前の思い出
「オムライスおいしかったよ。おやすみ。」
昨晩、寝る前に夫が言ったひと言。
おやすみの挨拶と、晩ごはんに食べたオムライスの感想がセットになっていることに、ちょっと笑ってしまった。
だけど「おいしかったよ」のひと言は、何歳になってもやっぱりうれしい。
昨日の晩ごはんが、オムライスだったワケ。実は、晩ごはんのメニューに困り果て、「どうしようかな〜」と、ため息混じりに冷蔵庫の中を見渡した末の苦肉の策だった。
卵と冷やご飯。
ピーマンと玉ねぎとニンジンとウインナー。
これらの食材と目が合った時、「あ、オムライス!」だと閃いた。ようやくメニューが決まり、ホッとした。
オムライスが苦肉の策だとは露知らず、夫は、おいしく平らげてくれた上に、寝る直前に感想まで伝えてくれたのである。
「おいしかったよ」
この言葉に、喜ばない人はいるのだろうか?私も例に漏れずうれしくなるし、日々の料理のモチベーションが分かりやすく上昇する。
「おいしかったよ」の言葉に紐づく思い出
「おいしかったよ」と褒めてもらえた時、この言葉に紐づく、とても懐かしい思い出が蘇ってくる。
私は子どもの頃から、料理が出来上がるまでの工程を見るのが好きだった。
毎日、祖母と二人で料理番組を好んで見ていたし、料理上手だった母が、手際よく料理を仕上げていく様を見るのが好きだった。夕方になると、邪魔だと言われながらも、台所に立つ母の横にくっつき、作業を食いついて見ていた記憶がある。
親戚が“お好み焼き屋”を営んでいたので、いつも鉄板前のカウンター席を陣取り、アツアツの鉄板の上で次々と調理され、お客さんの元に運ばれていくライブ感をわくわくしながら眺めていた。
料理に対する好奇心が旺盛だった私は、見ているだけでは飽き足らず、母によく「わたしにも手伝わせて!」と直談判していた。
母はいつも「じゃあ、お箸と小皿出しといて〜」と言い、私の願いをヌルリとかわすのが定番のやりとりだった。(ずこー)
ようやく“料理”の手伝いをさせてもらえるようになったのは、小学校2〜3年生の頃だっただろうか。
野菜を洗う・切る
ほうれん草を胡麻で和える
すり鉢で長芋をすり潰す
おろし金で大根をする
ハンバーグをこねて成形する
エビフライの衣をつける
徐々に難易度の高い作業を任せてもらえるのはうれしかったが、私の手伝いは調理工程の一部でしかなく、いつしか“一品”を自分ひとりで作りたいと思うようになった。
初めて、ひとりで作った料理は?
当時、小学2〜3年生だった私。なぜか母親に許可を得ないまま、ひとりで料理を作るという手段に出た。母親が晩ごはんの支度を始める前に台所に入り、こっそりと作った記憶が今も残っている。
でも、“こっそり”の理由が、自分でも思い出せない。サプライズで家族を驚かせようとしたのか、“反対される”のを恐れて、内緒で実行したのか…。おそらく後者のような気がするが。
初めてひとりで作った料理は、
「大根と青ネギのサラダ」だった。
火を使う料理ではなく、シンプルなサラダ。レタスやトマトは使わず、大根と青ネギというチョイスが、我ながら渋い。そしてとても経済的だ。笑
シンプルな材料だけれど、大根の切り方や薄さ、青ネギの細かさには、私なりにこだわった記憶がある。
盛り付けも、大根とネギが混ざらないように、器の中心に千切り大根を、その周りに小口切りのネギで囲うように盛り付けた。最後に、かつお節をまぶして出来上がり。ドレッシングは醤油ベースだった。
ドキドキしながら、晩ごはんの支度に取りかかる母にサラダを見せると、私の予想を超えるリアクションで喜んでくれて驚いた。
食卓を囲みながら、母がうれしそうに「このサラダ、さとこが作ったのよ」と、父に話していた表情と声は今でも忘れられない。
父も目を丸くしながら、一口食べて「おいしい、おいしい」と言い、その後も頻繁に「あのサラダ、おいしかったぞ」と褒めてくれた。
「大根と青ネギのサラダ」の反響があまりにも良かったので、その後、しばらくは頻繁にサラダを作っていた。しかし何度も作った結果、私自身が飽きてしまい、いつしかこのサラダが食卓に上ることはなくなってしまった。
幼い頃を思い返しても、こんなに褒められた経験は、他にはあまりなかったように思う。
普段はとても厳格でピリピリしている両親が、口を揃えて「おいしかったよ」と褒めてくれたこと。子どもの私にとっては、相当うれしかったのだろう。
30年後の現在も「おいしかったよ」の言葉にしっかりと紐付く思い出となった。そして思い出すたびに、初めて作ったサラダと両親の笑顔が脳裏に蘇ってくるのである。
(余談)1年4ヶ月ぶりにnoteを更新しようと思ったワケ
昨晩、夫から「おいしかったよ」と言われ、蘇った思い出。最初は流してしまいそうだったけど、ふと、noteに書いてみようかな、と思った。
現在、Twitter、インスタ、アメブロ、noteと、4つのアカウントを持っていて、
Twitterは、日常の中で感じたこと
インスタは、写真と日々の出来事や気づき
アメブロは、Twitterの140文字には収まらないこと
などを中心に書いているが、実は、noteの位置付けにずっと悩んでいた。悩んでいるうちに、いつの間にか最終更新日から、1年4ヶ月も経っていて驚いた…!
今日、久しぶりにnoteを書いてみたら、気負うことなく、自由に、自分の気持ちを書けそうな場所だと感じた。今後は、今回のように、“私自身の話”を中心に書いていこうと思う。
更新頻度は今のところ不明だけど、気負わず、ゆるく、自由に書いていこう😊
どうぞよろしくお願いします。
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