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ニッポン・スウィングタイムふたたび ②

歴史をたどる

アンソロジーのひとつの約束事として、ざっと歴史をたどることは必要です。
ビクターの場合は創業当時の日本ビクター・ジャズバンドやカアイ・ジャズバンド、ラカンサン・ジャズバンドから、来日組のウェイン・コールマン・ジャズバンド、アル・ユールスとフロリダ・カレヂアンス、それからビクターが自前で結成した日本ビクター管絃楽団、日本ビクター・ジャズ・オーケストラ (日本ビクター・サロン・オーケストラとも) という大まかな筋道があります。

今回もその筋道をたどりましたが、vol.1ではオミットした楽団を入れることができました。
菊池滋彌がボールルーム・フロリダで率いた楽団と、後述の日本ビクター・サロン・オーケストラです。
菊池滋彌に関しては、瀬川昌久先生から最晩年に見せていただいた菊池滋彌旧蔵切り抜き帳が大いに参考になりました。
この切り抜き帳は現在、早稲田大学演劇博物館に寄贈されていますが、その前に筆者の手元で丹念に撮影して、戦前ジャズの研究に役立てています。
菊池滋彌が日本ビクターに残した演奏は、条件付きではありますがまぎれもなく日本の最高水準のジャズバンドの記録であり、今回ぜひ収録したいもののひとつでした。

選曲の順番は

それぞれのバンドにつき歌手とテイクを決めていきます。
そう、『ニッポン・スウィングタイム』の選曲は、歌手は二の次でバンドやアレンジャーを先に押さえてゆくのです。vol2では冒頭の一曲と日本ビクター・ジャズ・オーケストラ (日本ビクター・サロン・オーケストラ)の配分を決めてからあれこれ選びました。DISC-1とDISC-2をそれぞれどのようにまとめるか、1から2へどうつなげるか、頭を悩ませながら進めるのは楽しい作業でもありました。若いころ瀬川昌久さんの監修の仕事に触れて、こういうことをいつかしてみたいと夢見ていたことをするのですから楽しいのは当然です。

アレンジャーについて。

vol.1 では井田一郎、橋本國彦、上杉定、谷口又士、灰田晴彦、鈴木靜一、伊藤翁介を総花的に取り上げました。
vol.2ではとくに灰田晴彦と伊藤翁介、平茂夫、佐野鋤のすぐれたアレンジにフォーカスを絞りました。
彼らはビクターのスウィングのフィーリングを決定づけたアレンジャーだからです。

灰田晴彦は灰田勝彦の兄でハワイアンのモアナ・グリー・クラブの中心人物として活躍しました。
もともとハワイ音楽の人なのですが、アレンジャーとしても、ユニークな発想と鋭いフィーリングで名アレンジを多々残しています。
今回のvol.2では「浜の恋風」「サンフランシスコ」「想い出の横顔」「想い出のモアナ」にその片鱗がうかがえます。
とりわけDISC-2の最後を飾る「想い出のモアナ」は、これこそ隠れジャズの名にふさわしいテイクです。
原曲はガイ・ロンバード楽団のテーマ曲「コケット」。昭和16(1941)年9月新譜。つまり開戦の三ヶ月前に発売されました。
この時期、各レコード会社のオーケストラはジャズバンドを建て付けにした編成でしたが、さすがにアメリカンナンバーのレコード化は世間的にはばかられる世相となっていました。したがって「コケット」をそのままのタイトルで発売することに難色が示され、「想い出のモアナ」と名を偽ってレコード化されたのです。

伊藤翁介はオルケスタ・シンフォニカ・タケヰにいたギター奏者で、タンゴなどラテン音楽に明るく、アレンジ仕事もビクターの求めに応じてかなり行ないましたがラテン系の音楽が多い。スウィングに規定されたアレンジをする人でした。
この人は長兄が伊藤道郎(舞踏家)、次兄が伊藤祐司(声楽・舞台装置)、その下の伊藤熹朔(舞台美術)、千田是也(俳優・演出家)という芸術一家でした。多磨霊園にお墓があり、妻の加美可那子(伊藤多津子)と子どもたちと共に眠っています。
vol.2では珍しくブルースをアレンジした「浮気な恋でも」を収録しました。このナンバーについてはまたあとで話すことになるでしょう。「ラ・クンパルシータ」もオルケスタ・ティピカではなくジャズ・オーケストラでスウィングアレンジされています。

名プレイヤーたち

楽団のパーソネルと主要なソロについてはブックレットにプレイヤーを明記しました。
戦前のバックバンドのプレイヤーの特定など難しいと思われそうですが、実際のところはそんなに困難ではありません。
日本ビクター管絃楽団は他レーベルのレコーディング・オーケストラと同様、固定メンバーなので個々のプレイヤーのサンプルが取りやすく、
技倆的にも安定しているので、むしろ同定がやさしい方です。
古田弘(tp)、細川武夫(tb)、進五郎(cl, sax)、大平彦吉(sax)、みな個性的な音と奏風を持ったプレイヤーたちです。
昭和11(1936)年のビクター管改編で楽団がスウィングの要素を取り入れてからは谷口又士、ヴィディ・コンデが加わりますが、これまた個性的な演奏者なので聴き分けは容易です。昭和15(1940)年に加入するアダム・コバチ(sax)も同様。
パーソネルが聞き取れれば彼らのジャズもぐんとリアルに親近感をもって面白く聴けます。
ソロがしっかり聴ける音源として古田弘の「セント・ルイス・ブルース」と「ダイナ」を収録しました。
「ダイナ」は川田義雄のあきれた浪曲のバックバンドです。ここでは古田弘のほか谷口又士のトロンボーン・ソロが聴きものです。これらのレコード、アレンジャー名が記載されていませんが、おそらく平茂夫の仕事でしょう。
あきれたぼういずのレコードが当時セールス的に成功した理由の一端として、バックバンドやアレンジにも目を向けたいと筆者は考えています。

戦時下のスウィング

DISC-2では戦時下に活躍したアレンジャーとしてとくに平茂夫と佐野鋤にスポットを当てました。

平茂夫はザ・ドリフターズの加藤茶さんの伯父(加藤茶の父はギター奏者の平八郎)に当たる人で戦前派のスウィング・アレンジャーでは最もトガッていた人です。この人のアレンジは聴いたらすぐ分かるレベルでユニークかつ独創的。もちろんアメリカの最新の傾向を取り入れているのですが、それを自家薬籠中のものとして自在に使いこなしています。

佐野鋤も平と同時代、昭和10年代に頭角を現したスウィング・アレンジャーです。その手法は平よりはオーソドックスですが、平よりも大きい編成でアメリカンなサウンドを追求しました。もともとサックス奏者であるだけにサックス・セクションの扱いがたいへん上手い。
御子息はサックス奏者の佐野博美さん、その門弟に現在スウィングプレイヤーとして活躍している渡邊恭一さん(サックス・クラリネット)がいます。

彼らが戦時下にレコード化したのは主として民謡俗謡のアレンジ物です。故瀬川昌久氏が「隠れジャズ」とおっしゃった一群ですが、実のところ逃げも隠れもしていなかった戦時下のジャズです。
なぜならレコード検閲はこれらのテイクをジャズだと分かっていて通したからです。
じゃあなぜジャズだと分かっていて検閲を通したか?は筆者の『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』(講談社)で述べたのでご覧ください。

以上のように『ニッポン・スウィングタイム』vol.2ではインストの選曲と解説にたいへん力を入れました。令和の世になったら戦前インスト・ジャズへの理解と興味も高まってくれるのではないか、と一抹の希望を持っています。

ボーカルのかずかず

歌手の選択はバンド、アレンジャー、楽曲と進んでその次に決まってゆくのですが、
まったく選び終わってみると、DISC-2では意図しないままに「花の38年組」が活躍することになりました。
つまり藤原亮子、市原綾子、歌上艶子、豊島珠江が揃ってデビューしたのが1938年なのです。このうち豊島珠江はvol.1に傑作を収録しましたが、残りの3人が期せずしてvol.2に集まりました。この時機、ビクターは新人歌手にジャズソングを歌わせるのが習いだったのです。
歌上艶子はカタログ番号を付与されながらお蔵入りになったテイクを収録しました。

男性歌手はビクター・ジャズでは定番の顔ぶれで、藤原義江がやや異質なくらいでしょうか。
藤山一郎は個人CDで総ざらいしましたが、そこから敢えて選び直すと今回の収録曲に落ち着きます。一曲どちらにしようか悩んだ曲がありますがそれは秘密にしておきましょう。
音源を漁っていて収穫だったのは徳山璉の美しいタンゴ「また見たい夢」です。これは初復刻。

個人的には能勢妙子のいじらしいまでに幸福感のあふれた「小さな希望」がボーカルのベストテイクです。アレンジも浮き立つような高揚感に満ちたスウィングでアメリカンなフィーリングが最高!

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