僕は島で、未来を見てきた
冒頭から覆すが、
未来なんてものはなかった。あったのは現状、現実がそこにあるだけだった。
しかしそれは温かく、面白く、泥臭く、どろどろしていて、一方でどきどきわくわくする現実だった。
まるまる一週間の海士町の滞在を通して、僕はこの町を好きになった。
そして、その中で、夢を描くことができた。
僕がいう未来というのは、まさにこの夢のことなのです。
僕はこの島に来て、僕の中で夢を描かずにはいられなかったのです。
今日は端的に、僕の夢を語らせてください。
僕の夢
日本で、世界で、人が本物の自分を発揮して生きられる世の中にする。
これが僕の夢です。
僕はやっぱり、温かくて、どきどきわくわくしている時間に幸せを感じます。
それは僕自身がそうやって生きていたいですし、
他の誰かが、世界や他人を思いやる気持ちや、わくわくしながらつくり出しているものに触れていると、温かさやどきどきわくわくを感じます。
なので、僕の周りにもそんな影響を与えていきたいです。
そして、ぜひともこの海士町をその舞台にしたいのです。
なぜなら、この7日間で僕の心が響きまくったからです。
(理由は後付で、とにかくそう感じるのです。)
理由は2つです。1つは、この町がチャレンジすることや、その人らしさを発露することに対して、寛容であり積極的に背中を押しているからです。
これは自然にできたものではありません。自然界の度重なる偶然の上に、そこに住む人たちが長い年月の中で積み重ねてきた想いと、さらにその上で繰り広げてきたチャレンジによりやっとのことで厚くなってきた土壌です。今でも現在進行形でそのチャレンジは続いています。
もうひとつは、自然、古き日本のよさ、新しいチャレンジがみごとなまでに調和しつつ、発展しようとしている町であるからです。
もちろんきれいでないところも、話を聞いているだけでも見えてきますが、この町、島から、人が共に生きるという温かい熱を広げていけると感じるのです。
自分らしさを発揮して生きている人の熱量やその環境に感化されることで、火を灯っていく…海士町からそんな世界を広げていきたいです。
だからこそ、この町まるごと「Will」にあふれる場所になったら、後はこの町と外がつながり、その熱が広がっていくだけだと思います。
実際には、それはきれいに二段階あるわけではないと思うので、とにかくそこに向かってしかけていきたい。そう強く思うのです。
学校をつくりたい
特に僕は、人が自分のWillを発露するための機会や仕組みづくりに関心があって、だからこそ学校教育には強い思い入れがあります。しかしここでいう学校というのが、子どもを教育する、という発想ではないことも僕の中では明確になっています。もっと大人も子どもも自分のWillを見つめ、そこと社会のニーズを調和させていく力は必要ですし、そのために学問を学んで知識を得たり、考える力や見方を身につけていくことは生涯続いていくはずです。
そのために、町の中で熱が広がっていく機会やそれが生まれる仕組みをつくっていきたいです。町の中で熱が広がる、町の外へ熱が広がる、これは相対的なもので、あくまで人が人を感化し、感化されてWillが膨れ上がっていく、そんな姿をつくっていきたいです。
そうやって見つめた自分のWillを、温かい人に支えられながら、社会と調和させ、価値として提供することを実践する。それを指導するという発想ではなく、それができる人、やっている人と共につくるためにつながれる環境をつくりたいです。
こういった町の姿を、その場所に合った方法でその場所の人達とつくり上げていきたいのです。具体的なことは、この場所に身を浸しながら動いていきたい。学校は、その結果としてできるものだと思うし、ここでいう学校の定義が僕の中でどうやって更新されていくのかがとても楽しみです。
僕が感じたこと
今回は、隠岐諸島の中ノ島にある海士町という町に7日間滞在する中で、僕自身の中に湧き上がってきたものをまとめました。
離島にも関わらず、何を考えていまここにいるのかを語り合える人が多い場所でした。
自分の「Will」を感じ、誰かと一緒に、徹底して取り組んでいる人がいました。
チャレンジする人が、周囲を感化していました。その中で楽しみながらも、チャレンジする人がいました。
自然、人とのつながりの中で、優しさを持って遊んでいる人がいました。
数少ない公衆トイレの場所を、優しく教えてくれました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
この島にいて、島を感じ、こんな方々と話をする中で、
僕は未来を見た気がしました。
僕の夢がどんな形で具現化されていくか、夢そのものがどんな形に変化していくのか、ぜひ楽しみにしていてください。