障害に囚われる支援を当事者は求めていないことに気づいてからラクになった
先日から、ずっと気になっていたことがあった。
交流させていただいているとのむらのりこさんの記事を拝見して、
「障害を認める」ことと「障害を認めさせる」ことの違いをずっと考えていた。
とのむらのりこさんの記事はこちら
実際、私が雇用支援を始めたばかりの時、先輩からよく聞いたのが
「あの人は自分の障害を認めていないから」
という言葉だった。
その言葉の先には、
だから支援の対象であっても支援を必要としない
そういうニュアンスが含まれていた。
民間企業から福祉の世界に入った私は、
先輩の言うとおり、
まず本人が自分の障害を認めないと前に進めない
そこから支援が始まる。
支援ってそういうものなんだ。
そう思っていた。
考えてみれば、
本人に「障害があって困っている、助けや配慮がいる」
という感覚がなければ、
支援はただのおせっかいになる。
だけど、支援の年数を重ねて気づいた。
障害があって困っている、助けや配慮がいる
そう本人が思わないと支援を必要としない
そう支援者がいうのは、
「障害」という言葉に囚われていることだと。
障害があろうがなかろうが、
困っている、助けや配慮がいる
そんな状態であれば、誰だって助けて欲しい。
そこに、本人が障害を「認める」「認めない」という議論は必要なく、
「困ったことあったら言ってくださいね!」
「配慮があれば助かること教えてくださいね!」
これが自然だと気づいた。
だとすれば、「認めさせる」ことも必要ない。
ただ、
本人の様子を見て、
こちらから声をかける
手を差し出す
そんな気配りや配慮が日常生活の支援だと気づいた。
そんなことは家族と暮らしていると
当たり前のような日常の光景なのだけど、
仕事という一線を画すと、
何かを定義しないといけない
「障害」を定義しないといけない
囚われて方向を間違い、心構えを持ってしまうのかもしれない。
そうすると、支援側の「認めている」「認めていない」という客観は必要なく、
主観で良いのだと気づいてからは、支援という仕事が楽しくなった。
結局、「障害」と「健常」という二元で見てしまっていると、
支援者は「健常」が基準になり、それに寄せて考えてしまう。
それをわかりやすく解説している本に出合って、
私が気づいたことを後押ししてくれた。
少し古い書籍になるけれど、
考え方の参考にさせてもらっている一冊から抜粋
以下、「普通がいい」という病 から。
「狂気についての理性の側の独白にほかならぬ精神医学の言語」とありますが、これはつまり、「 自分は左側に足を置いていると思っていて、右側を単に病気とか狂気と見るような精神医学は、独り言のように無意味なことばかり言っている」と言っているわけです。
「狂気についての理性の側の独白にほかならぬ精神医学の言語」の一文は、
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』「序言」 より 田村 俶訳 新潮社 から
ミシェル・フーコーは20世紀を代表するフランスの哲学者。
『狂気の歴史』の前書き部分で、二元論になっていった様を諭している。
それを、わかりやすく著者の泉谷閑示先生が解説されている。
正常と異常、健康と病気、そういう区別がはっきりあるのだというようなものの見方では、大切な本質は見えてきません。ただ診断マニュアルに従って 病気の診断をし、それに基づいた知識を投入し診察をしても、それだけで、 そのクライアント個人の抱える問題の本質からは遠ざかるばかりです。
近代以降の社会は、確かにそういうふうに正常と異常を分けて考えてきたけれども、元々は境目のない、連続したものであるということ。
そういう分け隔てのない見方で人間を見た上で、この場合にはこういう意味 で精神医学的なサポートが必要だという順番で考えていくのでなければなら ないわけ です。
泉谷閑示 著 「普通がいい」という病 より 一部抜粋 (講談社現代新書)
少し古い書籍なので、現在の2021年に表現が合わない部分もあるけれど、
良書なので、支援をする人は参考になると思う。
ちなみに、中で紹介されているミシェル・フーコーはこちら
ここに本の情報を貼り付けて、めちゃくちゃ高価な本だと気づいた。
中古は2967円から販売されている。
書籍の考察記事ではないので、本題に戻ると、
支援者と当事者本人や家族という立場で、関係性や物事を捉えてしまうと、
大切な人と人であることの本質を忘れてしまう。
忘れてしまうと、支援者は「障害」を「認めている」「認めていない」で
支援がいるかいらないかを作ってしまう。
だけど、
人と人であるときに、まずは心をつなげることが何より大事。
そして、困っているのであれば、それは「障害」に囚われない。
日常の営みと同じで、
本人が困っていることに問題の本質があること。
そう気づけたことが、
私が進めるきっかけの一役になった。
最後に
いつも色々な学びをくださって、ありがとうございます!
記事を紹介させてくださって、心から感謝しています。