全体主義に堕ちるのも、それを止めるのも日本人。
関東大震災(大正12年)の時、震災の混乱に乗じて朝鮮人が井戸に毒を入れたという噂が広がり朝日新聞にまで載ってしまい、関東一帯で武装した自警団が朝鮮人を次々殺害してしまう事態にまで炎上してしまった。大正12年9月2日、自警団員は朝鮮人4人を横浜鶴見警察署に突き出し、鶴見分署署長・大川常吉はその対応にあたっていた。
自警団員は「持っている瓶に毒が入っている!殺せ!」と激昂していたが、取り調べをしたところ瓶の中身はビールと醤油で毒ではなく、大川は自警団にその事を諭すが、激昂しきって冷静さを欠いてる彼らは聞く耳を持たない。そこで大川は「それほど疑うのであれば、諸君の前で飲んで見せよう!」と瓶の中身をその場で飲み干し、その場を収めることができたという。
ところが翌日、大川は300人もの朝鮮人を警察署内に匿ったため、1000人もの自警団が警察署を取り囲み、「朝鮮人を殺せ!」と、さらに騒ぎは大きくなってしまった。そこで大川は暴徒と化した自警団に「朝鮮人を殺すならまずこの大川を殺せ!」と一喝。自警団員の「朝鮮人が逃げたらどう責任を取るのか?!」という問いに対し「その時は切腹して詫びる!」と言い、ようやく暴徒を鎮めることができたという。
日本人は「個」ではなく「みんながやってるから」という、「世間の目」「空気」が価値の判断基準で右倣え的に世論が一方に傾きやすく、尻馬的に集団発狂を起こしやすいのは今も昔も変わらない。ちょっと前まではマスクの集団発狂で、どんなに科学的にマスクに効果が無いことを説明しても「マスク自警団」と化した多くの人たちには全く話が通じなかった。権力の命令が無くても自発的に「自警団」をつくり「法を超えて」自発的に自らを縛ってしまう所も昔と全然変わらない。
だからこそ大川のようにあえて自らが矢面に立ってでも全体主義の防波堤になる人間がいなければ、日本人の炎上っぷりは自らを焼き尽くすまで止まらない。「空気」で動く日本人に水を差す、その「水」になるということ。ちょっと昔の歴史からも今に学べることがいくらでもある。