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芸人のルーツは「河原乞食」

美空ひばりが13歳の時に歌った歌で「越後獅子の唄」というのがある。越後獅子は江戸時代中期からある新潟県新潟市の郷土芸能で、歌詞にもあるようにみなし子や売られた貧しい家の子が集められて親方に撥(ばち)でぶたれながら芸を仕込まれ、笛太鼓に合わせて獅子の恰好で舞を披露する大道芸人のことをいう。

越後獅子は定住の地を持たない「旅芸人」で、日本各地を旅しながら日本各地で投げ銭を貰ってそれを生業として生きていく。当時は当然テレビも無えラジオも無えは当然のこと、江戸や上方(大阪)には歌舞伎小屋があるものの地方の農村地帯はほとんど娯楽がなく、旅芸人が村々を回ってくるのがほとんど唯一の娯楽だった。

また、今のように児童養護施設があるわけでもないから親のいないみなし子はそうやって生きていくしかスベがなく、芸の道を生きる者はかつて被差別民でもあった。幕府から公認されているわけでもない芸人たちは芸を披露する場所を持たなかったため、誰の土地でもない河原に小屋を建てて芸を披露し、金銭を恵んで貰うことで生計を立てていたわけだが、河原は遺体を棄てる不浄な場所と考えられていたため芸人たちは憧憬される存在でありながら「河原乞食」と蔑まれてもいた。

この「河原乞食」がある意味芸能のルーツでもあり、芸能にまつわる人々が円満な家庭環境でない、いわゆるヤクザ者が多いのはそういう歴史に起因することでもある。この歌を歌う美空ひばり自身もパトロンとして背後に有名暴力団がいるわけだが、暴対法施行以前の日本においてヤクザが芸能の興行主だったのは、そもそも芸人が河原乞食の末裔であったことを何より物語っている。

近年コンプラ的意識の高まりから「芸能人を守る法律をつくろう」という動きもあったりするが、彼らはそもそも一般市民社会とは隔絶した存在でもあり、いくら近年のコンプラ的意識で過去に行われた非人権的な動きを糾弾しようとも、芸能自体がそういう歴史の上に成り立つものである以上、過去を否定し断罪し無きものにしようとしても、結局それは今の彼ら自身に繋がる歴史を否定する自殺行為にも繋がってしまう。越後獅子も美空ひばりも近年のコンプラ意識では非人権的な不適切な存在でしかないかもしれないが、今の芸能はそういう歴史の土壌の上に存在する文化でもある。

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