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ロールケーキ問題

二次元しか愛せないとか、三次元に目覚めたとか、言いますよね。

二次元は平面、三次元は立体ですね。ちなみに一次元は線、ゼロ次元は点です。

三次元(立体)をスパッと切った断面は、二次元(平面)ですね?

二次元(平面)をスパッと切った断面は、一次元(線)。

一次元(線)の断面は?ゼロ次元(点)です。

逆から言うと、
点×長さ(x)=一次元(線)
縦の長さ(x)×横の長さ(y)=二次元(面)
縦の長さ(x)×横の長さ(y)×高さ(z)=三次元(立体)
ということですね。

じゃあ四次元は?立体に何をかけたら四次元になるのか?

何かをスパッと切った断面が、立体なら良いわけですよね?

ココで一度目を閉じて、「断面が我々の住むこの立体の世界である何か」を想像してみましょう…。

答えは「時間」です。

「時間」という一本のロールケーキを想像してみてください。

ある部分でスパッと切ったら江戸時代の立体の世界、ある部分でスパッと切ったら戦後高度経済成長期の立体の世界…

縦の長さ(x)×横の長さ(y)×高さ(z)×時間=四次元
です。

三次元の住人である我々が立体の中を自由に行き来できるように、四次元の住人のだれかは、時間の中を自由に行き来できるわけです。

ココで気になるのは、そのロールケーキ(時間)は一本まっすぐ伸びているだけなのか?という点です。

もしそうであるならば、過去も現在も未来も、運命として決められていることになります。

哲学で「運命決定論」という考え方があります。

いまぼくは、エンピツをコトンとテーブルに落としました。
これはもともと運命で決まっていた行動か?
それとも、私の自由意志による行動か?

私の父と母が高校へ向かうバスで偶然出会わなかったら私は生まれなかったし、祖父が徴兵先のシベリアで力尽きていたら父が生まれなかった、エンピツの鉛はアフリカから遠路はるばる船で運ばれてきて、ホルムズ海峡で海賊に襲われなかったからこのエンピツが無事できて…
その事実のどれかひとつでも欠けてたら、ぼくはこのエンピツを落とさなかった。じゃあコレはもう決まっていたことだったのか?

…目を閉じて考えてみてください。

答えは簡単、コトンと落とすか落とさないか、その瞬間だけが自由意志です。
要するに過去は決まっていて現在だけが意志決定できる。その決定によって未来が決まる、というそれだけのことです。

じゃあ、あの「時間」という一本のロールケーキは?未来が決まっていないなら…?

これはぼくの考えですが、時間というロールケーキの中には、その瞬間瞬間に360度折れ曲がる岐路があるのです。中の人たちは、意思決定によって知らず知らずに岐路を曲がりつづける。
選ばなかった岐路はその瞬間に消えていくから、振り返ってみれば一本のロールケーキにしか見えない、というわけですね。

…この話をすると、どうしてもスピリチュアルだか自己啓発セミナー的な雰囲気になる笑 

でもね、「いつだって今ここがスタート地点」なんだと思ったら、勇気が出るじゃないですか。

誰にも言えない黒歴史、言うべきでなかったあの一言、誰より自分自身が一番きらいな自分…
すべては「今ここ」につながっているけれど、いつだって「今ここ」においては、どっちにハンドルを切ってもいいわけです。

ホリエモンも近畿大学の卒業式で、
「過去に捉われず、未来を恐れず、今を生きろ」と言っていますね。そういうことです。

ところで、四次元は何の断片なのか?
それがわかれば、五次元がどんな姿をしているのかわかるはずですよね。

ぼくはなんとなく想像しているんですけれども、言葉にできるほど像を結んではいません。
皆さんも考えてみてください。
数学界と哲学界は協力し合って、その先の十何次元までわかってるとか、いないとか(うろ覚え)。

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