夢日記とNon01
夜。
実家の台所に備え付けられた蛍光灯だけが
暗い茶の間を照らしていた。
姉の私は妹に
「大切なものは今のうち 隠しておいた方がいい」
自分の怒りが…抑えられなくなって
感情任せに物に当たってしまうような
そんな気がしたからだ。
自分が手を上げてしまうまえに…
そう淡々と警告した。
妹は「あっそ」と、気にしてないようだった。
妹は現実にいて、発達障害者だ。
オブラートに包んだ言葉の意味など理解できるはずもない。
言葉の意味を直接言わないと伝わらないもどかしさに腹が立って私は癇癪をおこした。
うっすら照らされた茶の間で
私をなだめるように母親もその様子を見ていた。
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すると私は突然テーブルにあった納豆を素手で食べ始めた。
乱暴に、感情に身を任せて食い散らかすと、
ベタベタの手を使って、四足歩行のように、
玄関に続く暗い長い廊下をバタバタと這った。
玄関まで来るとハッとしてゆっくり振り返った。
すると廊下には逆光で母親が立ち尽くす姿だった。
「 ……ぁ────」
私の中のわたしが言う。
「(…お母さんごめんなさい………私ちゃんとするから……今のは違う。………お願い見捨てないで…そんな目で見ないで……。嫌だよ、お願い、お母さん…!)」
目線の合わない母親の黒い影が
黙ってゆっくり私に背を向けようとした。
その姿には「……もうお手上げ。」
「…これ以上もう見てられない。」
そんな雰囲気を母親から感じた。
…嫌だ…行かないで!
…嫌あああぁぁあ!
-------------キリトリセン--------------
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そう思ったところで目は覚めた。
怖くて涙が止まらなかった。
夢なのに。現実じゃないのに。
見捨てられるんじゃないかと思った。
脳を落ち着かせるために考えた。
(怖い、涙が止まらない、安心したい…、どうしよう…。いや待てよ、大人でも母親と一緒に布団に入ってもいいだろう。
病気や亡くなってからではもう甘えられない。悪いことじゃない。今しかないのかもしれない。)
そう極端な考え方をしてしまうのは
うつ病ならではの赤ちゃん返りみたいなものだとしたらかなり痛々しいとは思うが…。
迷わず爆睡してる母親の布団に入った。
寝ぼけた母は泣いてる私を抱きしめて、
背中を摩ってくれた。
小さな細い手、丸い背中。
母はあのころと比べて、とても小さくなった。
母の鼓動は優しかった。小さい頃、
熱が出た時によく向かいあわせで
きつく抱きしめられながら
寝たのを思い出した。
暑苦しくて、でもよく寝てた気がする。
お母さん、あの悪夢こ日は急にごめんね。
でも、ありがとう。また助けられました。
-------------キリトリセン--------------
妹は25歳のアスペルガー。
発達障害の“のん”。
身体は五体満足で、おしゃべりでオタクで、
偏食、精神年齢はやっと小学六年生ぐらいだろうか?多重人格なであり、人の上に立つことに快感かを感じることが多い。
(簡単に言えばマウントとること等)
彼女とのことを語ると本当に壮絶だが…。
今度別で書こうと思う。
今も私は、兄弟児・兄弟者・ヤングケアラーの
部類として様々な問題を抱えている。が、
決して向き合えている訳ではなく、
姉妹だからといって
障害に関して頭では理解することはできても、
彼女に合わせてこちらが、
適応して行くこと・彼女に対して
平等でいることの難しさ。
という点苦労している。
そして、2月から私自身、
特定不能のうつ病障害とも向き合っている。
妹が原因薬を飲むこともある。
夢と現実の区別がちょっとつかなかったりね。
心は切ないく、、
機能しない自分がが情けなく…。
家族なのに、妹なのに、
それでも沸き起こってしまう感情。
障害なのはしょうがないこと。なのに…
もう何年も前から診断されてるのに…
私は未だに拒絶もするし、適応できていない。
自分の親、または兄弟、姉妹が
発達障害の人たちは本当に大変だと思うし、
しっかり受け止めている人が多数なんだろうけど、なかなか難しいこともあったりして…。
そしてそんなまだまだ向き合いえない人たちに、
「ゆっくりでいい」と私は伝えたい。
障害のある方のそばで色んなことを見てきて、
一緒に成長してきたから分かる事。
そんな他の兄弟・姉妹の方たちと話がしてみこめたい。
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まぁ…まずは自分の心身を治すことが先なんだけどもね。
ゆっくり、焦らず、前向きに。
最近、流行りのおまじない。
行きたくなくなっても、死にたくはないから。
※誤字脱字注意。
とっても読みづらい拙い文章です。
でも読んでくれてありがとう。