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夢のお家は・・・
森は雨のち晴れ No.4
移住生活
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今日は、森の妖精です🌿
今回は、移住を決めた私の家探しの事を書こうと思います。
東京でずっと暮らしていくのだろうとまだ思っていた頃から、私には憧れていた暮らしがありました。
今は亡きアメリカの絵本作家ターシャ・テューダーさんと、やはりもうお亡くなりになられているのですが、京都の大原でナチュラルな暮らしを実践されていたイギリス人のベニシア・スタンリー・スミスさん。
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ドキュメンタリー番組や書籍等でお二人を知ったのですが、自然豊かな場所で、手をかけたナチュラルな暮らしをされていたお二人の暮らしに憧れて、自分もいつか田舎でこんな暮らしができたら良いなあとうっすら思っていました。
私以外の家族は都会が一番と思っているタイプだったので、家族の中では異端でしたが、それでも都会に暮らす者あるあるで夢見るように、愛読書も「天然生活」と言う雑誌だったりしました。
今となっては、田舎でお洒落なスローライフと言うのは幻想だと気づかされてはいるのですけれど・・・
それは別の機会に追々触れるとして、まだ仕事を辞める決断ができていないながらも、うっすら仕事を辞めたい・・・でも辞めてからどうするか?を意識し始めた頃から、私は関東中の田舎を探して情報を集めました。
当時マンションのローンを支払っている最中だったので、辞めたらもうローンは払えない→マンションを売らないといけない→その後どうするか?賃貸にレベルダウンして東京に住み続けるか?or地方に家を買って移住するか?の二者択一を選ぶにあたって、移住の情報をいろいろ知りたいと思ったのです。
特に前の記事に書いた通り、夏に母が急死してから、その行動は加速しました。移住に一番反対したであろう母がもう、この世にいない事が余計に私の移住のハードルを低くしたのと、この頃から坂を転がるように体調が悪化していったので、余計に仕事を辞めたい気持ちが強くなっていったからです。
一応お一人様なので、いきなり知らない土地に移り住むにはハードルが高すぎて、東京と行き来のしやすい場所にある、別荘地の中の物件を探しました。
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当時は移住と言うと、夫婦単位で移り住むのが主流だと思っていたので、一人で移り住んだら肩身が狭いのではないか?と思っていて、余計な付き合いの無さそうな別荘地と決めていました。
又、予算も限られていたので、私の退職金で買えそうな家と言うのが必須項目・・・
この頃は前述の通り、まだ漠然と退職したい→でもまだ決心ができないみたいな気持ちを行ったり来たりしながらそれでも情報だけは集めておこうと思って集めだしたのですが、自然といくつかの場所に候補地が絞られて行き、2つの候補で迷っていた時・・・・
あるスピリチュアル系のイベントで見える方に見て貰ったところ、「 最終的に決めるのはあなたなので、従う必要はないけれど、後ろの存在はAの場所はお勧めしないと言ってます。」との回答。
理由を聞いたら、放射線の量が高めだからみたいな話だったと思います。
( これは余談になりますが、この頃既に体調不良になっていて、前の記事に書いた通り、後に今も病院との縁が切れない理由となる病気を発症している事が分かりました。そして多分なのですが、健康な人ならともかく、この病気の人が放射線量高めの環境で暮らすのは、かなり良くないのだと思われました。)
当時はまだ東日本大震災の5、6年後の事で、まだいろいろ言われていた頃でした。
そしていろいろ悩んだ結果、私の出した結論はと言うと、Aの候補は諦めて、Bの候補で物件を探すと言うものでした。
実を言うと、 BもAも、個人的に1~2回程しか訪れた事のない土地で、知り合いも全く無し。
でも元々どこの土地も知り合いなんていないし、本当に単身移住するなら、誰かを宛にして移り住むみたいな覚悟じゃやっていけないのでは?と言う考えだったので、あまり気にしていませんでした。
そして、どうして沢山ある候補の中からAとBに絞ったかと言うと、退職金で買える物件があると言う理由以外に、自分が暮らして行くイメージができると言う事が大きな理由でした。
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一度田舎の物件を買ってしまったら、売るのは大変だろうなと何となく思っていたので、ずっとあまり無理なく暮らしていける・・・そんなイメージができる場所を選ぼうと思っていました。
具体的に言うと、東京と行き来がしやすい場所で、完全な田舎ではなく、ちょっと行くと商業施設や美術館みたいな文化的施設がある・・・こういう都会田舎みたいな場所が私の理想でした。
そして候補AもBも、その条件を満たしている場所でした。
移住後も様々な試練を経験したので、この大きな決断が正しかったかどうか、今でも私には分かりませんが・・・
少なくとも言えることは、東京を離れた事は後悔していないと言うことです。
東京で暮らしていた頃、安定した職についていたので、そのままそこで働いていたら、一生経済的な心配の要らない人生を送れたと思います。
しかし、ストレスを溜めながら常に神経を削るように仕事をこなし、退職前の5年間は毎日3~4時間残業するのが当たり前みたいな生活で、平日は家に帰ったら寝るだけの生活。自炊する元気もなくて、三食外食みたいな日もしょっちゅう・・・本当に毎日疲れきっていました。
移住の理由は別記事にあげていますが、当時、時々何の為に自分が生きているのか分からなくなる事があったと思います。
自分が生きていく為に仕事をしている筈なのに、いつの間にか仕事の為に自分が生かされている・・・そんな感覚がしていました。
自分が替えのきく、仕事の奴隷みたいな感じがして・・・我慢し続けてやっと自由になれたと思った時には、きっともう年老いて若い時のようには動けないんじゃないか?と想像すると、ゾッとしたものです。
そう思うと、お金が大事な事は重々分かっているけれど、もしかしたら、それより大事なものもあるのではないか?とうっすら思うようになっていたと思います。
後、お一人様だからこそ、自分の家が欲しかった・・・
将来年老いた時に、家賃が払えなくなったり、払えても年齢を理由に貸して貰えなかったり、親が亡くなってしまった後、保証人に苦労したりするのが何となく懸念されたので、どんな時にも追い出される事のない、自分の家が欲しかったのです。
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持ち家なら、もしメンテナンスするお金がなくても、自分が我慢すれば良いだけのこと。ボロボロだとしても、追い出される心配のない、安心していられる場所は、私にとっては本当に必須のものでした。
後、当時持っていた私の大切な物の中にアップライトピアノがあったこと。これを手放す事は絶対に避けたかった。
そして同時に東京でアートフラワーや樹脂粘土でお花を作る講師の資格を取得していて、その為のお道具や数々の作品、そう言った物を置いておくある程度のスペースを必要だと思っていました。やはり時間と労力をかけて資格を取ったので、手放す決心はできなかったのです。
そんなこんなで、候補地Bで物件を探すことにした私は、まずは当時住んでいたマンションを売却するための不動産業者を選び、売却の手続きを進めました。
これが思いの外大変で、素人にはどの業者が良いかなんてさっぱり分からず、それでも最終的にとある不動産業者にお願いする決心をしました。
そんなにいくつもの業者に見積り依頼したわけではないのですが、面談した際に、我が家のマンションのこういう所が良いです、こういう所が強みで売りに出せますよとポジティブな事を見つけて話してくれる業者さんにしました。
何故なら別の業者の人と面談した時は全くの逆で、我が家のマンションのネガティブな面ばかりあげられて、ここがネックで高くは売れないみたいな話を延々とされて、気持ちが滅入ってしまいましたから・・・
その業者は特に物件を会社で買取るみたいな事をしている所だったので余計だろうとは思ったのですが、とにかく、物件のケチをつけて、安く買い叩くみたいな所が見え見えな感じでした・・・
素人の私は、最初は会社が買い取ってくれるならそれが確実で良いのかな?みたいな甘い事を考えていたりもしたのですが、途中からそれはあまりお勧めの方法ではないのかも知れないと思いました。
業者の提示する金額は、私に借金が残ってしまう金額で、かなり落胆しました。そしてその金額を正当化するために、この物件はここが悪い、ここがダメみたいな事を延々と聞かされたと言うわけです。
なので、この物件の良いところを沢山見つけてくれた業者さんにお願いしたのですが、私の場合、結果としてそれは正解だったと思います。何故ならその業者さんが仰った通り、マンションが黒字で売れたからです。不動産会社に買取りして貰わなくて本当に良かった。
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勿論、売却をお願いしてから大変な事も沢山ありました。
売り買い同時だった関係で、居住中に内見希望者に室内を見て貰うという関係で、あちこち大掃除を行いました。
普段は他人に見せることのない水回り等にもチェックが入り、ここを綺麗にして下さい等言われるがままに掃除をしました。
後は購入希望者との契約成立までにもちょっとしたトラブルがあったり・・・
マンションが売れたらそのお金で新しい家の購入をするみたいな流れだったので、契約書には契約が成立してから私が退去するまでに少し猶予があって、それに対してクレームを言われたのです。お金を支払ってすぐ引き渡しにならないのはおかしいみたいな?
でも、当時私は家のローンを職場絡みの銀行から借りていた事もあり、仕事を辞める時には退職金でローン精算されてしまって、その残金で新しい物件を買うことはできなかったのです。
同時に売り買いってどうしたら良いのだろうと内心不安に思っていたのですが、その辺りは素人の私が言わなくても、不動産業者の方で、契約書に猶予期間を儲けてくれていました。
クレームは事前ではなく、契約日当日の契約直前にいきなり言われたので、内心「ええ、何故今頃?」と思ったのですが、わだかまりがあるまま契約してもトラブルの元だし、自分も事前に言うのではなくて、関係者全員を集めて臨んだ席でいきなり言ってくる人と契約することに不安があったので、「不満があるまま無理に契約しても良くないので、契約の話は白紙にしても構いませんよ、自分としてはこの条件で了承していただける方と契約したいので。」と穏やかさを心がけてお答えさせて頂きました。
で、結局の所、相手側が折れて、契約は白紙になりませんでした。
そして契約が成立してから慌てて新しい家の物件探しを行いました。
候補地Bには2回程訪れて、もう、そこで決めてしまいました。時間がなかった事もありますが、いくつか見た中古の物件はどれも似たような印象が強く、正直あまりピンと来なかったのですが、一件だけ自分の心に留まるような家がありました。
その家は、不動産業者のホームページで事前にいいなあと思っていた物件でしたが、商談中となっていたし、自分の予算より少し高かったので諦めていた物件でした。
しかし、思いもかけず物件を探しに行くと、不動産業者の意外な話。丁度この物件の商談の相手と連絡が取れなくなってしまったらしく、新たな買い手を探すタイミングだったようです。それで良かったら見学してみませんかとの話がありました。そして更に交渉したら、売り主が少し値引きしてくれるかも知れないとの説明だったので、是非とお願いしました。
そしていざ見学してみると、他の物件は同じような印象でピンと来なかったのに、その家だけがそこで自分が暮らすイメージがあれこれ想像できたのでした。
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ただ、場所が少し辺鄙な場所のように感じて、当時まだ車の免許を持っていなかった私は一抹の不安を感じていました。
それで一旦保留して東京に帰ったものの、一晩うなされるように悩んで悩んで、でもどうしても諦め切れなくて、朝にはきっとどうにかなる!の勢いで決心をしました。
それが今の家です。
結果としては、今度の5月で、住んでから10年目に入るところです・・・
この間にいろいろなトラブルもありましたが、まあ、何とか乗り越えて今に至っています。
正直辺鄙な場所だから不安と言う点においては、車をバリバリ運転するようになった今となっては、多少辺鄙でもあまり関係がなかった感じです💦
最初は車の運転が心配で、電動自転車を買うべきか?(高原の土地でUPDOWNが結構ある為)とかいろいろ思ったりもしたのですが、いざ暮らしてみると車が一番と言う事が分かりました。
こういう田舎の道路は、都会みたいに歩行者や自転車に配慮されてない道路も多く、車社会なので、暗黙の了解的に道路は車メインな印象です。更に観光地で外部からの車も多く、交通量が意外とあるので、ここの路肩を自転車で走るのはかえって危険だと思いました。
冬の運転だけは本当に気をつけないといけないけれど、基本車で移動が一番快適で安全な手段だと今は思っています。
ひとつ失敗したなと思った点は、別荘地のメインの道路沿いの家ではなかった事。メインの道路を外れて長い私道の先に家があるのですが、冬、大雪が降ると閉じ込められてメインの道に出られなくなることがあると言う事。
個人的に除雪の契約をしていても、正直宛にならないです。契約時にも言われましたが、契約者の多い別荘地から回るみたいなので、契約者の少ない我が家のある別荘地は最後の方でいつ来るか分からない状態・・・。
そして以前は夜も除雪が入っていたのだけれど、数年前から夜は入らなくなり、翌日回しになるようになってしまいました。
これは以前に役場や業者に問い合わせしたのですが、はっきりした答えは分かりませんでした。
働き方改革でそうなったとか、夜間の作業は迷惑になるからだとかいろいろ言われましたが、どれが本当の理由なのかよく分かりませんでした。
ただ、役場の人の話では、どうしても普通の集落が優先で、定住者の少ない別荘地は後回しになるようです。
一応メインの道路は役場が除雪を依頼していて、私道は私が個人的に業者と委託契約をしている状態ですが、後回しでも、大抵メインの道路の除雪が早く来て、私道はそこから更に遅れて来るみたいな状態が常です。
勿論、別荘地に管理事務所が元々入っていて、そこが全てを取り仕切ってくれているとかであれば話は別かもしれませんが、私の住んでいる別荘地は管理会社が入っておらず(元は管理事務所があったらしいけれどなくなったらしい)、それぞれが個人で外の業者と必要な契約をしているような場所なので、こういう不便な事が出てくると言うのを住んでみて始めて分かりました。
そして年金生活者等で働いておらず、ずっと家にいるような人ならばそれでもOKなのだと思いますが、私のようなフルタイムで働く人にはかなり致命的な環境なのは言うまでもありません。
今までにこの件では沢山の苦労をしてきました。
大雪で家に帰れなくなった事も2回あり(幸い家の近くだったので、車を置いて歩いて帰りました)、吹雪いて真っ暗な森の中の道で、車が雪でスタックして走行不能になった時の絶望と言ったらないです。
しかも私の住んでいる辺りの天気予報は冬はかなり外れる事が多くて、雪が降る予報ではなかったのに雪が降りだして、後出しでだるまマークがつくみたいな事はしょっちゅうです。
冬は常に雪の心配をしなくてはいけなくて、降れば降ったで重労働の雪掻き必須。私道の除雪契約はしていても、敷地内はやってくれないので、大雪が降れば、自分で雪掻きしないと車を止める事もできないのです。なので、その年の雪の具合にもよりますが、仕事が終わって家に帰宅してから、真っ暗な中一人雪掻きする事も当たり前に何度もあります。
まあ、いつかこの件でも詳しく書けると良いのですが、そういう苦労も、住んでみて始めて分かった事です。
ただ、メインの道路に面していないので、隣の家が不在であれば(定住していないので)、環境としては人の目が気にならず、閑静で良い環境なのは言うまでもないです。何を優先するかによって家選びは変わって来るのかも知れないですね。
冬以外はとてものどかで自然も美しく、初めて住み始めた頃は、とても浮世離れした桃源郷のようだと思ったものです。
願わくば、その美しい季節を堪能しつつ、ゆったりと暮らせたら一番なのですが、いかんせん、フルタイムで働きながら時間に追われる日々だったりします。家賃はかからなくても、固定費や車の維持費・・・とにかくいろいろかかるので、年金を貰うのもまだまだ先の私は、ある程度の収入がないと暮らしていけないのです・・・。なんせ誰にも頼れない身の上ですし。
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いつかゆったり暮らせる日がきたら良いけれど、年金も宛にならないこのご時世、いつまで働き続けたら良いのだろうとため息が出る今日この頃です・・・
まあ、それでも何だかんだ言って、住んでもう10年目に突入するところですから、この選択はそれなりに間違ってはいなかったのかもしれません。
今ではむしろ東京で暮らしていた時の事が夢のように感じられます。
そして、住んでみて分かった事ですが、前のオーナーさんがいろいろ花を植えていたらしく、それらが季節毎に順番に咲くので、いろいろな花が咲いているのを見つける度に、「ああ、もうそんな季節なんだ~。」なんて感じたりしています。
初春の頃、裏庭にふきのとうを見つけたら、それが我が家のお花のリレーの始まりです。ふきのとうは、我が家の春告げのお役目を持っています。
そこからムスカリが咲いたり、芝桜が咲いたり、山桜が咲いたり・・・本当にいろいろな花が咲いていきます。私が植えたオオデマリも、この数年でだいぶ大きくなり、最初は数える程だった花数が、沢山の花を咲かせるようになりました。
こんな風に、庭で咲く花で季節を数えていく暮らしも、なかなか贅沢な事のように感じられます。
夏は夏で、畑を作るまではできていないのですが、管理しやすいデッキ(別荘地の家らしく、広めのデッキがあります)で、朝顔や野菜を鉢植えで育ててみたりして、それなりに楽しんでいます。家のデッキは、夏は私の秘密基地のようになります。
そして森の中の家らしく、野生の動物達がすぐ近くに感じられる環境でもあります。
ある日帰宅したら、家の入口前の私道に茶色のうさぎが見えました。庭にうさぎの置物を置いていたので、誰かがいたずらして、置物を私道に動かしたのかと怒って近づいてみたところ、いきなり動いて逃げて行ったなんて事がありました。
初めて野うさぎを見た体験だったのですが、庭の置物だと思っていたら、実は本物だったと言うオチでした。
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他にも大きな鹿やバンビな鹿も家のすぐ近くで見た事があります。
ちょっと離れた所ではヘビや小さ目の熊も見たことがあり(これはちょっと怖いですが・・・)、何度か別荘地内を鈴を鳴らして歩いていた人を見かけた事があり、あながち大げさな事ではないのだなと納得したりもしました。
とにかく自然と共に生きる暮らし・・・厳しい冬には苦労が付きまといますが、だからこそ、春が来た時の喜びが大きい・・・輝くような春の美しさに、命と言うものをより近くに感じる気がしています。
価値観は人によって違うけれど、私の場合は結構こんな暮らしを気に入っているのかもしれません。時々・・・自然の美しさにハッとさせられる瞬間があって、だからこそ苦労はあっても東京に戻りたいとは思わないのだと思います。
と言う訳で、私の夢のお家を見つけるまでの長い長いお話はこれで終わりになります。ここまで読んで下さってありがとうございました。