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裏切られたわけでも、負けたわけでもない。それが私なのだと、一旦受け入れただけ。アトピーとこだわりのこと

あ~あ。負けちゃった。

蝉がないている真昼のアスファルトの上を、家までとぼとぼ歩く。ビニール袋のなかでは、処方箋と明細と薬たちがカサカサいっている。

どこか清々しい気分でもあるけど、期待がないといったら嘘になるけど。

私は負けました。

12年ごしの戦いに、とうとう勝つことができませんでした。

周りがなんと言ったって、負けちゃったんだよ、私は。

これが後でいいことにつながると分かっていたって、成長だとか言われたって、私にとっては敗北で、絶望です。


結論から言うと、近所の皮膚科に行って、ステロイドと保湿剤をもらってきた。それだけ。でも、noteに書いて自分の気持ちと向き合うまで4日を要するくらいには、整理のつかない大きな出来事でした。


私のアトピー人生

生後1か月くらいの時から、アトピー性皮膚炎でした。

夜痒くて眠れない私に、母はあの手この手で手当てをしてくれました。枇杷の葉のお風呂だったり、皮膚科の先生からもらった入浴剤だったり、亜鉛華軟膏と包帯だったり。

母も、ほかのきょうだいも、象の肌みたいな手足の、痒くて時に噛みついたりする私を、愛して育ててくれました。記憶にはないけれど、当時を振り返る母の話やまわりの人の思い出話から、母は堂々としていた、と思います。

アルバムを見ると、きょうだいたちは赤い肌の私を抱きしめて、頬を寄せています。

母は自然派な人だったので、私のアトピーを治すためにステロイドは使いませんでした。(今確認したら、アトピー持ちだった上の2人につかって治らなかったから、使わなかったとのこと。)


アトピーであることは、私にいろんなものをくれました。

添加物や食への意識のたかさ。

服の素材へのこだわり。

農薬のこと。

環境問題への興味。

自然療法や代替療法、食養生への興味と知識。

アレルギーや腸内細菌への知識。


しかし同時に、痒みや荒れた肌は、私からいろんなものを遠ざけました。

お洒落な服。(化繊)

ダンスや運動。(もともと得意ではないが、汗をかくと痒くなるため)

化粧。(綺麗になりたい、の前に、普通の人間の肌までが遠い。)

安心して人と触れ合うこと。


アトピーの症状には波があって、よくなったり、悪くなったり。

乳幼児期ほどではないにしろ、ストレスや環境で悪化することもしばしば。

中学生のときに、指を中心とした手のアトピーがひどくなって、ステロイドをもらって塗っていたけれど、結局よくなったり悪くなったりで辞めてしまった。

基本的に軟膏は塗った方が痒くなる。

お金と時間と手間をかけた方が痒くなるなら、やんなっちゃうなあ。

そんなわけで、その後は基本的には保湿もほとんどせず、放置しまくっていた。(去年の一時期キュレルで保湿はしていた。アトピーを治そう、というのではなく、綺麗になりたくて)

スキンケアはしなかったけれど、食事の見直しや1か月のファスティングなどはやってみたりしていた。後者では、一度ひどくなって、やや軽快はしたが、期待した根本的体質改善、という効果は得られず。残ったのは大量のプラスチックごみ。


アトピー悪化でどうしようもなくなるまで(ほとんど嘆き)

それでも、放置できる程度には、落ち着いていた。

ただ、この梅雨、いろんなことが重なり、耐えられないレベルに悪化した。

人里はなれた山奥での一人暮らしの寂しさ。(ストレス)

梅雨の間、数週間家を空けていたせいでカビだらけになっている部屋。しつこい痒みを引き起こす虫刺され。(環境)

睡眠リズムが狂っていることによる不眠。(卵が先か鶏が先か)

暑さと汗はもちろん痒みを悪化させたけど、山の上の涼しい夜でも、不思議と痒いのだった。

夜、布団のなかで泣いた。

しくしくと、ではなくて嗚咽だった。


痒くて痒くて、どうしようもなく掻きむしってしまう。

どこかで、「ああ、可哀想に、ごめんね」
と自分の皮膚に哀れみと罪悪感を感じる。でも、止められない。

助けて
って言いたいのに

助けて
って言ってもどうしようもないことを知っている。

だって、誰にも痒みを代わってやることはできないし、
自分で自分の皮膚をボロボロにしているのも
ステロイドを使わないと決めているのも、自分。

肌が荒れてくると、ガサガサを通り越してジクジク・ベタベタしてくる。

真皮が出てしまっているから、ジクジクするんだけど、掻きながら「やばいな」と分かっているんだけど、もはや痛みはないので掻くのをやめられない。

今までは、「大丈夫、ある程度掻いたら痛みの方が勝って止められる」と思っていた。けれど、実感として痛みや触覚は麻痺しているようだ。そのうえ、最近読んだ本で出てきた「脳まで掻いてしまった女性」のCT画像が頭をよぎる。(彼女はアトピーではなかったけど。)

下り坂で自転車に乗っていて、じつは「ブレーキが壊れている」と知ったときのような絶望感。自分で自分を壊してしまう恐怖が、さらに痒みを強くする。


なんとか寝ようと体勢を変えるのだが、自分の肌に自分の肌が触れることも嫌になってくる。
ジクジクしてる肌側としては、何かが触れることが痛みと痒みを引き起こすし、
まだ大丈夫な肌側からすれば、ベタベタがつくので不快で、そちらまで痒くなってくる。
この身体はどこに置いておけばいいんだ、一体。

もうどうしようもないや、「助けて」ってひとり泣いた。

悲しみが悲しみを連れて来て、余計涙が止まらない。でも、誰に相談するもんでもない。自分で選んでいるんだ。薬を使わないことも、一人で古民家に暮らすことも。

寝ているときや寝たいのにねれない時、私が掻きむしる音で、隣で寝ていた人が音が気になって寝れない、と布団を移動させたことがあった。

睡眠を確保するために必要なことをしただけだ、と頭ではわかっていても、
睡眠を妨げる音を出してしまったことへの申し訳ない気持ちと
消え入りたいような気持ちと
何か自分の存在を否定されたみたいな気持ちになるのだった。

誰かがそのすべすべとした肌を褒められているとき、
決して、私の肌をどうこう言っているわけじゃないと分かっていても
どうしようもない劣等感で苦しくなるのだ。
何に向けるべきか分からない怒りと悲しみを感じずにはおれないのだ。

誰も私のことを笑っちゃいないって分かってる。世界はやさしい。
でも、素直な子供が、「ガサガサで怖い」と言ったこの肌を
心から愛せないでいる。


年齢なんて女性の魅力に関係ないというけれど、26歳という若い時期が、一般的には「いちばんいい時期」が、私にとっては耐え忍ぶ日々だ。しかも耐え忍んだ先に希望や解決が保障されているわけではない。

私はだれかが触れたいと思う、健やかな肌になりたい。
陶器肌なんて求めてないから、普通の肌でいたいだけなんだ。
美白なんてものは諦めたから、象の肌じゃなくて、人間の肌でいたいだけ。


アトピーがあったから、気を付けることになったことはいっぱいある。健康にいいこと。環境にいいこと。だから、感謝はしてる。

でも、弱っているとき、
そういうことに気を使ってもいつまでも酷い痒みがあることに絶望する。
添加物のたっぷりはいった食べ物を食べて、健やかな肌でいるひとを見て、
こういうことに気を使うことに意味なんかないんじゃないかと思う。体質は残酷だなあと思う。
化繊の服を着て、痒みのない生活を送っているひとを見て、
自分が間違ったこだわりを持っているだけじゃないかとも思う。
たしかに化繊は痒くなるけど、実際のところでも何を着ていたって痒いのだから。

この肌に触れたい人なんていない、という気分になる。

触れてくれた人はいた。ただ、触れたくて触れてるんじゃなく、傷つけないようにっていうやさしさなんじゃないかと疑心暗鬼になる。
私だってすべすべしたものが好きだから。

翌朝、布団の上は掻きむしった皮膚でザラザラしている。日中意志の力で掻き毟らないように配慮していたかさぶたは、すべて皮膚からはぎとられている。そんなとき、自分がなんとも汚い存在のように思える。

電波の通じるところまで歩く。(家では電波もwifiもない。)朝になっても気分は沈んだままで、涙が滲んでくる。

死にたいんじゃないけど、この体で生き続けることがつらい。気分はもう来世に期待。

電波スポットで、友達に電話で話を聞いてもらった。

ひととおり、話して、泣いて

落ち着いて、ふと周りを見ると、晴れ間の太陽が山々を照らしている、幻想的な風景があった。たしかに今までは曇っていたけど、あんまり周りの景色が入ってこなかったことに気づく。

かえりみち、樹の甘い香りがする。そうだった、わたしはこの香りがすきだったのだった。さっき通ったとき、匂いなんてしただろうか?

感覚がもどってくるのを感じた。


この後、ちょうど仕事で呼ばれたので、一度埼玉の実家に戻ることにした。

受診に踏み切らせた姉のことば

家に帰っても、相変わらず夜中は掻きむしり、朝はべたべたの皮膚がはがれた状態になり、夕方にはかさぶたができて、掻かないように耐えて、夜中その努力虚しく掻きむしる日々をすごしていた。

8月に入って晴れ間が戻ると、搔きむしらずに朝を迎えられる日がでてきた。

コントロール不能だった自分の体と行動に、希望が見えてくる。

じくじくのピンク色か、かさぶただらけだった肌は、カサカサの白っぽい色に変わってきた。

久しぶりに会った姉もアトピー性皮膚炎を持っている。が、最近皮膚科に行って飲み薬と塗り薬を使ったとのことで、あの独特な紫色の炎症もなく、関節のところの肌もしずかな肌色だった。すこし跡は残っているけどほぼ普通の肌だ。

姉は、食に対して我慢したり無理をすることを知らない。好き嫌いは多いし、食事でもコーラを頼むし、我慢して体に良いものを食べたりはしない。駄菓子も大好きである。

服の素材も、髪染めも、使っているシャンプーも、自然とはいちばん遠いものを使っている、といっても過言ではない。

その姉が、私の話を聞いて「皮膚科に行ってステロイドと飲み薬貰ってきなよ。」という。

「めぐは良くなってるって言うけど、普通の人からみたら全然良くなってないから、それ。」

「人前でかいたりするのも、自分が思っている以上に目立つよ。」

「その病院と薬不要って考え方とこだわりはいつからなの?」

と、言葉は辛辣だけど、同じアトピーと長年付き合ってきた姉の言葉だから、素直に聞こうという気になる。きれいになった肌をみて、いままでのこだわりも揺らいだ。

なにより、アトピーの痒みに耐えることに、疲れた。もう限界だった。

それでも、今までの自分の「自然派」的こだわりが、人工物大好き人間に負けたようで、悔しい気持ちもあった。

姉は、ふだん私に対して全然優しくないのだけど、ときどき、とても優しい。

いじめてくるし、私を「ブス」と呼んでいた時期もあったけど、なんだかんだ言って私は彼女を信頼している。

「めぐのやりたいことの幅がアトピーの痒みで狭まるなら、薬つかってでも直した方がいいよ。」と言いながら、翌日朝一番に受診することを私に約束させた。

わたしはどうしても受診したくないようだ

翌朝。

普段予定があるときはまずしない洗濯物干しや台所の片付けなどをして、家を出る時間はどんどん遅くなる。これは、現実逃避だ。

やっと家を出てから、財布と保険証を忘れたことに気づく。のろのろと取りにもどる。

自転車で行けば早いのに、炎天下の中、のろのろと歩いて駅に向かう。まだ逃げている。

駅について、ここだと思った皮膚科は、いこうと思っていた皮膚科ではなかった。

グーグルマップで調べてから、遠回りしてしまったことに気づく。いつもは最初に調べるのに。

ぼんやり歩きつつ、目的の皮膚科に着くと、張り紙がある。

「マスクの着用にご協力ください」

今日に限って忘れてきた。

皮膚科は大混雑なので、マスクをしないという選択肢はない。貰えるかもしれないが、不織布のマスクは絶対に顔が痒くなる。

家までマスクをとりにもどる。何やってんだろ、いや知ってる。この期に及んで渋っているのである。

マスクをとって、今度は自転車でリベンジ。受付、待機、受診の流れは想像したよりずっとスムーズだった。ステロイド(顔首用、体用)と、保湿剤(ヘパリンなんとか)飲み薬(ポララミン)を処方される

先生に「アトピー治ったら脱毛したいんですけど、エステ脱毛で硬毛化したのってなんとかなりますか」と聞くと、先生はいやぁ〜と難しそうな顔をした。

正直な人は好きです。

薬を使うことへの葛藤

夜、薬を塗ってみる。

全身ベタベタで、塗ってからのほうがやや痒くなる。小さな埃でもなんでも、触れるとすごく気になるから。

部屋の壁や柱に肌が当たると、べたべたに塗った薬が付くので困る。(私はなぜか、よく壁や柱にぶつかる。)

布団に入ってからも、ベタベタの感触が普通に不快だ。

ポララミンは飲んだら眠くなるというから、期待して飲んだのに、いや、期待しすぎて興奮していたせいか、それまでの眠気はどこへやら、むしろ目が冴えてしまった。

薬を始めてから4日。痒みはかなり軽減して、肌の状態は劇的に良くなった。

炎症と腫れが引いた分、茶色の色素沈着は目立つけれど。

西洋医学の即効性は認めざるを得ない。

肌の状態が落ち着いた以外によかった点としては、

汗をかく運動が楽しい。純粋に気持ちいいから。(今までは痒みと汗をかく気持ちよさはセットだった。気持ちよさだけにフォーカスできない。)

夜眠れるようになったぶん、精神状態も回復して、小さなことに笑えるようになった。(薬を塗ったおでこが、いつも以上に光り輝いてることとか)

でも、これが最終手段だと知っているから、「もしステロイドを使ってもぶりかえしたらどうしよう」という不安もある。だって、ステロイドで治らないから避けてきたわけで。

この先ずっと人工的な薬にお世話になるのか。この薬を下水に垂れ流すのか。

薬なしでは普通の生活ができない私が生きていくことを、まだ100%は受け入れられない。薬がないと生きれない人に死ねと言っているのではなく、私が個人的にそういうものなしで、自然のなかで健やかに生きたかっただけ。(ほかのひとがそういう立場でも、あるがまま、成すがままで全然よいと思うのに、自分のこととなると一気に厳しくなってしまう。優生思想になる。)

そのためには多少の不便や不都合は受け入れるつもりだったのだ。

自然のなかで生きれば、治ると信じたかった。「アトピーがあっても、自然のくらしをすることで治る私」に執着していたのかもしれない。

手段と目的が入れ替わっていた。

アトピーを治すことと、自然な暮らしと。

アトピーを治すために自然なくらしをしたかったのか。

痒みに左右されずに自然な暮らしを満喫したいからアトピーを治すのか。

自然豊かな田舎。森。そこが、いちばんわたしが生き生きする場であってほしかった。

痒みから自由になれる場所であって欲しかった。

こんな薬と保湿剤まみれで、埼玉の住宅街で、なにも生み出さずに、畳で寝っ転がってる今が一番心地いいなんて、かなしすぎる。この平和で幸せな時間を素直に喜べないばかりか、どこか後ろめたさを感じている。

薬に頼らざるを得なかったからといって、今までやってきたことが無駄になるわけじゃない。けれど、どうしても、自然というものに裏切られた感というか、徹底できてなかったのではないかとか、自分の取り組みが中途半端だから治らなかったのではないか、もっとストイックにやっていたら治るはずなんじゃないかとか、考えてしまう。

でも、それはただ、わたしには合わなかっただけなのだ。

漫画版ナウシカのあるシーンを思い出す。腐海の毒とともに生きてきた人が、清浄な空気では生きられなかった。都市で生まれ育ったわたしは、田舎の自然のなかで過ごせばすべてが解決するという幻想を持っていたけれど、私も自然のままのきれいな世界では生きられない生き物だったのだ。悲しいけど。

これから、アトピーが治ったら、私はどこに行くんだろう。

極端なところがあるから、こんどは自然というものを遠ざけて、人工的な方向に突っ走りかねないのが怖い。

今までは過程を避けて、理想にワープしようとしていたんだ。

現実に目を向けずに。

今回、負けたというか、自分のこだわりを緩めざるを得なかったことで、今の自分の体や状態という現在地を確認できた気がする。現実に向き合えた。それがわたしの欲しい現実ではなかったけれど。

一気にゴールには行けなくても、それでも、見たい世界に向かって歩きつづけたい。

この経験は、きっとこだわりやジャッジから自由になる練習なのだ。

自然も人工も受け入れたら、もっと世界を楽しめるかな。







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