私の日記遍歴 おりあい 暗黒日記で焼いたサツマイモはどんな味?
前回までのまとめ
あとで思い返す手がかりとして日記を始めたら、生活すべてを記録したい衝動に駆られ、最終的に膨大な日記を書きのこすために友達を動員する事態に。
そんな自分の癖に、どう折り合いをつけたかと、膨大な日記の活用法をご紹介するよ。
多い日には8ページにわたる日記を書き、そのために夜眠れず、日中眠くなって昼夜逆転になり、友達にそれについて相談し、親身になって聴いてくれたことやそのアドバイス内容まで書き留めるので、さらに書くべき事柄が増えるという・・・。悪夢のスパイラル。
そして、中高生のとき私は無駄に手帳に凝っていた。お気に入りはMUCUのPOCKETBOOK。
合皮表紙のやつは1冊1980円。本革だと4000円くらい。磨き上げられたこげ茶の小口が美しいでしょ。紙製ケースに入れて、立てておくとケースの丸窓から表紙の色がのぞく。可愛いでしょ。好き・・・!(もうこのシリーズは販売中止。復活を求めます。)
今見返したら、2009年は1冊使い切るのに2カ月かかっていない。もったいない!「2カ月で使い切っている」と自覚することもなかったように思う。次から次へとおこる、記録すべきできごとに追われていたから。(もはや何のために日記を書いてるのかも分からなくなっていた)
その間も、私はなんとか日記癖と折り合いをつけられないか、模索していた。日々起こったことは一覧・時系列に、メモしたいこと・学んだこと・読んだ本の内容は時系列かつスペースを気にしないで書けないものか・・・。
また、8年という日記書きの歴史が、私の特徴を炙り出してくれていた。(間に合わせの、あんまり気に入っていない安っぽい手帳を使うと、早い段階で字が荒れ、ボリュームが増える。)
そして、2013年短大2年の春、ついに突破口を見つけたのである。
折り合いのなかみと小ワザ
私が自分のために設け、守った枠組みはふたつ。
①日々の出来事・読んだ本のタイトルはマンスリーページ(1か月のマスが一覧で見られるタイプ、これであってるっけ・・・)に収める。基本は2×2cmのなかに収めること。
②人から聞いた話のメモ・本のまとめはその後ろの白いページに、すきなだけ書いてよい。(ただし「1冊4000円」というケチケチ星人にのみ有効な圧はかかっている)
すると、どうしたことでしょう、年間6冊になるはずの日記帳が、
なんと1冊で収まったのです!
しかも、日々起きたこと・読んだ本が、
見 や す い !
学んだことやメモもたっぷりかけて
大 満 足 !
学んだことが時系列なので検索しやすい!(「超整理法」より、分類は破綻する。時系列にならべるのが最強。)
その他、小技を紹介すると・・・
①筆記用具は0.03mmのシャーペン。細かい字もどんどん書ける!字が綺麗に見えるので丁寧に書くモチベーション上がる。(裏写りしない。雨にぬれても大丈夫。ペリカンのスーベレーン800とか憧れますけどね。激烈に字が細かく、雨に濡れることの多い私には不向き。)
②ちょうどいいスケジュール帳(マンスリーと白紙ページのみ)とは出会えなかったので、MUCU POCKETBOOKの無地のやつで自作。(挿絵に凝っておくと、さらに一冊を丁寧に使うモチベ―ションを上げることができる。)
③本革表紙にお気に入りのアロマオイルをすりこんでおく。(特に意味はない。より愛着が湧くような気もする。)
ちなみに、使ったのはクローブの精油。魔女の匂い(昔の歯医者さんのにおいらしい)
そんなこんなで、今は日記に苦しめられることも、かなり少なくなりました。
今度はメモが増えて、活かしきれない問題もありますが。(一言でいうとインプット過剰。アウトプットと実践あるのみ。以上。)
日記の手放し方
あとは、過去の日記をどうするか、という問題が残る。
とくに、読み返すと鬱になるやつ。というより、まず読み返そうと思うことはほとんどない。特に高校生までの日記は。(学びじゃなくてファクトの寄せ集めなんだもの。)
でも、書くのにかけた時間を思い出すと、読まずにポーイと捨てることもできない。(こっそり誰か、持ち出して燃やしておいてほしい。気づかないから。)
せめて、その紙で焼き芋でもできたら、景気よく手放せるんだけどなあ。
と、高校時代からの友人にぼやくと
「日記焼きイモパーティいいね!ついでに焼きマシュマロもしよ!」
とノリノリ。(やさしいんだ、いい友人に恵まれたよ)
日記焼きイモパ当日、2人の友人が来て、どうしようもなくなっていた日記にパラパラ目を通してくれる。
この二人も日記に登場してくるわけで。なんなら、自分について書かれた悪口を目にしてしまうリスクもあるわけで。あったらしょうがない、ごめんよって先に謝っておいた。(はず)
案の定あった。でも、笑いあえた。私たち、みんな大人になっててよかった。
面白いところを見つけると、音読してシェアしてくれる。
「基本自分のことは2ちゃんねらー口調なのに、先生とか目上のひとに対して、ちゃんと『いらっしゃった』『くださった』『おっしゃっていた』って使ってるのが真面目」
「早起きして2度寝のパターン多」
「『ごはんの後、教室に戻ってエプロンつけてから労作(掃除のこと)にいった。』細かく書いてある割に、流れがよくわからない。」(それ、毎日のルティーンだから書き残す必要ない。細かさと大雑把のメリハリがありすぎる問題は現在進行形。)
「疲労回復法調べてる中学生」
「全部記録するためにボイスレコーダー欲しいって書いている」(あぶないあぶない。新たな問題を増やすところだったぜ・・・)
そんな過去の自分を面白がっていると、友人のひとりが日記の字のきれいさにムラがあることに気づく。
「ここ書いてるとき、眠かったのかな?すごい字だよ。」
わ、ほんとに汚い字!
ふむ、内容を読んでみると、それは確かに私の字ではあったが、理由は眠気ではなかった。
傷ついたある一場面の、悲しみと怒りがぶちまけられていた。
行事の帰り、みんなで乗っていた電車で、自分の右隣の席だけ空いていた、というエピソード。私はあるクラスメイトに嫌われていた。今思うと、両隣の席が空いていた=誰も座ってくれなかった、とかじゃなくてよかった。当時は苦しかったけれど。
そのクラスメイトとも、高校の3年間で関係性は変わって、そういうことはなくなった。この日来てくれた2人とだって、学生時代といまの関係性は変化している。(有り難いことに、今の方がなんでも話せる関係になった。)
「中学生のとき、大変だったね。」
「生きるの、大変だったね。」
うん、大変だったみたい。
「濃い時間生きてるよ」
友は、そう言ってくれた。中学生のときの私の亡霊は、この時点で、たぶん成仏した。
芋パの実際
そうそう、忘れてた、今日のメインイベントは焼き芋ね!
このしんどい時期のネガティブオーラのこもった日記(もちろん嬉しかった出来事もいっぱい書いてあるけど)。これをつかってイモを焼きます。
バーベキュー用の炭も入れたけど、全然火が付かず。ほとんど日記の燃焼による熱だけで焼きました。あらかた灰になり、どうせ生焼けだろうと、電子レンジでチンする気まんまんの私。
暗黒日記で焼いた焼き芋はどんな味がするのでしょうか。やはり、ほろ苦い味か、はたまた涙のしょっぱさか。(塩はセルフサービス)
気になるお味のほうは・・・
普通にうまかった!!!
見よ、この透き通る黄金色に輝く、ベニアズマを!
うんっっっま!焼き加減も完璧!
炙りエリンギも、
うんま!!!
焼きマシュマロで作るスモアも、
(これは何も言う必要ないよね)
結論
日記の内容がネガティブだろうがポジティブだろうが、おいしい焼き芋が焼ける。
火には浄化の役割がある、かは分からないが、苦しかった思い出を美味しさで上書きする力はある。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうと言いたい。