日記、書かずにはおれないもの そのはじまり
誰の利益になるわけでもない
そうせずにはおれないこと
辞めようと思ってもずっと続けていることがある
それは日記を書くことだ
なぜか知人友人に絶大な需要があるわたしの日記遍歴について、今日は語ろう。(①はじまり②くるしみ③おりあい で語れそう。)
最初に日記をつけたのは、小学校4年生の一年。埼玉のマンモス校が嫌で逃げた先は沖縄の離島。山村留学というやつ。その時は書いたり書かなかったりを1年続けた。(と思ったけど見返したら12/7で終わっていた。)
(1年で1冊使い切っておらず。1日スカスカ1ページ。丁寧さにムラがある。食べ物を与えておけばとりあえず幸せになるのは、この頃から変わっていない。)
次に再開したのは、中1の年度末。各人が一年間の勉強と生活を振り返ってまとめる「まとめ」の冊子を作成する、ということを母校ではやっており、その時に全然思い出せなくて困ったので、日記をつけることにした。
これが悪夢の始まりとは、誰が予想したでしょう。
(ノート選びからして、日記に記録以上の意味はなさそう。1冊で約1カ月間。1日1~2ページ。全体的に安定して丁寧な字。もっと内容を載せるつもりだったけど、5年生あたりからハマっていた2ちゃんねるに影響されて、2ちゃんねらーな言葉遣いがあったり、クラスメイトへの怒りがあったり、読んでいる本も怪談と自己啓発と健康法、で全然可愛くないというか、恥ずかしさで心臓がぎゅっとなったのでやめた。すごい燃やしたい。だれかサツマイモをください。焼き芋しよう。)
あ、そうなのです。
それは日記を習慣化できた喜びのnoteではなく、むしろ日記をつけることが病的になっていく様を笑いながら振り返る企画です。
どうしようもなく自分をコントロールできないとき、その愚かさを笑うしかないときがあります。
発達凸凹のある私にとって、インターネットも日記も、中断できなくなる依存性のあるものでした。
1年のまとめのために始めた日記は、だんだんと健全な生活を侵食していったのです。(日記の内容読んだら、ネットサーフィンで夜更かししたり、全然健全じゃなかったけど。依存先がネットから日記に変わっただけ、ともいえる。)
なぜそうなったのか。
まず、私は情報の取捨選択が苦手なようです。
まとめて、と言われても、何をそぎ落とすべきか分かりません。自分の興味のないことは、そもそもあることも気づきませんから、あることに気づいた事柄は、すべて日記に記録されていきます。
当然、書くのに時間がかかります。
いつしか、私は「いつも日記をかいてる子」になっていました。
朝起きて、朝ごはんが終わればもう、書きたいことができる。どんな話をして楽しかったか。学校に行く前に書く。
学校で誰かと関われば、また書くことができる。授業中に嬉しかったことがあれば、それも。悔しかったことがあれば、それも書く。
昼食はなにかしらドラマがありましたから、それは是非とも残さなくては。午後の掃除の時間も、何かしら楽しかったり怒ったりすること、傷つくことがあって、それも書く。
放課後には、裁縫の居残りをしたり、行事の準備なりをしながら、友達といろいろ語るので、それはもう書くことがたくさんできる。
あんまり楽しくない日はいいのです。
問題は楽しい日。
楽しいことは不思議と重なるもので、もう日記をかいてる暇などなくなります。
そんな日はつづきます。
すると、日記かきが追いつかない、と追い詰められ始めるのです。
人生をよりよくするための日記が、無駄な焦りをうむ、本末転倒な状態になっていました。ですが、自分の意思ではやめられないのです。
次回は、一番詳細に日常の記録をつけていた高校生のときの日記について語ります。これって、たぶん、強迫神経症かなんかか?
まとめ
もし、あなたが日記を続けられずに3日坊主になってしまうなら、それは幸いで、健全なこと。日記を書く時間に、人生そのものを楽しめているのですから。むしろ一緒に喜びましょう。
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