
光のほうに歩むスイッチ入った朝、のメモ。
(なんて書くとすごいスピっぽいけど、私は割とスピってるのでまあいいでしょう。)
光と闇というと大げさだけど、要は、自分にとってよい選択をできるときと、良くないなぁと頭で分かっていつつも自己破壊的な行動をしてしまうときがあるって話。
私の脳みそはドーパミンに振り回されがちである。
ほめ日記とか、自分と向き合うことの積み重ねとか、生きづらい特性を持ちつつもハッピーに暮らしてる人の考え方に触れまくって、躁鬱傾向というか、ドーパミンジェットコースター依存みたいなのはかなり落ち着いた。
それでも。
頭では、心でも、「やばいな~」「これは自分を傷つけるな」「この会に出たら消耗する」「体に良くない」とわかっている行動や選択をし続けてしまうときがある。そういうとき、私の脳内ではドーパミンが出てるんだと思う。
えっと、なんのはなしだっけ?
そうだ、そういう困った行動は何をしてるのかというと
「自分を守っている」
のだ。
たいてい、体には負担をかけているが、心を守っている。怖いものから。
「闇に向かっている」とは、どういう状態なのか?
具体的には、今日の3時くらいまで私は闇に向かって進んでいた。
朝からとんこつラーメンを食べて、その残り汁をラーメンライスにしてたいらげるとか、
夕方から夜中の3時まで、シュガーバターの木だの、カステラだの、お菓子を淡々と食べ続けるとか、
内容の入ってこないYouTubeをひたすら見るとか、
お菓子を食べつつマンガを読むとか…
こっちは闇だなってことはわかる。それくらいにはかしこいのだ。
体に悪くて、寿命を縮めて、人生を無駄遣いしている。
それが分かっているのに、
良い方向に向かう行動をとりたくない
抵抗している自分を感じていた。
なぜそんなことをしているかと言えば、
やりたくないことを我慢してやっているストレス解消である。
ちょっと複雑なのが、私はそれをやりたくないということを認めたくないのだ。わかりきっているのに。
(具体的には、私の苦手なパーティーの予定が入っている。あと、近々責任のある役職に就く流れになっていること。)
ストレスの原因
どれも、誰かが無理やり私にさせているわけではない。嫌われたくないとか親孝行したいとか、そんな理由で私がNOと言えないせいだ。本当の私はそんな人間ではないのにそんな人間であるように、自分を偽っていることが気持ち悪いのだ。
具体的には、私の苦手なパーティーの予定が入っている。あと、近々責任のある役職に就く流れになっている。
パーティは苦手だ。
5人以上の会食は食べ物の味などわからん。緊張する。時間が縛られるのも、かっちりしている感じも苦手だ。かかとのある靴も苦手だ。私の心地よいと感じるクオリティではないのも苦痛だ。(流す、ということができない。)一緒に過ごす人を選べないのもしんどい。けれども出席を期待されている。なんであなたはそんなにパーティが好きなのか?いや好きでもいいんだけど、私なしでやってくれ。
わたしは、そのとき、話したいひとと、静かにおちついて、リラックスして話したいのだ、居心地のよいところで。それが叶わないなら、ひとりにしてくれ。あーんパーティやだよお!でも3時間耐えたら終わる。始まってしまえば終わる。そしてもう二度と「出席します」なんて言わない。これを人生最後にしてやる。
責任のある役職。
私がそれをひきうけると、たくさんのひとが助かる。(精神的にも経済的にも物理的にも)私も役割が与えられて助かる。助かる人は、みんな私の大切で大好きな人だ。その仕事は、本質的で、素晴らしい仕事だ。意味のある、価値のある、人の役に立つ仕事だ。
けれども、私はそんなに情熱がないのだ。頭では「よい」とわかっている。でも、体の力が抜けるような、身が入らない感じがある。
そんな私がやるのは嘘つきで不誠実な感じがする。
私は好きな時に好きなところに気楽に行ける状態でありたいのだ。自由を制限されたり、縛られるのはむりなのだ。
誰かに「アテ」にして欲しくないのだ。ちゃらんぽらんで、フーテンなのだ。気が向いたときに道端のごみを拾ったり、トイレを掃除したり、外れたチェーンをかけてあげる、道を聞かれたら一緒にさがす、そのくらいの人助けが私の身の丈に合っている。長期的で、責任重大なのは願い下げである。
と、書きつつも「責任のある役職につく」ことが「自由を制限される、場所に縛られる」というのはわたしの思い込みなのかも?
この葛藤には「私という人間の本物さや居心地の良さを大切にしたい」気持ちと、「一番大切な人をがっかりさせたくない」という思いがある。
というか、一番大切な人と2~100番目に大切な人までがっかりさせるのが本当の私である。
書くってすごいね
なんだか書いてたら、朝の時点ではまったく考えていなかった深さまで深掘りしてしまった。書くことってすごい。自分が自分のカウンセラーになれる。
そんな闇に突き進む夜中から5時間寝て、お日様にあたって、朝風呂に入っていたら、ふと「光のほうに歩む」スイッチが入った。いや、スイッチが切り替わっていることに気づいたのだ。ふと。
単純に、朝はポジティブで生産的というか、建設的な選択・行動ができる時間帯、というのもある。
いやでも、これまでは朝でもとんこつらーめんライスしてたのだから
やはり状態異常だったものが正常に戻った感ある。
「光のほうに向かっている」とはどういう状態なのか?
私にとっての光のほうに歩めてるってどういうことかというと…
お風呂に入れている。
長風呂しすぎてない。(お風呂で延々YouTubeみてない)
朝から糖・脂質多いものを食べていない。欲していない。
明らかに過剰で不必要なインプットを止めて、文章を書こうという気になった。
臭くないタオルがあって、気兼ねなく使える保湿剤があることにしみじみ感謝している。
心を守るための行動(過食・長時間のスマホ使用)で痛めつけてしまった体が今日もけなげに働いてくれていることにも感謝が湧いてくる。(おつかれさま、耐えてくれてありがとうね。)
何から目を背けようとしていたのか、光を当てて見つめられている。
闇のほうに進んでいたときの自分を「心を守っていたんだな」と労える。
抽象度をあげると
やるべきことを、ほどほどにできている。
すべきでないことを、欲していないし、していない。
インプットから、アウトプットに。
自分を支えてくれている存在に、自然と感謝が湧いてくる。
自分の恐怖の正体を言語化できる。
過去の自分を責めずに労える。
この切り替えは自分でできた、というより
時が来て自然に切り替わったという感じがする。
そういう星の配置なのかもしれないし(占星術のラジオを聴くのは好きだけど理論は全く覚えられない。笑)
気圧の変化とか、生理周期とか、脳内のドーパミンやホメオスタシスのせいかもしれない。
なので、また闇のほうに向かってしまう時が来ても、自分を責めずに乗り越えられたらいいな~と思っている。