日記 #4 一期一会をイギリスで
イギリスでも使い捨て文化は甚だしく、ようやくここ2〜3年で
「マイカップ」「マイボトル」で飲み物を注文するのが定着してきました。
自分の好みの容器を選び、それを持ち運んで飲めてとても便利ですし、喉の渇きをどこにいても満たしてくれます。
また、カップを持って街歩きするのもなんとなくカッコいいかも!と感じているのも事実です。
しかしながら、私はなんとなく違和感があって、環境には優しいかもしれませんが、なんだか心が満たされないのです。
ながら作業ができない私にとって、歩きながら、飲みながら話す、という行為がなんだか自分の中で全てのアクションが一つ一つがぎこちなく、緊張している感覚があり、全く楽しめません。
できれば、何か飲んだり食べたりするときは座って、時間をかけて楽しみたい方です。また、ゆっくり座っていると、自分の中でリラックスできて誰かといる時には会話も弾みます。
イギリスでもアフタヌーンティーという文化はありますが、今ではチェーンのカフェに押され、今では伝統的なアフタヌーンティーを楽しむのは、特別な時や観光客しか「体験」しない人も多い事と思います。
そして、あるところでは時間制限が設けられていたりと、何だか金儲け主義的になっている所が、正直悲しいです。
(それほど需要があるから、という事なのでしょう。)
ただ、そこに行くだけが目的になっており、何人の人たちがお茶やコーヒーの味や、どんな会話が生まれたかを覚えている人がいるでしょうか。
お茶を楽しむために人々が集まり、また楽しい会話の中で美味しいお茶やコーヒーを楽しむ、というのが本来のアフタヌーンティーの原点ではなかったかと思うのです。
ただ、美味しいお茶やコーヒーは、茶葉を育て、加工し、運送し、私たちの手元に届く事も忘れてはなりません。お茶の木やコーヒーを育ててくれる人たち、商品にするまで色々と手間暇がかかっており、それらは決して安くないことも事実ですが、それらの色々な人たちの関わりや過程に感謝し、特別なそのお茶やコーヒーを味わう、ということは、お金では買えられない「体験」ではないでしょうか。
これは、日本の茶道から来ている「一期一会」という考え方に共通していると思います。
昨日、買い物に出たついでに、町の中心にある古いホテルのティールームに行ってきました。
良い雰囲気で、ソファーも照明も内装も落ち着いた雰囲気で、美味しいお茶と素敵なティーカップ、今まで味わったことのないくらい美味しいショートブレッド、そして楽しい会話を楽しんで帰ってきました。
私は日本を離れてはいますが、ここイギリスでもそういう心持ちを大切にして行きたいと思っています。